神と暮らした男 全文

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 熱い季節が過ぎゆく頃、王の容態が悪化し崩御されてしまった。この王の遺言に従い、この国は日神子が治めることになった。日神子が喪に服し、殯(もがり)の儀式が続く中で、隣国の奴国では兵を集めているとの知らせが入り、南の投馬国でも不穏な動きを見せていた。日神子がこの知らせを聞くなり、苅田彦に兵を集める命を下した。 「我は喪に服さねばならない。王の死を嗅ぎつけて兵を起こすとは許し難い。真木、兵が集まれば、奴国に向かえ。投馬国は、奴国が従えば自ずと治まるはずじゃ」  苅田彦の横に座していた真木に、日神子が屹然と命を発した。  数年前の怨讐(おんしゅう)に燃えた奴国の兵が国境の峠を駆け上がり、邪馬台国の領地へと駆け下って来た。予め伏兵を川向うに置いている真木は、三千ほどの奴国の兵と小さな川を挟んで対峙した。その伏兵を従えるのは初陣となる素佐であり、真木は奴国の兵が川を渡ることになれば、その後背を攻めろと言い含めていた。奴国の兵を従える王が前面に現れ、こちらに向かって吼えるが如く雄叫びを上げた。 「邪馬台国の者ども、我らはかつての怨讐を忘れはしまい。今ここで、それを晴らしたい」  怒りを帯びた罵声が、王を取り巻く兵達から騒音を立てるかの様に聞こえて来る。これに対して邪馬台国の兵は静寂を保ち、一人として声を上げる者が居ない。この様子を見た奴国の兵達が矛を掲げ、煽る様な動きを見せた。 「一つ脅してみるか」  拳銃を構えた真木は、奴国の王の間際にいる兵が掲げた矛に向かって拳銃を構え、数発の弾丸を発射した。距離は50m。轟音を響かせて飛び去る弾丸が、違わず二、三の矛に命中した。その衝撃で手にしていた矛を弾かれた兵達が、茫然とした様子でこちらを見ている。 「何だ、今のは」  恐れを感じたのか奴国の王が、退却を命じた。 「ここぞ」  奴国の兵の動きを木陰から見ていた素佐が、退く奴国の隊列に向かって襲い掛かる命を伏兵に下した。倍する奴国の兵数であるが算を乱して退く兵には恐怖しかなく、真木に鍛えられていた兵達に瞬く間に打ち取られていく。 「いかん。伏兵の動きを止めよ」  真木は周辺の兵に命じたが、一度動き出した強襲の勢いを止めることが出来ず、為すがままに見守るしかなかった。  幾多の死者を残して奴国の兵が去り、邪馬台国の砦には素佐が凱旋して来た。これを持て囃す人々に、苦い顔を見せる真木であったが、戦勝に湧く人々に為す術が無かった。 「真木、それに素佐。此度は大儀であった。奴国の兵が去り、投馬国も止まることになろう。これで、この数年この国を悩ましていた厄災も無くなった」 「姉君、心安らかにお過ごし下さい」  殿舎の中で交わされる姉弟の会話を、真木は苦々しく聞いていた。この後、戦勝の祝宴があるのか素佐が直ぐに去り、二人残された殿舎で日神子から声が掛かった。 「真木、此度の戦において、素佐の行いを責めないでくれ。数多の人々を殺めたことは、我も心内を苛まされておる。なれど、この国の民人があれほどに狂喜しているのを見ると、罪を問う訳にはいかぬ」 「軍の法において、上位に立つ者の命には絶対服従が鉄則だ。これに従わぬ時には、死罪が相当する」 「真木の言う通りじゃ。だが、今の素佐に罪を与えれば、民の心が離れてしまう。ここは、我の一人の弟を許してくれ」 「そこまで言われるのなら、仕方が無い」 壇上で頭を下げる日神子に、真木は憐憫(れんびん)の情を感じていた。 「ただ、今日より我は神殿に籠ることにする。以後、表には現れぬゆえ、我の言葉を臣や民に伝えるのは真木のみとする。故に、真木の住いも宮殿の一郭に移せ」 「それは多くの命を奪った償いか」 「その通りじゃ。それに、もう一つ頼みがある。それは、素佐のことじゃ。小さな頃より粗暴な振る舞いを見ているが、今、素佐が畏敬の念を抱いておるのは真木だけじゃ。そこで、民の心が判り、上に立てる者に育てて欲しい」 「そなたのたっての願いだ。出来ることはしてみよう」  まもなく日神子が十数人の女官と共に神殿に移り住み、伝奏役として真木の務めが始まった。  神殿に籠り日を崇める日神子の姿が幻影として諸国にも伝わり、邪馬台国の持つ武と合わさった威厳が、この地帯一円に平安な暮らしをもたらした。  数年後、真木は大官となる伊支馬に任じられている素佐と主立つ臣に魏への朝貢を持ち掛けた。これは、かつて奴国が朝貢し魏の力を背景として強大になった経緯が、日神子の願いとなり、今の平穏を確実なものとする真木の思いでもあった。談合は直ぐに結実し、日神子の裁許を得ると使節団の編成と親書の作成に取り掛かった。長には日神子の信任の厚い難升米(なしめ)を当て、親書の完成を見ると献上品を持たし大陸へと送り出した。魏の明帝に拝謁した難升米は、親魏倭王卑弥呼とする詔を持ち帰り、魏との親交に大役を果たした。  いよいよこれで俺の役目も終わりか、真木は数年前に鏡の光に導かれて這い上った那津の浜に、一人で寝転び蒼空を眺めていた。あの米軍との戦争はどの様になったのか、そして日本は、故郷である広島は。懐かしい思い出が脳裏を駆け廻っている。ああ、もう一度、あの時代に戻ってみたい。 <そうだ。日神子の神鏡は来世との繋がりがあると言っていた。上手くすると戻る手立てがあるやも知れん>  真木は、思い立つや一機に駆けだし砦の神殿へと駆け戻った。 「そなたは俺を元の世に戻せないか。この地では平穏を成し遂げ、俺の役目は全て果たした。俺は元の世の行く末を確かめたい」 「そんなに戻りたいのか」 「そうだ」 「真木を失うのは、この国にとっても、また我にとっても無念この上ない。なれど、元の世を思う真木の心には勝てぬ。ならば、昼と夜の同じくなる日の夜を待て」
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