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辺りは闇に包まれていた。そして、ひどく寒かった。
目を開いても相変わらずの闇で、俺は恐怖に襲われた。ひょっとして、自分は目が見えなくなってしまったんじゃないか?
体が痛い。息が苦しい。下半身が硬い物に押さえつけられている。
どこかで、女の子の泣き声が聞こえた。なんだか、血の臭いがする。
(ああ、そうだ、俺は高速バスに乗っていて――)
そうだ、トンネルに差し掛かったとき、バスが揺れた。それはエンジンや道の凸凹が原因のものとは明らかに違う揺れだった。
それから雷が落ちたような、ものすごい音がして――
近くで、ぱらりと小石の落ちる音。
(そうか、地震でトンネルが崩壊したんだ……)
崩れてきたガレキと土砂がバスを埋めたに違いない。
だが幸い、崩れたのはトンネルの表面だけなのだろう。
そうでなければ、バスの盾があったとしても、ぺちゃんこになってしまったに違いない。
凍えるように寒いが、自分の吐いたはずの息も闇に塗りつぶされていて見ることができない。
腰から下を押さえつけるガレキから抜けられないかと、俺は身じろぎした。
「痛い!」
すぐ隣から悲鳴が聞こえた。
「だれか……そこにいるのか?」
「いるよ……!」
か細い女の子の声がした。
もう一度体を動かすと、小石の転がる音とまた少女の悲鳴。
どうやら、俺と少女は同じ大きなガレキの下にいるらしい。少女にかかる分の重みを、俺の体と、そばにあるガレキが支えているのだ。
俺が動くと、このバランスが崩れ、その少女にガレキの重みがかかってしまうかもしれない。
「私は澪(みお)だよ……おじちゃんは?」
「俺は……辰彦だ」
口の中に砂が入っていて、俺はつばを吐き出した。
「ひっく、ひっく……私、私……」
女の子は泣きじゃくっている。
「おうち帰りたい……お父さん、お母さん……」
「両親と一緒だったの?」
「ううん。私、一人でおじいちゃんの家に……」
ずきりと胸の奥が痛んだ。
(アヤ……)
俺の娘、アヤ。殺されてしまった。飲酒運転の車にはねられた。
この子と同じように、一人で祖父のもとに行こうとしたときに。
そうだ、きっと、この子は、私の妻そっくりの目を持っているに違いない。そして、髪は俺と同じ色だ。そして、歌うのが好きで、自分の歌う姿をスマホで撮ってくれとせがむ子だ。
のろのろと俺は少女の声が聞こえる方に手を伸ばした。冷たく、ざらざらとしたガレキが指先にふれる。このすべすべした細いのは、バスの手すりだろうか?
皮膚をするざらざらとした感触と違う、やわらかな物に触れた。人の手の甲だった。
驚いたようにその手は引っ込む。暗闇の中でいきなり触られたら、それはびっくりするだろう。悪いことをしたと少し苦笑する。
「今、触ったの、おじさん?」
「そうだよ」
さりさりと砂をするような音がして、こんどはこっちが手を握られた。
その指先は、血が通っていないかのように冷えていた。
「寒いよう……」
力なくアヤが、いや、澪ちゃんが呟いた。
きっと、事故で体力も消耗しているだろう。これでケガでもしていて大量の血でも流れていたら、寒さは致命傷になる。
助けなければ。助けられなかったアヤを、今度こそ。
一緒に帰ろうな、アヤ。帰って、母さんのおいしいごはんを食べよう。
「待ってろ。いったん、ちょっと手を放して」
自由な両腕を動かし、ジャンパーを脱ぐ。
それをさっきアヤの手のあった所へと持っていく。
布が引きずられる音がする。
「これは……?」
「君が今、どういう状態でいるのか分からないけど、着られるなら着るといい。もし無理でも、両手にかければ少しは違うだろう」
ジャンパーを脱いだせいで、服を貫いた寒さが体をむしばんでいく。ガレキの下の足はしびれ、もうほとんど感覚が無くなっていた。できれば、ここからはい出したい。しかし、そうしたらアヤがつぶれてしまう。
「でも、おじさんが寒いんじゃあ……」
「はは、俺は大丈夫だよ、アヤ。今度は絶対守ってやるからな」
「私は、アヤじゃないよ?」
アヤをひいた犯人は、後で逮捕された。けれど、それでアヤが生き返るわけではない。賠償金も受け取ったが、それでアヤが生き返るわけではない。
『なあ、いいだろ、死んじまったもんは仕方ないんだから』
まるで面倒なことに巻き込みやがって、と言わんばかりの態度で、アイツは言った。そして、一枚の写真を見せてきた。
『ほら、オレにもガキがいるんだよ。オレが捕まったらかわいそうだろ』
アイツの腕に抱かれている赤ん坊。私の娘は亡くなったのに、アイツの子は生きてるのか。その子は――
「おい、そこに誰かいるのか?」
暗闇の向こうから、声がした。
「いる、ここ、ここに……!」
軽い振動が体に伝わる。重機が近づいてきているのだろう。
なさけないけれど、うれしくて涙が流れてくる。
「今、岩をどかすからな」
ビー、ビー、と重機が動くときの注意をうながすブザーが聞こえる。
前で視界を塞いでいたガレキの一部が崩れた。
一本の棒のように、光が差し込んでくる。そんなに強い光ではないはずなのに、暗闇になれた目には刺すようだった。
周りにある崩れた岩が、ひしゃげたバスのイスが、ちぎれた広告が照らし出される。
そして、真横に倒れる少女。
その少女の額に、シミがあった。
痛いほど心臓が一度強く打った。
アイツの腕に抱かれている赤ん坊。その子は――
額にシミがあった。
この子は、この子は、あの男の……
もし、今はい出したら、この子はつぶれてしまうだろう。でも、誰もそれをとがめられないはずだ。
まさかこんなことになるとは思わなかった。そう一言いえばいいだけだ。誰も故意でやったなど、証明なんてできないのだから。
そうすれば、アイツに復讐できる。
「おじさん」
アヤ、いや、澪が笑った。
「おじさん、ありがとう」
またガレキの崩れる音がして、目の前の穴が広がった。そこから、こちらを覗き込むヘルメットをかぶった男。
おそらく、今のこちらの状況を分かっていないのだろう、救助隊が広げた穴から手を伸ばす。
「こっちへ来られますか?」
そして、俺は――
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