神と暮らした男 全文

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 あの駆逐艦の出航地であった呉市を訪れ、中学時代の友人を訪ねた。その友人の紹介で市内の工場に勤め始め、二年が過ぎ去った。しかし、安穏とした生活に堪えきれず、この年の秋分に再び博多に行った。人影が見られない夜の砂浜には、元の世に戻ったあの日と同じ様な月が夜空に輝いている。そこで、意を決した真木は、小鏡に月の光を受け海面を照らした。すると暗黒の海中から同じ月の光が浮かび上がり、真木の体を包み込む様に照らし始めた。 「何だ。あの時に我が身に起こったことと同じじゃないか」  自分自身に語り掛けた時には、鏡を手にした少女が見つめる砂浜に姿を現していた。 「真木様に、ございますか」  少女が語り掛けて来た。 「お前は、だれだ」 「私は、壱与(とよ)と申します。伯母様には昼と夜が同じくなる日の夜に月の明かりを鏡に映し、海へと送れば何時かは救い人が現れると教えられていました」 「何だと。その伯母とは日神子か」 「既に御隠れいたされましたが、日神子女王にございます」 「俺は元の世に戻り二年しか過ぎておらぬ。日神子は、いつ亡くなったのか」 「この世の歳月で三年前にございます。また、女王から聞いておりますが、真木様が元の世に去られた年からは、既に十二年余が過ぎ去りました」 「元の世の二年が、十二年か。時の移ろいが早いものだ。ところで日神子は、どの様にして亡くなったのか」 「御隠れされます年に、天空に輝く日が突如黒影に覆われ、これは我が身の終焉をもたらす凶事じゃと申され、自ら御隠れなされました。今では、天照す神の凶日と民が恐れております」 〈日食が起こったのか〉 「そうか。あのお方なら、仕方なかろう」 「それで、その後には素佐様が王になられましたが、南方の狗奴国との戦で亡くなられました。昨年、私が王を継ぐことになりましたが、いまだ狗奴国との諍いが尽きず、周りの国にも争いが起こっております。そこで、日神子女王に聞かされていた救い人の当来を願って、ここに来るのも今宵で三度目にございます」 「そちは幾つになる。私は十三で王になり今は、十四にございます」 「その鏡と首に吊るしておる勾玉は、日神子の物か」 「はい。お隠れになる前に、日神子女王から授けられました。それで、ここにお持ちした宝剣も女王から預かった物にございます。真木様がお戻りになれば、お渡ししろと申し付かっております」 〈何と、これで三種の神器ではないか。それに、日神子が天照す神とは。正に、神話とは、こういう話なのかと心の内で呟いていた〉 「ならば、その宝剣は受け取ろう。俺は人を殺めることを好かぬが、素佐も亡くなったとなれば、その狗奴国にも威を示さねばならぬ」  宝剣を受け取った真木を見ると、壱与が後方の林に向かって呼び掛けた。すると十人ほどの兵が駆け寄って来た。 「そちらは覚えておろうが、ここにおられるのは真木様じゃ」  月明りに照らされた真木の顔を見た兵の幾人かが、拝跪(はいき)し他の兵もこれに倣った。 「真木様、よくぞお戻り下されました。かつてのご尊顔を拝謁し、これに勝る喜びはございません」  真木が初めに鍛錬した兵が、砂浜に這いつくばりながら話した。 「おお、息災の様だな」  真木は鷹揚に答えると、全ての兵が頭を垂れていた。 壱与と並んで宝剣を腰に差して歩く真木の後には、隊列を組んだ兵達が従っている。砦に戻ると、先ぶれを走らせていたこともあり、篝火が焚かれた広場には臣や兵達が整然と並んでいた。 宮殿の入り口に立った壱与が、これらの人々に向かって宣言した。 「日神子女王を支え、かつてこの国に平穏をもたらした真木様がお戻りになられた。今日より、大官である伊支馬に任じ、再びこの国に平穏を取り戻して頂く」  居並ぶ人々から歓声の声が上がった。真木は、篝火に照らされた人々の顔を眺めていると、何か騒めく気分を胸中に感じていた。  翌朝、早速に殿舎へ臣や幾人かの兵を集め、狗奴国との諍いについて問いただした。それらの者の口からは、素佐の専横と狗奴国の王である卑弥弓呼(ひみむこ)の強靭さが語られ、素佐が横合いから強襲されて命を落としたと伝えられた。 〈まるで、桶狭間ではないか〉  真木は、唸って聞いていた。 「ならば兵制を改める」  かつて真木が直接に鍛錬した兵達を集め、矛の隊、弓の隊、剣の隊、偵察の隊を編成させ、それぞれに武具の鍛錬を命じた。所謂、専門部隊であり、それらの隊の特技を生かして配置する戦法を考えていた。また鍛錬の途中には図上訓練も重ね、集団戦の戦いを示した。その様な日々の中で、製鐵に加え鋳造を改良するため鍛冶師には技を教え、剣、矛、矢尻の工夫をし、強度も増させた。更には民人の暮らしを支える農産には、乏しい知識の中にも小魚や尿(いばり)を肥として使わせた。  全てが整った翌年の春、兵を集めた真木は南の狗奴国に向かった。偵察の隊を先発させ、国境に至ると狗奴国の兵の配置を地面に書かせた。 「ほう、これほど兵を伏せておるのか。卑弥弓呼は中々の者だ」  広い原の右手にはこんもりとした木々が生い茂り、左手に当たる小高い山並みには幾つかの谷間がある。正面に居座る多くの兵の他に、その両方にも兵が潜んでいると、偵察の兵が伝えた。 「剣の隊は、二つに分かれよ。一つは、右手の林を回り込み裏手より伏兵を追い出せ。もう一つは、山並みを登り、山上から打ち掛かれ。伏兵は前のみを見ており、後ろから襲えば、手も無く逃げ惑うはずだ。ただ、深追いはせず、追い出すだけで好い。俺は主となる矛の隊と弓の隊を連れて、正面の兵に対峙する」  狗奴国とほぼ同数となる三千の兵が向き合った。前列には矛を構えて整然と横に列を成す隊列に、その後ろには弓を手にした兵が控えている。この様な兵達を見ているのか、狗奴国の王は動きもしない。じりじりと時間だけが流れる戦場に、突如、林と山間から同時に嬌声が湧き上がった。すると、林と山間から走り出た兵が、逃げ惑いながら正面の集団に入り込んだ。集団が乱れ始めたのを見た時、真木は宝剣を振り上げ矛隊に前進を命じた。 「エィ、エィ」と声を揃え、矛を前に突き出しながら進む、隊列の後ろからは弓隊の放つ矢が空気を切り裂く様に飛んでいる。これに対抗して狗奴国の兵からも矢が放たれるが、飛距離が短く届かない。一人、二人と次々に矢を受けた兵が蹲まるのを見ていた狗奴国の王が退去の命を下している。 「ここまでだ。深追いはするな」  真木は、命じた。   その日の夕刻、降伏と和平を求める使者が真木の元に訪れ、邪馬台国の勝利で戦が終結した。
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