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峰から峰へ 17
一緒に漁に出る弟達ならば、舟でふざけあって抱き付いたり、裸で泳いだりは普通にするが、この細っこい弟を抱き締めたのは、いつぶりだろう。
とてもとても小さい頃が、最後だったんじゃないか。
それきり、俺は銘珠をこうして抱き締めたことはなかった。
ひとたび触れてしまえば、俺は己の内にある本当の感情に気付いてしまうから。
厳密には血は繋がっていないけれど、これまで兄弟として支え合ってきた関係を、俺の邪な心がぶち壊してしまうだろう……だから俺は、自分の気持ちをずっと見ずにいた。
いつまでも海辺の頼れる兄達として、父性と母性の象徴として、傍にいられれば良いと思っていた。
けれど今、こうして銘珠の身体はこの腕の中にある。
俺達のかたちをぶち壊したのは、慕情じゃなくて、ちょっと勝手な兄達だ。
まさしく、良いように動かされていく自分達を思って、俺は皮肉めいて鼻を鳴らした。
いつから見透かされていたんだろうな。
銘珠が小さく身動ぎし、よそ事を考えていた俺の思考を呼び戻した。
愛しい身体を抱き締めている喜びを再認識すると、俺は掌から、触れ合わせている胸元から、火のついたように熱を感じ始めた。
熱い身体。
そして柔らかい。
頭を動かし、間近で見詰め合う。
ただの暗闇ではない、深海の蒼を湛えた瞳に吸い寄せられるように顔を近付けると、銘珠は一瞬身体を強張らせた。
嫌な思いはさせたくなく、真意を確かめたくて瞳を覗き込むと、銘珠は戸惑いながらも、ゆるゆると目を伏せた。
そっと唇を触れ合わせ、意志をもって強く押しつけると、銘珠もぎこちなく応えてくれる。
銘珠の服の感触、身体の線を確かめるように、この手の温度を、銘珠の身体に移すべくしっかりと撫でていく。
慣れぬ仕草で銘珠も俺の背に腕を回し、ぎゅうと抱き締めてくれた。
俺達は、共に同じ気持ちだったのだ。
時はかかったけれど、俺は美しく、愛おしい銘珠の伴侶になれるのだ。
そう思うと、俺の頭は真っ白になった。
唇を頬から耳たぶ、首筋へと滑らせながら、腰の辺りでさ迷っていた掌を、服の内へするりとさし入れた。
「あ」
吐息が微かに零れ落ちて、銘珠が身体を離そうとするのですかさず、抱き込んで肩口に引き寄せた。
「に、兄さん、あの……、僕、まだ……」
髪を撫でてやりながら、
「判ってる。いきなりはまだ、怖いよな」
「ごめんなさい……」
安心させてやる。
そりゃ、やっと気持ちを確かめ合えて盛り上がるところだけど、怖がらせてはいけない。銘珠の身体のことを思えば、俺達はゆっくり関係を育んでいければ良いのだ。
これまでと同じように、これからだってずうっと傍にいるのだから。
「すまん。真っ赤なお前が可愛いすぎてな。今は、こうしていさせてくれ」
「ちょっと、兄さんてば……」
銘珠は照れながらも身体の強張りをとると、俺にくったりと頭の重みを預けてくれた。
「こ、今夜は……」
「今夜は?」
「一緒に寝てくれる……?」
肩の向こうから甘やかな声がして、俺は胸がはち切れんばかりになり、
「え、あ、ああ、もちろん」
自分の方こそ、大いに照れてしまった。
な、なんて可愛らしいのだろ。
屋敷へついて来て、俺が夜具の支度をし蚊帳を張っている間、銘珠は湯を使って戻ってきた。
ぼんやり赤い顔をしてちょこなんと正座をし、俺の働きをじっと見ていた。
風呂上がりの身体をくっつけてひとつ布団で眠るのは、生殺し状態だったけれど、これ以上はないくらいの幸せだった。
++++++++++
翌日、学び舎へやって来たちび達に、俺と銘珠は黄河兄と祥兄のように一緒になるんだ、睦まじい夫婦になるんだ、と伝えると、不思議なことが起こった。
「え!」
「え!」
「まあ!おめでとうございます!」
「おめ、っとっ」
「へえ……良かったな」
「およめたん、なるの?みんす?」
姉の雅や樹解達も喜んで祝いの言葉をくれたのであるが、特に双子達の喜びは尋常でなく、
「わーい!」
「わーい!」
二人は両手を天に向け、くるくる回りだした。
「やったー!銘珠、幸せになるね!良かった!!」
「丹皓達の思った通りだ!!やったー!!」
そのくるくるはしばらく続き、俺達二人の周りを回ったのち、二人が止まった時には、二人は少し成長していたのだ。
背丈だけでなく、顔つきも話すことも変化を遂げており、
「僕はこれまでだって、幸せだったよ」
銘珠の言葉に、
「わかってるよ!」
「わかってるよ!」
二人は飛び出していって、浜辺を駆けまわって喜んでくれた。
俺はついさっきの双子の言葉を胸で反芻しながら、銘珠と顔を見合わせた。
銘珠が眉をあげて驚いた表情になり、俺もはっと気づく。
銘珠、幸せになるね、丹皓達の思った通りだ……。
思った通り?
それはどういう意味だろう。
兄貴達の他に、そう言える存在があるとすれば、俺達をここに住まわせたじいさんくらいなものだけど。
あとは、銘珠の幸せを誰よりも願うだろう、片割れの子供……。
二人は、彼らが戻ってきた姿なのかな。
突拍子もない思いつきだけど、そう仮定するとしっくりくる。銘珠もすぐのその想いに行き着いたみたいだ。
彼らは、子供の姿で銘珠やこの海辺を護ってくれていたけど、そのお役目は果たされたので、大人への成長を始めたのだ。学び舎は、子供の間だけ居るものだから。
彼らは近いうち、姉の雅のように大きくなって、学び舎を卒業していくだろう。
俺達の見たこともない、広い世の中に出ていって、色々なことを吸収していくんだろうな。
龍の半島の、新しい双子として。
俺は彼らにある、これからの時間の永さを思うと眩しいような苦さを胸に抱いたけれど、傍らの銘珠は、自らの思い残しが氷解した柔らかな表情をしていたので、俺も嬉しくなった。
「銘珠」
「なに」
「俺達も、その、婚儀式するか?」
「え!」
嬉しさついでに、水平線に目を遣りながら訊くと、銘珠は一言発し俺を見た。
俺達は、黄河兄貴達に憧れているので、二人が瀧の上を目指した婚儀式みたいなものを自分達でもできたらなあ、と考えた。
でも、ここは海辺だから、海ならではのこと、なにかないかなあ……。
「い、いいよ、そんな改まって」
「で、でもなあ」
確かにこれまでだってずっと一緒だったのだから、大袈裟な式はいらない。
でも俺は、祥兄の花嫁衣裳の美しさを今も覚えていて、あんな風なのを銘珠も着たら、さぞ似合うだろうなと思ってる。
純粋に、俺が見てみたいのだ。
「じゃあ、なにか祝いの魚を獲ってくるから、それで皆で宴を開こう」
「え?」
「ええと……これからの季節だから、オオフリソデウオの王はどうだ?あれなら皆で食えるだろ。群れの中には他の赤身もいるだろうから、色々にして食える。それでささやかな婚儀式にしないか」
勇気をもって伝えたその言葉に、銘珠は涼しげな瞳をぱちくりとさせた。
普段は自分の望みを殊更に主張することのない、慎ましやかな弟であるが、あの夜といい、少しずつ銘珠は自分の気持ちを表に出してくれるようになってきている。
今もそうで、見詰めていると、その頬をみるみる薔薇色に染め上げて、
「うん」
大きく頷いた。
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