後と今

3/4
前へ
/146ページ
次へ
華やかだけど煩くはない、しかし唐突に商談が始まって一つ二つとセリの作品が売れて行く。 どんなに美しく描けたとしても売ってしまえはそれは他人の物になる。生きる為に手放す、画家とは身を切り売る職業なのだなと思った。 そしてある事に気付く、それはセリの機嫌が良い理由。 これは憶測でしかないけれど多分……どこへ行くにしても、着飾らせて連れ出したむつみを連れて帰る事が嬉しいのだと思う。別ればかりを繰り返す彼が唯一連れて帰れるのが自分。そうじゃないかと思うとあれこれ買い与えようとするセリを無碍に止められなかった。視線のずっと先で人に囲まれたセリがきょろきょろし始めた、むつみを探しているのだろう。そろそろ側に行った方がいいかと近くを通ったウエイターにシャンパングラスを返し、壁から背中を引き剥がしたその時、左側から大きな衝撃を受けたのだ。 「……ーーッ、」 「あぁッ、スーツが!なんて事だ君!」 突然目の前を遮った人影とぶつかり、弾かれる様にその場へ尻もちを着いてしまった。見上げた先にいたのは手持ちの赤ワインを盛大に胸にぶち撒けた中年太りの脂下がった男で、こちらをじとりと見下ろす不躾な視線に背筋がふるりと震えた。 「どうするんだねこれはッ!度々酷い目にッ、クリーニング、いいや弁償はいい……どうだ、君少し付き合いたまえよ」 「すいません、俺ッ……つ、連れがいるので!」 「謝罪する気はあるのかね?素直に付き合いなさい、悪い様にはしないから」 見なさいと太い指が赤く濡れた胸元を指す。腕を力一杯引かれ仕方なく立ち上がると、腰を抱こうとしたのかぬるりと手が伸びてきて反射的に飛びのいた。これはちょっと不味いな、どうやって切り抜けようかと思案した時、ぽんと肩に乗った重みと人の気配に気が付いて隣を振り返る。 そこに立っていたのは背の高い短髪黒髪の涼しい目元をした男性だった。 「どうも。俺の連れに何か用ですか」 「あ、ああ君は!そうか君の連れか、これはすまない。失敬するよ!」 驚いた事に脂下がった男は、むつみの隣に立った男性を見るなり顔色を変えてあっという間に退散したのだ。そのタイミングを見計らった様にもう一人男性が側にやって来る。 「上手く追い払えた?」 「ああ、もう大丈夫だろう。あのおっさん相変わらずだなまったく」 どうやらこの人らはさっきの中年男性と面識がある様だ。後から現れた男性は、寄り添う男の側で咲き誇る白い花の様な人だった。放心していると白い花の人がむつみの腕をそっと摩り、大丈夫かと問うてくる。むつみは視界に触れた彼らの指を見てあっと小さな声を上げた。それぞれの左手薬指に、揃いに誂えられた指輪が嵌っていたからだ。 驚きと興味が勝り、つい輝く指輪を凝視してしまった。 「すいません、不躾に……」 「構いませんよ」 「助けて頂いてありがとうございます」 「大した事はなにも……実は僕も似たような目に遭った事があって」 怖かったでしょうと微笑む彼は一つだけ離れた場所に飾られた絵を指差して、もしかしてあの絵は貴方がモデルでしょうかと言った。むつみは振り返りその絵を仰ぎ見たけれど、自分がモデルかどうかはどうにも良く分からない。 「とても良い絵ですね」 「すいません、俺絵画に疎くて」 「君で間違いないと思う、あれは売らないと話していたから」 セリの近くを通った時そう言っていたと彼は言う、むつみはよく分からないままにそうなのかと曖昧な相槌を打った。背の高い方の男性は口を開けばどの絵も本当に素晴らしい、こんなにも近くで見られるなんて感無量だとセリを褒めっぱなしだ。そんなに好きならば声をかけに行けばいいのに、白い花の人曰く好きが過ぎて声などかけれないのだと言う。 「彼がセリさんの大ファンで、今日はたまたま行けなくなった友人からパーティーの招待状を譲ってもらったんです」 「にしても、最近のセリの作風は少し変わったな」 「……ーーーへえ、どんな風に?」 「…ーえぁッ、セリ、本物ッ!?」 のんびりした声が鼓膜を震わせ次いで背後から伸びた手に引き寄せられる、ふわりと香ったのはチョコのような甘い香り。向かい合う彼は突然現れたセリを見て素っ頓狂な声を上げ、むつみは思わずきんちゃんと呼びかけて止めた息と共に声を飲み込んだ。 「さっき変なおじさんに絡まれてたでしよう?声かけるの間に合わなくてごめんね」 「大丈夫、こちらの二人に助けてもらったから」 「そっか、ありがとうぼくの大切な人を助けてくれて。何かお礼をしないとね」 セリがばちんとウインクすると、セリのファンである男性はその風貌からは想像し難い声でびゃっと悲鳴を上げ、それを見ていた白い花の人は楽しそうにくすくすと笑うのだ。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1692人が本棚に入れています
本棚に追加