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16 曇(くも)
峰から峰へ 16
曇(くも)
銘珠(みんす)は龍にしては珍しい、男性の外見を持ちながら子を成す力を宿している個体なのだ。
俺は照れ隠しの気難しい表情のまま項垂れ、頭を掻きむしり、
「……兄貴達に悪気はないんだろうが、若干良いように使われてるような気がしないでもない」
唸った。
俺はその言葉を、己が直接兄貴達にぶつけずに済んだことに、心底安堵している。
銘珠の想い人については、俺の早とちりだったみたいだが、それにしたって、随分虫のいい話のような気がする。
訳の判らない感情が渦巻いて、俺は銘珠を見ることができずにいたが、
「そりゃ僕達にこの話を持ってきたのは、僕の身体のことも関係ない訳じゃないだろうけど」
丸まっている俺の背なに、銘珠は掌を添えて、背骨に沿ってそっと撫で降ろしてくれる。
俺のざわめく気持ちを落ち着けてくれるように。あやすように。
弟の掌の温もりが我に返らせてくれる。
銘珠はそのまま言葉を続けた。
「さっき曇兄も言ってたけど、兄さん達はよくよく考えて、今日、僕達のところに来たんだ。それは余程のことだよ。これまでの暮らしを変えていくのはとても大変なことだ」
「ああ……」
「曇兄、曇兄が僕のこと色々気を配ってくれてたの、痛いほど知ってる。ありがとう」
「……」
「僕が自分の身体のこと嫌いにならないで済んだのは、兄さんのおかげだよ。護られ過ぎて、ちょっと過保護っぽかったけど」
銘珠にくすりと笑われ、俺はかっと身体が熱くなった。
過保護だって?
そんなことない……でも、少しだけ構いすぎていたのは認める。
「この身体だったからできなかったこともあるけど、できたこともある。漁には連れてってもらえなかった代わりに、兄さんの身の周りのことをしてあげられた……これからもそうさせてね」
銘珠の労るような声音に、今度は俺の胸に灼けつくような痛みが走る。
奴の身体に対しての俺の振る舞いを、銘珠自身がどう思っていたのか、聞くのは少し怖かった。
俺が、銘珠を正直持て余していたのを、奴はちゃんと判っていたのだ。そのことに申し訳なさを感じていたことも。
多分。
俺は萎れたようにのろのろと顔をあげ、銘珠のほっそりとした指先から首元へ視線をあげていく。
そろり、とその瞳を見ると、銘珠は俺をひたと見詰めていて、俺は怯んだ。
その感情が伝わったのだろう、銘珠は唐突に俺の腕を掴んだ。
強い力で引き留めるように。力の限り引き寄せるように。
翳りのない、純粋な瞳に見詰めてもらえる程の立派な奴などではないのだ、自分は。
だって……。
俺は無意識に身体を離そうとする。
「良いように使われるってことが、兄さんと一緒になれるってことなら、僕は喜んで使われるよ」
「お前……」
「僕の願いが叶うなんて夢みたい」
腕を掴む力強さとはうらはらに、みるみる目元が朱に染まり、瞳が潤むと、銘珠はとても美しく見えた。
そのまま、潤んだ瞳から涙が零れ落ちてきたら。
そう考えたら、俺はいてもたってもいられず、
「そ、そりゃ俺だって、俺だって……」
口を開いた。
銘珠が今打ち明けてくれたことは真実なんだろうか?
銘珠も、俺のことを?
俺と一緒になる話は嫌じゃあないのか……?
考えが纏まらない。
けれど、今目の前の銘珠の涙を止めてやらなきゃならない。
俺も話さなくては、本当の気持ちを。
「ずっと誤魔化してきたんだ……今のままが一番だって……」
俺の大切な、美しい弟が悲しい気持ちになったら、俺の世界は荒れ狂い、壊れてしまう。
「気立ての良い弟と一緒に、ここを護っていけたら充分だ、って思ってた。でもほんとは違う」
不思議なことに言葉を紡いでいくうちに、己の中の迷いの霧が段々と晴れていくのを感じる。
これまでだって幸せだった。
これ以上望まなければ、仲の良い兄弟として、ずっと暮らしていけるだろう。けれど。
「お前を思いやって、護るのだからと傍に置いたのは、俺が、お前と一緒にいたかったんだ。……お前と一緒になれたらどんなに良いだろう、ってずっと思ってきた」
おずおずと銘珠の頬へ手を伸ばした。掌で不器用に頬を包み、親指で目の端に溜まっている涙を拭ってやる。
「俺の方こそ、夢のようだ。嬉しくてたまらない」
銘珠が瞬きをするたびに、睫毛に小さな涙の粒が弾かれて、その表情が輝きを増していくようだ。
頬も見る間に桃色に染まり、触れた箇所が火照っていくのを感じる。
「曇兄」
その柔らかな声が弾んでいるのも判った。
それらが、俺の告白がなさしめた劇的な変化である事実に、俺の方こそ舞い上がってしまいそうだ。
「銘珠」
両の二の腕をがしりと掴み、俺達はしっかりと向かい合う。
「一緒に、なるか」
「うん」
笑顔で問うと、笑顔で頷かれた。
さっきまで泣き顔でいた弟を笑顔にできたことに俺は嬉しさと、愛しさが募って、強く抱き寄せた。
「わ」
銘珠は小さく声をあげたが、黙ってされるままになった。
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