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峰から峰へ 3 「久しぶり。二人とも、元気にしてた?」 清潔な香りと、高潔な気配を身に纏ったおりょうさんは、優しく俺を抱き締めて、同じ速度で静かに身体を離した。 そして、丹皓の身体も同じように包み込む。 改めて、俺達をつま先から頭まで見回すと、 「また、少しせいが伸びたみたい」 ほぼ同じ高さとなった瞳を見詰めてくれた。 おりょうさんは俺達双子のように、うちの母ちゃんとそっくりな風貌をしている。 つやつやとした黒い髪の毛が緩く巻いて、透き通るような白い肌の上を滑らかなヴェールの如く流れている。 長い睫毛に護られた瞳で見詰められ、果実のように紅い唇で微笑みかけられると、みてくれはうちにいる母ちゃんと同じなのに、なんだか背中の辺りがもぞもぞしてくるのだ。 おりょうさんの心の中では、俺達は今でも産まれたばかりのちびすけなんだろうけど、実はもう立派な男子であるので、あんまりべたべたされるのは照れくさい。 正直、ちょっとどきどきするのだ。 「さあ入って。今日こそゆっくりできるんでしょう?」 おりょうさんは心なしはしゃぎながら、中へ入るよう促してくれた。 執務室へ一歩足を踏み入れる。そしていつもの癖で、視線を上へ向けた。 高い天井いっぱいまで、瓶の置かれた棚が連なり、窓からの柔らかな光を反射して、室内に揺らめいた影を踊らせている。 それらはほとんど、俺と丹皓がおりょうさんの命によって世界の各地から集めてきた植物たちが瓶詰となっているものだ。 本来はもっと大きくなるはずの品種であっても、温度や日照など環境が整えられ、おりょうさんの統治している城や、執務室にある瓶の中では、彼らは一様に大人しい姿を保ち、行儀よく慎ましやかな大きさで花を咲かせ、実を成らせている。 ここは綺麗だな。 たとえこの空間が、おりょうさんの望むかたちの、造り物の世界だとしても。 柘榴色の、厚手の布のソファまで駆け上がった蟹に、 「かにさんもお迎えありがとう」 おりょうさんは労いの言葉をかけた。 ソファの傍らには、これまた色とりどりの菓子の盛られた、塔のようなワゴンが置かれていて、 「お菓子より、お食事の方が良かったかな。好きなものを言って。すぐに用意させようね」 おりょうさんはうきうきと笑いかけた。 「生憎、さっき朝飯食べたばっかなんだ」 「ええっ……じゃあ、せめてお茶だけでも飲んでいって。お菓子は、皆へのお土産にして頂戴。ね」 「良いの?いつも、貰っていくばかりで申し訳ないなあ」 「なに言ってるの。私の方こそ、いつも二人にお願い事をきいてもらうばっかりなのに……!」 向かいに腰かけつつ、俺達はさりげなく辺りに視線を走らせる。 もしかして、おもむろに仏頂面の給仕がワゴンの裏から出てきたら居心地が悪いなあ、と不安になったけど、向こうもそんな役回りは御免だろう。 どうやら、壽(ひさし)さんは今日は出てくる気がないらしい。 俺は丹皓と目配せを送り合った。 おりょうさんに香り高い紅いお茶を淹れてもらいながら、丹皓が風呂敷包みの結び目を解くと、角の鉢植えに花を咲かせている植物の瓶詰が現れた。 ぷっくりとした厚手の葉っぱが両手を広げ、その途中から、茎もなくいきなり、また葉っぱが生えてきている。 桃色の花は朝方より大きく開き、おりょうさんみたいな可憐な姿だ。 そのおりょうさんは瓶をみとめた瞬間、 「うわあ……!すごーい……!!」 声を上ずらせて瓶に飛びついた。 「きゃああっ、なんて可愛い葉っぱに花……!丹皓、皐羽!どこで見つけたの!?」 うっとりとした様子でおりょうさんは瓶を撫でさすり、俺達に潤んだ瞳を向けてきた。 二人して、おりょうさんの無邪気圧に気圧される。 割とそうだ。 俺達はいつも、この圧に弱い。 それから少しの間、俺達は地図や等高図を広げてあれこれ言い合ったり、魔力の影響を受けて育ったであろうこの草花について、あれこれ妄想を持ち寄ったりした。 俺と丹皓にとって、両親以外の大人、例えばおりょうさんや曙紅(しゅうほん)、学び舎のウォルフと話をするというのは、ちょっと特別なことだ。 それも両親のいないところで、対等に接してもらえる時というのは、大それた戯れ言を話すのでも、最近のお山のことを話すのでも、なんでもなんとなく楽しい気持ちになった。
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