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峰から峰へ 2
この時期の半島や人間界の熱気が、ここ中央では季節が一定なため感じられず、足を踏み出した途端にすうっと冷気に包まれる。
いつでも暑くもなく寒くもなく、快適だ。
素直にそう思う気持ちはあるが、どことなしに作り物めいた世界だ、と空々しくも思う。
陣の出口は三座(さんざ)の塔の中で、今日は殊更涼しく感じる。
「ここんとこ、ずっと塔の中に出て来ちゃうなあ」
「段々、母ちゃんの魔方陣に似てきたからじゃね?」
「そ?そりゃあ嬉しいなあ」
三座の塔というのは、元中央暮らしだった母ちゃんの持ち物で、今は我が家の塔である。
魔界の中央は、議長の強大な結界のために、その中へ魔方陣で入り込むのは容易くない。
けれど、議員の母ちゃんは己の塔へは自由に出入りできる。つまり、母ちゃんの魔方陣が造れれば、俺達でも塔へ入ることができた。
「探せばなにかあるかも。適当につくろっか?」
勝手知ったる塩梅で、丹皓は台所をあれこれ開け始めた。
「う~ん、でもやっぱりここまできたら……」
「「お外に行こう!」」
半島には、上質なお山や川の恵みがあるし、母ちゃんや丹皓、雅(みやび)など家族の作る飯もうまいので、うちはあまり外の飯を食うことがない。
なので「お街」に来た時くらいは、こうして外へ繰り出すのが楽しみなのだ。なんたって食べ盛りだし。
庭の薔薇へ挨拶をしながら敷地を出、いつもとは違ったきらきらしている街をそぞろ歩く。俺は雑誌で見るような格好いい靴や、飛行艇の店を眺めるだけでうきうきとした気分になってきた。
丹皓はといえば、瞳を輝かせるのは本屋や果物の店だったりするが、俺と同じく、大きな街に出て嬉しいみたいだ。
悪魔はものを食べなくても生きられるらしいのだが、ここ中央にはちゃんと食べ物屋があるし、その店のどれもがいつでも悪魔達で賑わっている。
その様は、まるで人間界の人々みたいで、今や俺達魔界の者達と彼らの境界はどんどん感じられなくなってきている。
今日はスープの店で、蓮の穴あき根っこのポタージュと、柔らかな白パンの朝飯。
ちょっと贅沢をして、二人してパンに厚切りハムを挟んでもらう。
広場の一角にあるスープ屋さんは、俺達一家の行きつけのお店で、半島のお水「なみなみ」を使って仕込まれるスープがとても人気があるのだ。
焼き色のついた香ばしいハムに夢中でかぶりつき、優しい舌触りのスープを味わいながら、俺達は持ってきた風呂敷包みを解いた。
「随分大きな角だねえ」
「大人のモンだろうな」
「こいつも不思議だね。葉っぱの途中から、突然新しい葉っぱが出てる」
「茎が全然ない!」
「面白い」
「面白い」
俺達は口々に、角や草の特徴をあげていく。
「きっと、とても珍しいものだ」
「きっとそうだ」
丹皓がそこで、店の外に目を向けた。
奴がなにを、見えないくせに見ているのかは判った。なので俺も、同じものを頭に浮かばせて、
「喜んでくれっかなあ」
パンをかじる。
++++++++++
多くの人々の行き交う広場の奥に、中屋敷(なかやしき)はある。
さまざまな種族が入り乱れる、ここ中央を核とした魔界という国を束ねる議長、それを頂点として議員五角(ぎいんごかく)が、政を行うための拠点としての建物で、通常議長や五角の面々、更に彼らを支える人々が多く詰めている。
俺達がこの瓶を届けたいのは、議長である、おりょうさんという人だ。
建物の扉は開け放たれており、人の出入りは自由にされていた。
それでも、おりょうさんの護りの結界で、建物に入れる人々はその実限られている。
立派な身なりでないただの若者が堂々と入っていくには、ここは少し気が引ける場所なのだが、廊下に溢れる人波の中、赤い絨毯の上をなにかがこちらに向かって素早くやってくるのが見えた。
「きょーだい!」
「素早いねえ」
丹皓が手招きする間にも、そいつはさささ、と俺達の前まできて、「よくきた」と言うように両の鋏をかちかちと鳴らした。
この赤蟹は、俺達の兄弟で、おりょうさんの子どもなのだ。
「今日は、俺達二人なんだ。ごめんよ。樹解(シュカ)は学び舎の日なんだ」
蟹に先導され、廊下を進みながら声をかける。
樹解というのは俺達の弟で、動物や魚や木、建物など、人の言葉を使わないもの達とも、言葉が交わせる。
蟹とも特別に仲が良いものだから、こちらは申し訳ないような気持ちになったが、蟹は「気にするな」という風に鋏を振りつつ、先をゆく。
途中、開け放たれた部屋の前を通ると、
「ああ!良いところに!丹皓!皐羽!」
慌ただしそうな部屋の中から矢のような声が飛んできた。
「あ」
「ゴウさん」
部屋は、議員五角の五座(ござ)であるゴウさんの執務室なのだ。この部屋の中では、俺達が来るたび書類と指示が飛び交い、激しいやりとりをしている。
それは既にお馴染みの風景だったが、
「よ……祥(よし)さんのご機嫌はいかがかな!?この頃は、お時間が空いてたりしないか!!?」
その光景の一端を、実はうちの母ちゃんが作っている。
「うーん、残暑厳しいから、毎日へばってんよ」
「じ、じゃあ、中央へくれば良いのに!快適な土地でお過ごしになりませんか、と伝えといてくれないか!待っているからと!!」
ゴウさんは立ち上がることもできずに、書類の山と格闘していたが、その書類を掻き分けて俺と丹皓にすがりついてきそうな気配を感じたので、
「一応言ってみるけど、期待しないでね」
「また来てみんね~」
俺達は早々にその場を離れた。
確かに、中央へ涼みに来る可能性はある。
けれど仕事をするかどうかは、母ちゃんのことだからあてにならない。
待って待って、と追いすがる声をかわし、廊下をくねくねと折り曲がると、辺りの気配が少しづつ濃くなっていくのを感じる。
見えない薄膜が、徐々に重なり合っていくように、なにかを護っている。みっしりとした繭の中へ分け入っていく。
厚い扉の前まで辿り着くと、蟹が鋏で扉を叩いた。
中から、
「どうぞ」
と澄んだ声がした。
丹皓と束の間、目を見交わし扉を開ける。と、
「丹皓、皐羽」
開いた扉の向こうから、ふわりとしたものが現れて、俺を音もなく包み込んだ。
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