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峰から峰へ 12 朝きた道をびゅーんと飛んで、小さくぽちょんと見えてたお山が段々大きくなってきた。 「わああああああーーーっ」 ぼくの鉤爪のある手はまだ力が弱くって、大きな大人の身体のひとでちゃんをそろそろ掴んでいるのができなくなりそうだ。 あとちょっと、おうちまで……。 叫びながらぼくにしがみついていたひとでちゃんは、それでも目を丸くしながら、走って消えていく下の景色を見ていた。 ひとでちゃんは海の生き物だから、多分お山へ来たことはなかったように思う。だから、この景色は初めてなんだ。 見慣れた広場には、もう龍の列車が帰ってきてる。 曙紅のお屋敷や坂には、一日のお仕事を終わったおじさん達が見えて、降りてくる皆はおやっとぼく達を見たけど、ぼくは止まらずに、最後の力で坂を飛び越える。 おうちの芝生には、にいにの姿があった。 ぼくは手がしびれて、ひとでちゃんの身体を放り投げ、自分も芝生に転がり込んだ。 「うわあっ」 ぼくはころころしながら人の姿に戻って、ぱっと起き上がった。 離れたところに落ちて、痛そうに声をあげたひとでちゃんの傍には、にいにが立っていた。 野菜やお茶や、他のなにかにする葉っぱを乾かす、吊るす丸籠を持っているから、丹皓にいにの方だ。 「おや、シュカ。シュカが飛んでくるなんて珍しいね。おかえり」 ひとでちゃんは両腕で頭を抱えてうんうんうなってたけど、にいにはぼくを見てにっこり笑いかけた。ぼくがひとでちゃんを向くと、にいにもぼくにつられてひとでちゃんを見た。 「おや、お友達?」 ひとでちゃんは声をかけられて、ふいに頭をあげてにいにを見た。 綺麗な色の髪に、優し気な趣のにいにを、はじめひとでちゃんは目をぱちぱちさせながら見詰めた。でもすぐに気がついたみたいだ。 ひゅっと息を飲み込んで、持ってきた大きなお盆みたいな殻で自分の顔を隠すと、 「に、にこ……?」 秘密の呪文のように囁いた。 そのにいには、 「うん?うん、はじめまして、丹皓です」 呼ばれたことに驚いたみたいだった。そして、 「うわあ、すごい!もしかしてそれ、スカシカシパンの殻?」 ひとでちゃんが顔を隠したお盆に目を輝かせて近付いた。 微笑みかけられて、ひとでちゃんの顔は見る間に真っ赤になってる。 「随分綺麗な形で残ってるねえ。見せて見せて」 「ははは、はい」 にいにはひとでちゃんの手からお盆を受け取って、白い面を指でなぞったり、陽にかざして、名前の通り透かしてみたりして楽しんだ。 「ねえシュカ、この殻からもなにかお薬みたいなのができるかもしれないね。あのう、もし良かったらこのスカシカシパンの殻、譲ってもらえないかな……?勿論、おれからもなにか差し上げられるものをあげるよ。なにかあると良いんだけど……」 丹皓にいにがひとでちゃんに向き直り、控えめに申し出るけれど、殻を失ったひとでちゃんはぼくの背に隠れてもじもじしているばかりで、一向に名乗る気配がない。 大きな体を縮こめて、まるで人の姿でやって来たことを申し訳なく思っているみたいで、ぼくはさっき龍に変化した時のように、胸がもにゃもにゃとし始めた。 なので、 「にいに」 「なんだい?」 思い切ってにいにを呼んだ。背中にいたひとでちゃんの後ろにぱっと回って、 「……にいにのひとでちゃん!」 大きな背中を押して、にいにの前に押し出した。 「え?」 にいには目の前のひとでちゃんを見た。 微笑んだまま顔を見て、胸のへんを見て、身体全部を見て、また顔を見た。 その間、心はここではないどこか遠いところに行っているみたいだったけれど、この心が、段々ここに戻ってきて、 「……え!!?」 すぐ傍のひとでちゃんを捉えた。 「ひとでちゃん!?あの!?」 にいには思わずスカシカシパンの殻を取り落とした。腕が震え、ぼくが頷くのを見ると、またそれを確かめるようにひとでちゃんに目を移す。 「本当に、あの時の……?どうして?」 にいには微笑んでいるのだけど、なにか、奇妙な瞳をしていた。 あれから何年も経っているのに、しかも、人間の姿にもなっている目の前の男の人が、あのひとでちゃんだと言われても、信じられない、そんな思いなんだろう。 どんどん無意識に近付いていって、ひとでちゃんの瞳の色や、眉毛の形を見ているみたいになった。クサイロハヤブサヒトデだった時の、あの草色みたいだったりするかな。 そのひとでちゃんは、顔を隠せるスカシカシパンがないので、真っ赤な顔のまま、 「そそ、そうです……草隼(そうじゅん)と申します。あの時のひとでです……渡りをせずに良くなるように、丈夫な身体になりたくて、お願いを叶えてもらったのです……」 しどろもどろだった。 「にこに……逢いたくて……」 話しているうちに段々半べそになってきたので、ぼくはどきどきした。 坂の下から皐羽(さわ)にいにもあがってきて、「あれ誰?」という顔になる。 「でも……まさか人間の姿になってしまうなんて思わなくて……申し訳ないのです……」 身体を縮こめて詫びるひとでちゃんの二の腕を、丹皓にいには急にがしりと掴んだ。 それは少し痛かったみたいで、ひとでちゃんはびくりとして、涙をひっこめてしまった。 「そんなこと、気にしないで」 にいには優しい声で、 「おれも……逢いたかったよ、ずっとずっと……」 と言った。 その通りだと思う。 にいにはひとでちゃんを救えなかった、と思って、広い世の中の色々なものを集めて、お薬やなにかを造ろうとしているんだから。ずっとずっと。 にいにがぼくくらいの小さな頃から、こんなに大っきくなるまで。 にいには、ひとでちゃんの二の腕を掴んだまま引き寄せて、離した腕をひとでちゃんの背中に回した。その大きさや厚みを確かめるようにしっかりと掌で触れて、 「生きていてくれたんだね」 ひとでちゃんの肩に自分の顎を乗っけた。 ひとでちゃんは直立して、感激していたみたいだったけど、その様を離れたところから見ていたぼくには少し、判ったことがある。 隣の皐羽にいには、むむっという顔をしていたので、ぼくよりもっと判っているだろう。 丹皓にいには、まるで獲物を捕らえた獣みたいな強い瞳をしていた。罠を張って待ち焦がれていた獲物がやっとかかってくれた、というような。 それはとても綺麗な姿なんだ。
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