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峰から峰へ 5
洗濯物を干して部屋の簡単な掃除をしても、今日はまだ時間があった。
本当は母ちゃんのや自分の本の虫干しをしたり、薬草を乾かしたりしたかったけれど、夏の終わりは日射しはあってもまだ湿気もある。
虫干しはもう少し乾燥してからの方が安心だろう。
おれは帰ってこない片割れのところまで降りていくことにした。
冷やして食べる果物やおむすびなど適当なものを持って坂をくだっていく。
曙紅(しゅうほん)屋敷かららじおの音楽が流れてきたので、丁度昼時になったらしい。こんな時間まで何をしているのだろう、と思うが、皐羽の場合は瀧に一日へばりついているのは珍しいことではない。
どうせ夏の名残りにと泳いでいるのだろう。奴は魚釣りが主目的ではないので、水の中を騒がしても構わないのだ。
下り坂の途中から茂みに逸れて、瀧へ向かっていく。
近付くだけで、残暑の熱が薄れていくのを感じる。
思った通り、大きな石の上には立てかけてある釣り竿と上衣とタオルが残っていたので、
「さーわー、どーこー?」
滝の音にかき消されるのは判っていつつも一度呼び掛けた。少し待ってみるが反応はない。
石の上に腰掛けて釣り竿の番をしていると、離れたところにぽっかり皐羽の頭が浮かんだ。おれを見つけるとすいすい泳いできて、ざばりと水からあがった。
「泳ぎじめ?」
下は泳ぐための穿きものだったから、本当に今日は一日家にいるつもりだったのだ。
皐羽はざっと身体を拭いて、上衣を羽織る。乱暴に髪を拭く背に尋ねると、
「ああ。今年も見っけらんなかった、冥土への入り口」
タオルの向こうで表情の窺えないままだが、悔しげな声が返ってきた。
「そんなに簡単に見つかるとは思えないよ。本当に死にかけでもしないとね」
「それか、いーくんの時みたいに、向こうから用事がある時」
「うん」
瀧の傍で遅い昼飯にする。
ある時おれ達は、この瀧壺が色んなところへと繋がっているのでは、と思いついた。
父ちゃんの昔の話やいーくんがこの龍の半島へやってきたこと、人間の国で暮らしてる銀(ぎん)くんや辰沙(ジンシャ)叔父さん達のことなど色んな話を聞いて、導いた仮説だ。
……もし、ここから冥土国に行けるのならば、両親に知られず極東(きょくとう)様に会いに行けるのになあと思い、暖かい季節になると、皐羽や樹解は水に潜って道探しに挑戦する。
けれど、まだそれが叶ったことはない。
「どうやったら冥土に行けるんだろうなあ。なんか手伝って欲しそうだったのに」
「そうだねえ」
昔、魔界の議長・おりょうさんのお屋敷で父ちゃんが死にかけた時のことだ。極東様が、誰も自分の手伝いをしてくれない、と嘆いたので、おれ達は手伝ってあげても良いよと言ってある。
極東様がおれ達に何を手伝わせたいのか、はっきりとは判らないけど、まあ、本当に用のある時は突然連絡を取ってくるだろうので、のんびり待とう。
冥土のあるじにとって、おれ達は結局便利に使える手駒なのだろう。
おれ達の昔の記憶を残したままここへやったのは、いざとなったら兵隊か実験体として呼び出すつもりなのだ。
それが明日のことか、五年後のことか、はたまた五十年後のことか判らないけれど、それは生まれ変わって再び龍の半島にやって来た時から決められた事柄として、おれ達は受け入れている、つもりだ。
「また、あったかくなったら探すぞ。来年こそ見っけたいなあ」
「そ」
皐羽が釣り竿を掴み、立ち上がった。屋敷へ戻るらしい、
「夏が終わり始めたね」
「おう、秋の始まりだ」
おれの言葉に皐羽は頷く。
季節の終わりはもの悲しいものだけれど、前向きな皐羽の言葉は、いつもおれの気持ちも一緒に引き上げてくれる。おれは皐羽のそういうところがとても好きで、かつ羨ましい。
そうだね、夏は終わるけど、それは同時に秋の始まりでもある。
また新しいなにかを探そう。
美しい水面の傍にいると、その底から誰か、違う顔が映り込んでいるように見える時、彼岸が近いせいもあってやっぱりここは冥土と繋がっているのでは、と思うことがある。
でも、まだ、呼ばれない。
おれは逢いたい人がいるので、そちらに行きたい気もするけれど。
「そういえば、母ちゃんが薪割りしてって言ってたよ」
「……お前それは早く言えよ」
……瀧から離れ、屋敷へ向かい始めたら、ふっと朝のうちに言われたことを思い出したのだ。
「大丈夫、母ちゃんきっとまだお山で父ちゃんとデートしてるから」
苦笑いで返すと、
「人ごとにすんな!お前も手伝うんだぞ!」
「ええー」
皐羽は怒り顔で足早に坂を戻り始めた。
おれも後を追いかける。
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