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7 草隼(そうじゅん)
峰から峰へ 7 草隼(そうじゅん)
「お初にお目にかかります」
俺が平伏すると、海の底の朽ちた神殿の奥に住まう主は、しばらくなんの反応も示さなかった。
邪魔にされるでも歓迎されるでもなかったので、もしかしたらこの姿が目に入らなかったのかもしれず、俺は僅かに身体を持ちあげて、
「お初にお目にかかります、渡りヒトデの草隼(そうじゅん)と申します」
と今度は名乗ってみた。
海の底の住人は、今度は微かにフードを被った頭を動かして反応した。声のした方を向き、地面の俺に気がついた。
「何用かな」
低く静かではあったが、感情の籠らない、これからお願い事をするには望みの見込めない、声音である。
俺は早くも怯みかけたが、勇気を奮い起こした。
「あ、あなた様に不思議な力があるという噂を聞いて、はるばるやって参りました。私を丈夫な身体にして欲しいのです」
石造りの階段に五つの脚を目一杯伸ばして嘆願すると、口元しか窺えないままの主は、
「何故だね」
簡潔に尋ねてきた。
俺は興味を持ってもらえたことに心が弾み、
「はい、あの、逢いたい子供がいるのです」
慌てて話し始めた。
地面の一点を見詰めたまま、あの小ぢんまりとした白い浜辺を思い浮かべた。
++++++++++
ひとでとして生まれた俺は、季節に合わせて海の中をたゆたい、行きつけの浜辺や岩場を巡って日々気持ちよく暮らしていた。
渡りヒトデというやつだ。
何年かかけて巡る土地の中に、あの東の白い浜辺があった。
浜辺の傍には学び舎があって、そこに通っている姉弟とひと夏過ごすうち、俺はその浜辺から離れたくなくなってしまった。
明るくて綺麗な浜辺はそれほど居心地が良かったし、姉弟のうち、にこという小さな子供とは特に仲良くなった。
輝く茶色の髪に、海みたいな蒼にも碧にも見える大きな瞳を持った子供は、砂浜で最初に俺を拾い上げ、「にこのひとで」と呼んでくれた。
小さくて柔らかい指で、俺と手を繋いでくれたのだ。
「その子供に会いたいのか」
海の底の主に合いの手を入れられ、はっとした。
今のも合いの手というより、延々と喋り続けられるのは我慢ならん、という風に遮られたのだと気付く。
「は、はい」
急いで俺は話をかいつまむことにした。主の機嫌を損ねてはならない。
子供達と楽しく過ごしたけれど、秋が来て、渡りヒトデである自分は温かい海へ向かわなくてはならなかったこと。
実はにこ達、その兄弟は龍であり、昔からの言い伝えのために、俺の元気が失われてきたのではないかと、にこは気に病んでいるようだったこと。
それは違うのだと伝えたかった。
けれど、俺の言葉が聞こえていると思われた末っ子のシュカはまだちびで、俺の言葉を皆に伝えることはできなかったため、俺達はすれ違ったまま、別れてしまった。
「私は丈夫になって、冬がきても温かい海に渡らなくても良い身体になりたいのです。海の生き物の願いを叶えてくださるというあなた様の噂を聞いて、探しに探しました。随分時間がかかってしまいました」
俺はこの神殿を探した日々を思い返してうるっときてしまう。
探していた間は、あの浜辺に戻ってはいないので、あの姉弟達は、もう俺のことなど忘れてしまっているかもしれない。すぐに新しい遊び相手を見つけて、楽しく過ごしているなら、それで良い。
でも、もう一度だけ、にこの前に姿を現してやりたい。
……君は、俺の寿命を吸い取ったりはしなかったのだと伝えたいのだ。
「龍」
海の底の主が重々しく呟いた。
俺はまた自分が語りすぎたことを反省し、
「は、はい。あの龍の半島の浜辺に戻りたいのです。ぜひあなた様のお力で……」
石の階段にぺったりとひれ伏すと、海の水が微かに流れたのを感じた。
身体がふわりと浮き上がり、自分が海の底の主に摘まみ上げられたのだと判る。
フードの奥に覗いたその顔を盗み見ると、海の底の主は眉根を寄せて、気難しい表情だ。
なにか気に障ることを言ったろうか……。
「渡りをしなくても、良い身体が欲しいか」
「は、はい!」
主の言葉に俺は即座に返答した。
「もし、そんな身体になれたなら、したいことがたくさんあるのです。いつか必ずお礼をいたします」
身体を縮こめてこいねがうと、主は、
「……俺の話はどこで聞いたのだ」
凄むように問いかけてきた。俺は不必要なことを言わないように気をつけつつ、
「は、はい。温かい海へ向かっている間に、実は『旅団』に釣り上げられてしまいまして」
と白状した。
「旅団」というところで、主の瞳は少し大きくなって、その瞳で「先を続けろ」と促してきた。
「『旅団』の人に飼われそうになってしまいましたので、私は先程のような言葉をもって必死に説明をいたしました。すると、旅団の長があなた様のお噂を教えてくださいまして、私を海へ戻してくださったのです」
私は、ここへ来るまでの出来事もかいつまんで話してみた。
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