19 皐羽(さわ)

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19 皐羽(さわ)

峰から峰へ 19 皐羽(さわ) 皐羽たちが学び舎に到着した時、もう曇たちの舟は沖に出ていて、浜辺からは小さな浮きくらいの大きさにしか見えなかった。 「ウール!皆は!?」 「遅いぞお前達!もう始まっとるわい」 朝も早いというのに、珍しくウールが起きているのは、きっと曇のことが心配なのだ。ウールは身を縮こめながら舟を指差し、 「どうも、銘珠も舟に乗っとるようだ。何か起きたらしい」 そう言った。 「え!?銘珠も!?」 「なんで?」 「知らんわ。後から起きたら既におらんかった」 「えー」 「えー」 玖恩(クォン)くんたち他の兄ちゃんたちは、上手に舟を操り既に群れの漁を始めていた。 四艘の舟は大きな網の端をそれぞれ担い、少しづつ距離を狭めて網を引き絞りにかかっている。 オオフリソデウオの群れの頂点に立つ、その王様を銛で仕留めて銘珠と婚儀式するよ、ってうみねこが手紙を持ってきたのが夜のことだ。 皐羽たち子供には言わなかったけど、父ちゃんたちは二人が結婚すると決めてから、オオフリソデウオが巡ってきたこの日まで、長いこと待ち焦がれていたみたいだった。 手荷物や、曙紅(しゅうほん)屋敷への伝令で大わらわとしている隙に、皐羽と丹皓(にこ)はひと足先にここまで飛んできた、という訳なのだ。 銘珠も曇と一緒に舟に乗ってるなんて。 目を凝らすけど、人影まではもう見えないので、漁がうまくいっているのかは判らない。 「どうする?見に行く?」 同じように沖を見ている丹皓が訊いてきた。 「もちろん!」 皐羽はとんぼ返りをして龍の姿になった。丹皓を身体に乗っけて沖に浮いている曇の舟へとひとっ飛び。舟には、銘珠が一人乗っていた。 「銘珠!曇は……ててっ」 「丹皓!皐羽!」 丹皓を舟に放り込むと、皐羽は一回りして人の姿に戻る。 銘珠は大波に揺られる舟を操りながらも、必死で海面を探して、 「オオフリソデウオがあまりに大きくて……兄さんがさっき飛び込んでしまったんだ……」 声を震わせた。 「え?大きいてどんくらい?」 「曙紅はたけのお野菜くらい?」 「もう……小山みたいな……」 「ええ!!?」 皐羽達はその答えにびっくりしたけど、青ざめている銘珠の様子をみるに、それは本当みたいだ。 皐羽達も、オオフリソデウオは季節の巡ってくるたびに見たことはある。食べたことも。 でもこれまでの王だって、そんな大きさになることはなかった。 その時、左手側の海面が盛り上がって、波の中からなにかが跳ねだした。 激しい飛沫が身体にも舟にもあたって、ぐらりと傾くのを三人でこらえると、海中から飛び出してきたものを目で追う。さっき銘珠が言った通りの、小山のようなオオフリソデウオだ。 オオフリソデウオの眉間の辺りに、深々と銛が突き刺さっているけれど、曇の姿は確認できない。 「おうーい、曇―!!」 皐羽と丹皓で叫ぶ。曇はどこに行っちゃったんだ。振り落とされたとか?まさか。 銛はしっかり刺さっていた。でもあれじゃ、全然仕留められていない。 一瞬姿を海上に表した王は、再び怒涛のような飛沫をたてながら、海へ潜っていった。 「でかいなー」 「なんで、あんなんなったのかなー」 皐羽達は首を傾げたけれど、理由はなんとなく判る。 これまでだって、とびとびうおがたくさん獲れまくったり、人間界の影響で海は変わってきていた。 オオフリソデウオの王のことも、きっとその影響の一つなのだ。 大きなうねりは四艘の舟や沖から段々離れていく。 このままではこの漁場から出て大海へ向かっていってしまうだろう。 「丹皓!」 「はいよっ」 丹皓が自分の扇を取り出して空中に魔方陣を描き始めると、見る間に光りだした。 うずまきのように描いていると、陣はどんどん大きくなって、分厚い壁みたいになっていく。 「ここまでしかできなーいっ」 「わかったー!」 壁を一つ造ると、丹皓はもう一つ同じものを造り始める。壁を運ぶのは皐羽の仕事だ。 丹皓の造った魔方陣は、双子の皐羽なら軽々持ち上げられるし、穴を開けたり動かしたりできる。 皐羽の釣り竿の針に陣の端っこを引っ掛けると、 「ええーい」 四艘の舟が群れの漁をしている所にめがけて竿を振った。 魔方陣は飛んでいって、うまく海に突き刺さった。これで、舟の皆は護れる。 遠い所で、波の音がひと際大きく響いた。 振り向くと、息を飲んだ。銘珠も目を丸くして海原を見詰めている。 海上から飛び出してきたのは、オオフリソデウオだけじゃなかった。 小山のような王に巻き付いた、黒光りした長い身体。 鱗が海水に濡れて、つやつや輝いて鎧に見える。 「龍だ!曇!」 「曇!」 魚に似て深い蒼をした曇の身体が、オオフリソデウオをぎりぎりと締め上げながら鋭い爪を王の脇腹に食い込ませている。皐羽達は、龍の姿になった曇をはじめて見た。 父ちゃんと同じくらい大きくて、堂々としてすごくかっこいい。 濃い色合いだから、胴体もたてがみも鉤爪もどっしり太く、強く見えた。 銛だけでは駄目だ、と悟った曇は、姿を変えてオオフリソデウオを本気で仕留めると決めたのだ。 「兄さん!」 銘珠の声が風を切り裂いて、曇に届いたみたいだ。 曇が首をもたげ、ひと声啼いた。激しい波の音にも負けない、地響きのような返事のあと、曇とオオフリソデウオはまたも波の底に沈んでいった。 「兄さん!兄さあん!」 「まてまてーい」 舟の縁に身を乗り出して、銘珠は今にも自分も海に飛び込みそうな思い詰めた瞳だ。でもそんなことはさせるもんか。 曇の漁を助けるために、皐羽達はひと足先に飛んできたのだ。 丹皓がもう一つ造っていた分厚い魔方陣を、釣り竿で持ち上げる。 王と龍のために、ざぶざぶ揺れている波間へ放り投げた。ちびの時から、こんな日が来ると思って釣り竿捌きだけは練習してきたんだもんね。 海底にちゃんと刺さったのか、丹皓の魔方陣はびくとも揺らがぬ曇の盾になった。 オオフリソデウオは深手を負いつつも身体をしなやかに左右に揺らし、曇を引き剥がしにかかっていた。 けれど、突然行く手に現れた分厚い壁にぶち当たると、弾け飛ぶような重い轟きと水しぶきを辺りに飛び散らせ、見えなくなった。 大粒の飛沫を浴びて、皐羽達も銘珠もぐっしょりだったけど、銘珠は舟を操り、果敢にも王が沈んだ傍へ舟を走らせた。 大波をいくつも乗り越え向かうけど、海面の下でまだ何か動いているのか、先へ進めなくなった。仕方ないので大きな流れに沿って走ると、それは学び舎のある浜辺の方角へ向かっていくのだと判った。 群れの漁を終えたらしい四艘舟も、無事岬の方へ戻っていくのが見えた。 海面が持ち上がって、龍の頭が現れた。 曇はオオフリソデウオの頭に歯を深く食い込ませ、胴を巻き付かせて鰓の動きを封じると、力わざで浜まで引き摺り上げた。 双方とも血みどろで泥砂まみれで、浜はみるみる赤く染まると、むっと血の匂いが漂い始めた。 銘珠も慌てて、浜へ舟を乗り上げる。小岩や硬い貝殻が底につこうがお構いなしだった。 「さ、皐羽~、丹皓はもうねむたいよー」 小山ほどもある魔方陣を二つも造った丹皓は疲れ果て、背中越しにごにょんごにょんと呟いた。その声を聞いて、皐羽もがくっと身体の動きが落ちてきた。 「ううーんん、皐羽もねむたいなー……」 皐羽だって、あんな大きな魔方陣を釣り竿一つで操るのは大変だったんだもんね。……「この小さな身体」にしては、頑張りすぎた。 舟を浜まであげて、駆けていくと、 「兄さん!曇兄!」 濡れた砂に跪き、銘珠はぐったりとした曇の首元にとりすがった。銘珠の声に気付くと、曇はゆっくりと目を開けて、銘珠を見詰めた。 舟の縁に寄っかかってその様を見ていると、学び舎からもウールと、やっと到着した父ちゃんや母ちゃんが向かっている姿があった。 遅っそ! 遅っそい、父ちゃん。皐羽と丹皓が魔方陣を造って飛ばせなかったら、どうするつもりだったのだろ。 傷だらけの曇が、泣いている銘珠の髪を慰めるように髭で撫でてやるのを目にすると、皐羽はほうっと息をついた。 やれやれ、曇も大丈夫みたいだ。 銘珠の願いを、皐羽も少しは叶えられたかな。 そう思うと、安心して、すっとねむたくなった。
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