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峰から峰へ 15
僕は隣で大いに狼狽えている曇兄さんを眺め、これまで感じたことのない、微かな不安が胸をよぎった。
兄さんは、僕と一緒になるのが嫌なのかな。
皆が僕達のこと、海辺の父さん母さんみたいだと言ったって、本当に一緒になるのは、訳が違うもの。
胸の痛みを感じつつ見詰めていると、曇兄は赤い顔のまま、兄さん達に訴えた。
「兄貴達の考えは先走りすぎてるぞ!銘珠の気持ちを尊重してくれ!」
曇兄の視線が一度、僕を向いた。僕の胸は跳ね上がる。
何故か兄さんは少し苦しそうだった。
疑問に思うより早く、曇兄の目は兄さん達の方へ戻り、
「銘珠は、他に想い人がいるんだ。俺なんかと一緒にさせられたら困るに決まってる!」
語気を強めて言い放った。
僕は話が突然自分のことに及んで、しかもそれが根も葉もない嘘っぱちだったことに面食らい、
「「「はあ!!!?」」」
思わず叫んでしまった。
その瞬間、僕と同じく黄河兄さんと曙紅兄さんも叫び、三人から驚きの反応を受けた曇兄自身もまた、
「えっ!?えっ??」
怯えたように身体を仰け反らせた。
ウォルフだけが呑気にお弁当を食べ続けている。
「そうなのか、銘珠!??」
黄河兄さん達に勢い込んで訊かれ、僕は全力で首を横に振る。
「えっ、なに違うの??」
「違うよ!僕はそんなこと一言も言ったことない」
「えええ??だってお前……時折海を眺めたりお山を見上げたりしながら切なげにしてるじゃないか!俺はてっきり、誰か意中の奴がいるんだろうって……兄貴にも言ったぜ、なあ」
混乱をきたしたらしい曇兄は兄さん二人に助けを求めたけれど、兄さん達からは「お前の勘違いじゃね?」という訝し気な視線しか返ってこない。
僕は、そんな僕の話を兄さん達がしていたということに唖然としつつも、曇兄が僕のことをそんなに良く観察していたんだ、とむずかゆい気持ちになったし、その解釈の仕方が突飛過ぎて、おかしくなってきてしまった。
「どうしてそんな勘違いするの?」
「だよな!?ほら!」
「勘繰りすぎだ」
僕が笑いながら言うと、黄河兄と曙紅兄にも責められ、曇兄はたじたじになっている。
その様が、大きな身体なのにとても可愛らしく、僕は思わず微笑んだ。
「ふふふ」
「な、なんだよ」
「僕は、兄さんの他に好きな人はいないよ」
++++++++++
「兄さん、これ見る?」
「?」
「見ても良いよ」
僕達から婚約の約束を取り付けた兄さん達は、空になったお重を手に上機嫌で月灯りの中を帰っていった。
にまにまとしているウォルフを置いて、僕達も学び舎を後にした。
僕は縁側に曇兄を引き留めて、奥からある物を持ち出してきた。
所々錆びた小さなブリキの缶は僕の宝箱で、小さい頃から今までの間に、自分で拾ったものや兄さん達、または甥っ子達がくれた様々な物が詰まっている。
僕はこれをこれまで曇兄に見せたことはなかった。
何故って……。
「……うわ、懐かしいもんばかりだな」
「覚えてるの?」
「もちろん」
冷えた麦のお茶を盆に乗せて運び、曇兄の傍に僕も腰掛けた。
兄さんは小さな桜色の貝殻や、木彫りのふくろう、浜辺に流れてきた硝子の小瓶など、何の変哲もないひとつひとつを、目を細めながら月明かりにかざして眺めていく。
僕の宝物の大半は、曇兄が僕にくれたもので、僕はそれらをとても大切にしていた。
僕への贈り物。
「これ何だ?なにか入ってる」
「琥珀っていうんだって。丹皓と皐羽がくれたんだ、中央のお土産」
かえで蜜の固まったような色をした石を目の高さまで持ち上げると、曇兄は目を丸くした。
「へえ、すごいなあ。甥っ子達は本当に珍しい物を知ってる」
「そうだねえ」
僕達は揃って感心する。
僕の宝箱を覗いて、海辺ですぐに見つかる貝殻達に目を輝かせてくれたちび達は、段々と僕達などより多くの珍しい物に触れ、広い世界が見えてきているんだなあ。
それは、羨むというよりは、なんだか誇らしいような気持ちに近い。
僕達龍の世界は、少しずつ広がっているんだ。
「兄さん」
改まって呼ぶと、兄さんは手元から目をあげて僕を見た。
「僕が時々気になっているのは、僕の片割れだった子のことだよ」
その言葉に、曇兄はほんのわずかに眉をあげたけど、すぐに、
「そうか……」
腑に落ちたように何度か頷いた。
そして手の中の桜の貝殻を親指でそっと撫でた。
「丹皓と皐羽を見てると思うんだ。僕達もこうやって生きることができたのかな。どこかの世界で元気でいたりしないかなって……。でも、不思議なんだけど、ずっと近くに、いるような気持ちもするんだ」
「そばに?」
「そう。幸せな気配を感じるんだ。見守ってもらえてるような」
「そっか……」
自分の思い過ごしかもしれないけれど、ここ何年かずっと、そんな柔らかな気配を感じることがあった。
例えば、甥っ子達が思いがけず僕を助けたり励ましたりしてくれる時のように、自分の内に、自然と心強さを得るような。
僕は片割れのことを思う時と同じように、今は月に照らされた穏やかな海を見詰めた。
心なし、今夜は波音も静かだ。僕達が大切な話をするのを、促しているみたいだ。
「なので、僕は、他に想いを寄せている人は居ません……」
一言ずつ口にすると、話を蒸し返された兄さんは、苦虫を噛み潰したような奇妙な表情になっていく。
覗き込んでみると、照れるのを必死で隠しているようにも見え、
「……それだがな。お前は本当に良いのか?相手が俺なんかで勝手に決められて。兄貴達のことだから、直接は言わなかったが……」
何を期待されてるのかは判るだろう。
兄さんは言外にそう問いかけていた。僕は頷いた。
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