第5章 心臓に毛の生えた少年

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第5章 心臓に毛の生えた少年

そうこうしてるうちに夏真っ盛りになり、世間は夏休み期間へと突入した。 通信制高校も当然その例に漏れはしないけど。普段から月に一度しか登校はしないので、特に長期休みに入ったという実感はない。 それに、わたしは言うまでもなく高校三年の一学期をほぼまるごと棒に振ってるから。完全に最初から出遅れてる。そのブランクを埋めて追いつくのに夏休みは絶好のチャンスだ、と気合の入った茅乃さんにぴしりと発破をかけられた。 「そりゃ、二年かけて単位取るのは絶対駄目ってことはないけど。同じことならだらだら時間かけてもしょうがないでしょ。夏休みの間に補習の課題山ほどこなせば定期テスト受けたと看做してくれるよう交渉しといたから。そしたらニ学期と三学期は他の同級生と同じ状態に追いつけるよ。よぉし頑張ろ、眞珂」 茅乃さんの空いた時間に事務室に呼びつけられ、やけに張り切った彼女につきっきりで勉強を教わる羽目に。自分のデスクで思わず苦笑してるのがありありの常世田さんの表情を横目で感じ取りつつ、わたしは俯いて教科書の文面を上辺でなぞりながらぼそぼそと反駁した。 「別に。…卒業するのに二年かけてもいいんですけど、わたしは。今の学校学費そんな高くないし。お給料ちゃんと頂けてるから、留年しても何とかなるかな。って」 通信制にもいろいろあって、金額的に負担の少ない公立からあれこれ痒いところまで手が届く手厚いフォローのある、だけどがっつり学費は高い私立まで選択肢はさまざまだ。 通信制を選ぶ子の中には少なからず毎日通学する全日制が合わなかったケースが含まれるので、そういった場合やはり無事卒業するまでしっかりと手取り足取り面倒を見てくれる学校が人気があるらしい。だけど茅乃さんは迷わず必要最小限のフォローと登校数と、リーズナブルな学費の歴史ある公立高校を勧めてきた。 「大丈夫、勉強を見るのと提出物のチェックは責任持って監督するから。このわたしがついてて単位が足りなくて留年、なんてことには絶対させないよ。きっちり同学年の子と一緒の歳で高校卒業させてやるし。学費なんて余計に払う必要ない。それくらいならその分将来のために貯金しなさい」 「はぁ。…ありがとうございます、(けど)…」 胸を張って自信満々に言い渡され、すっかり毒気を抜かれて曖昧に語尾を濁した。 「…茅乃さんもお忙しいのに。なんか、申し訳ないです。そこまで手間かけていただくのも…」 毎日見てるとほんとに一日中ばたばた館の中を走り回ってるって印象。庭にいても見るしキッチンにいても見るしサンルームでカフェオープンの準備をしてても必ず顔を出す。その上わたしの学業にまで責任持つつもりか。お気持ちはもちろんありがたいが。 現実にはそうそう続かなくて結局わたし一人で課題を片付けなきゃいけない成り行きになりそうだな。あんなに忙しそうな人に、ちょっとここがわかんないんですけど。とか気軽にメールやLINEを仕事中に送ることもできないし。 ごめん今日は時間取れないや!って手を合わせられる日が続出、ってところまで目に浮かぶ。 結局最初から大人しく、わたし一人でもさくさく学習進められるくらい学校からのフォローが行き届いてるところを選んでおくのが無難なんじゃないかな…。 そういうわたしの内心の危惧を知ってか知らずか、彼女はあっさりと遠慮がちな台詞を笑い飛ばした。 「何を今さら。あんたの面倒見るのが億劫なら最初から手を出してないよ、こんな件に。身許を引き受けたからには独り立ちできるまでちゃんとやる。中途半端なことはしないんだからね、わたしは。そこんとこよく覚えといてよ」 「それは。…信頼できます。けど。…もちろん」 本人の覚悟ってだけなら。 わたしの引き気味な様子を見かねたのか、あとで常世田さんがこっそりフォローしてくれた。 「まあ、あの人のバイタリティは半端じゃないから。本気で奈月さんの学習指導も自分でちゃんとする気なんだと思うよ。それに結局多忙すぎて自分で見るのが追いつかなくなったとしても、誰か任せる人を他に頼むとかそこまでは責任持ってくれるんじゃないかな。安請け合いして放り出すような人じゃないから、そこは信用していいと思う」 「はい。…それは、もう」 何となく安心して素直に頷く。そうだよな、あそこまで面倒くさい手間をかけてわたしを引き取る手続きを最後まで完遂してくれたんだもん。やっぱり時間がどうしても取れない、ってなったら。じゃあ代わりにこういう手段で勉強進めようか、とかはきちんと一緒に考えてくれそうだ。 それで今のところはほぼ毎日、どんなに短くても一日一回は学習の時間を取ってくれるのは続いてる。その日によって夜だったり昼間の隙間のタイミングだったり、一定しないのはもう致し方ない。 「…あ、そうだ。今のうちに言っとくけど。明日午後、眞珂時間取れる?」 わたしに数学の問題をここからここまで解け、と指示を出したあと、うんうん唸りながら机に齧りつくわたしを横目に自分の仕事に取りかかりながら急に何か思いついた、といった様子で茅乃さんが声を上げた。
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