劇場版機動警察パトレイバー2

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劇場版機動警察パトレイバー2

 機動警察パトレイバーシリーズでも異色である劇場版機動警察パトレイバー2、通称パト2。いうなればこれは押井守の映画です。パトレイバーではなく押井映画。話の展開は一見地味に見えるかもしれない。けれど、絶対に刺さる人はいる、そういう映画です。  私は今やすっかりパト2の虜です。  初見私の感想『ラストシーンがほーーーーんっとによかった。攻殻ほど設定が派手で映えるシーンがあるわけでもないのにあんなに良かったのなんでだろうすごいなぁ。おじさんたちが戦略をぶつぶつ喋ってるだけでも面白く見せられるのほんとにすごい』『パト2の緊迫感が好き。息が詰まりそうになる』  そうです。この時点で私はパト2に脳を焼かれています。初見パト2の衝撃がわかるでしょうか。あの緊迫感に二時間置かれ、呼吸を忘れるあの衝撃が。  けれどこの時点ではGhost in the shellと並ぶ映画にはなりえなかった。  ところがどっこい。  劇場でパト2を見て私はひっくりかえってしまった。これが、『映画』かと。そもそも押井守は劇場で見てもらう前提でパト2という映画を作っているのです。劇場で見ないのはもったいないなんてもんじゃない。そして押井映画は二周が基本みたいなところがあります。いかんせんわかりにくいので。  まず、オープニング。カンボジアでのレイバーの交戦。スコールが劇場の音響によって現実に迫ってくる。この時点で私たちは戦争を突き付けられる。PKOにおいて反撃することができない自衛隊員の柘植は部下を失う。  そのあとタイトルが一面に出されて川井憲次のサウンドが響く。このオープニング、本当に大好きです。押井映画ってオープニングがとにかくカッコよくないですか???  前半はお世辞にも派手とは言えないシーンが続きます。色調は暗く、レイバーは出てこないし何が起きているのかを理解することも易しくはない。親切な映画とは言い難いのです。けれど、徐々に徐々に歯車は狂い始める。日常……様々なものに目を伏せて作り上げられた『平和』がかすかに音を立てて崩れていく。  荒川の突き付ける不正義の平和。そのアンサーとして後藤隊長の「そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺達の仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程マシだ」という言葉がある。誰もが目を逸らしていた今の平和について直視させられる、そういう映画です。私は二元論が嫌いです。だからこそ押井守が淡々と語る論は腑に落ちた。  そんな平和が破られたスクランブルシーンはその緊迫感が頂点に達したシーンでもあります。不明機ワイバーンが現れてから管制、パイロットの声が交互に繰り出される。専門用語が多いためふんわりとしか状況を把握できない私でも初見で緊迫感に脳が打ち震えました。それがハッキングによるものだと知っていても二回目の緊迫感は初見を上回るものがありました。劇場の大画面と音響で完全に鳥肌が立ってしまったのです。ワイバーンがウィザードを撃墜したとされるシーンで脳が痺れました。川井憲次の劇伴もあって非常に素晴らしいシーンとなっています。間違いなく、私の人生史上最高のシーンです。  それから東京に戦車が入るシーンは言うまでもなく素晴らしく印象に残るシーンです。『平和』が蹂躙されていく。けれどそれさえ日常の一部になっていく。少し前のワグネルの騒動を思い出さずにはいられませんでした。街中で戦車と記念撮影をする一般人。まさか本当に現実で見るとは。先見性、というべきでしょうか。いや、このようなことは繰り返されてきたはずです。どこまでも現実に即した虚構なんです。  それに加えて雪。間違いなく二・二六事件を意識していますよね。雪の東京と静かな劇。劇場の冷房も相まって私はすでに雪の東京にいたんですね……。あの雪の東京が描かれなかったらパト2はパト2たりえなかったと思うんですね。  しのぶさんが啖呵をきるシーンもいい。しのぶさんっていつでもカッコいい。堂々と上層部相手に意見をハキハキと、毅然と。惚れますよねあんなん。そのあと感情をあらわにする後藤隊長もいい。  二課が集まるシーンに関してはアーリーデイズの方が好きかもしれないです。裏話を見ると尺の問題で削ったのだとか。見たかったなぁ……。それでも野明の「いつまでもレイバーが好きなだけの女の子でいたくない」ってセリフにやられます。それぞれの決心に涙腺やられちゃうんですよね。  からのラストまでの展開は鮮やかです。まず幻の新橋駅痺れます。押井守の東京への哀愁みたいなものがここに詰まってて好きです。本当にあるって知った時はびっくりした……いつか行きたいですね。  あそこで荒川は逮捕されるわけですが後藤隊長の慧眼に驚かされるばかりでした。そしてまた後藤隊長としのぶさん間の描写が冴えわたってて最高です。  地下通路のアクションシーンはパト2唯一ともいえる派手なアクションシーンです。パトレイバーなのに。アクションシーンとしての出来は最高で、そこからしのぶさんを向かわせる流れが良い。  ぼろぼろになったレイバーと共にしのぶさんは地上へ上がる。そうしたら鳥がいっせいに飛んで……あれはもう宗教画ですよ。柘植との幻に関する会話。ここ頭がふっとびそうなほど押井守。  しのぶさんは柘植と指を絡ませる。あの動きにやられないオタクはいないです。不器用で愛おしい。二回目見たらしのぶさんの方から絡ませてるように見えたんですけど……。  結婚指輪みたいに手錠をしのぶさん本人の腕にもつけて。その様子を後藤隊長は見てるわけです。パト2はやはり政治劇なのですがメロドラマとしての側面もしっかりある。といってもこの壮年女性男性の三角関係なのがくどくなくて最高ですね。乾いているようで湿ってる。負けたのは後藤隊長。  連行される柘植につきそうしのぶさん。ここの柘植、意味わからないぐらいカッコいいんですよね……しのぶさんが道ならぬ恋に落ちた理由を理解してしまうんです。  そして物語は柘植の「もう少し見ていたかったのかもしれんな、この街の未来を」というセリフで締めくくられます。なんとも希望に満ちたセリフだと思いませんか?あんな物語を展開しておきながら最後に希望を見せてくれるんです。少し、泣いてしまいました。  二回目見てやっと気付いたのは柘植が押井守の投影だということです。押井守は映画館で、柘植は東京で戦争を演出してみせる。まったく同じ構造であり、この映画は入れ子構造になっているんです。だからこそ最後のセリフは押井守本人の希望を形にしたものではないでしょうか。  そしてその入れ子構造ゆえに、私は初めて現実と映画の境界があいまいになりました。劇場のライトがついて、ふらふらと歩く。その足取りは、まるで酔っているようで、私はまだ映画の中にいました。エスカレーターを降りていくと巨大な窓から新宿の街が見えます。無数の電飾に彩られた令和の東京、新宿。震えずにはいられなかったのです。この東京はパト2の東京とまったくの地続きなのだと。新宿の街を歩きながら、やっぱり私はまだパト2の世界にいました。  昨今の世界情勢もあり、パト2が作られた当時の状況に似ているのかもしれません。液晶越しの戦争。他人事として、虚構として受け取る戦争。私たちは幻の中生きている。パト2は押井守が鳴らした警鐘であり、それは三十年経った今でもなり続けているわけです。もしかしたら銃弾の音が聞こえるのはそう遠くない話かもしれませんね。あまりにも危機感のない日常。今も、理想論の雲の上を歩いて私たちは目を背けている。  パト2はどこまでも現実と虚構について論じた映画でした。いつもの押井映画と一味違うのは、今この現実に侵食してくること。私が今生きている現実とは?液晶越しで見る戦争とは?  惜しむべきは劇場に来ていた八割が当時のファンと思われる中年男性で構成されていたことでしょうか……。それはそうなのかもしれないのですが、同世代に見てもらえないのは胸が痛む……。むしろ今だからこそ見ることに意味がある映画です。パト2、しかと胸に刻みました。
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