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普通ならわたしに否も応もあるわけない。
なんと言っても個人的な用事で館の外に出かけることなぞまずない。朝の水やりとバラ園の見回りは曜日に関係なく毎日やる必要があるけど、土日祝は基本的にきちんとお休みを頂いてる。
だけど、ぶっちゃけた話わたしには車っていう足もないし(それを気にしてか茅乃さんと澤野さんには早く免許取れってつねづね口を酸っぱくして言われてる。だけどなぁ。終生この館に住み続けるって今から決まったわけでもないし。もし結局は将来都内に舞い戻って仕事見つける、ってことになったら車ってほとんど必要ないんだよね。今はだから、お給料貯めてまとまったお金できたら教習所通いますって言い抜けてる。そのくらい前貸しするのに、と茅乃さんにはぶつぶつ言われたけど)。
空いた時間ができてもわざわざ会いに行くほど親しい友達もいない。特に趣味とかもないし、やることなんてほとんどないから、結局いつも通りキッチンに入り浸って澤野さんとお喋りしたり料理を教えてもらったり、庭園を散歩してぼうっと東屋で寛いだりしてる。だから休日平日に関わらず、茅乃さんが把握してない外せない用事なんてあるわけないのに。
だけど一瞬詰まってしまった。口から勝手に素朴な疑問がぽっと飛び出る。
「午後、って。…何時ごろですか?」
「あ、そうだねごめん。そんな長い時間にはならないよ、一時間かそこらで済むと思うんだけどさ。…実はね、明日。カフェにバイトで来てくれる予定の子が都合いいっていうからさ。ちょっとこっちに顔出してみんなで最初の顔合わせしよっかって話になったんだ。眞珂がよければ午後いちが区切りいいかな。二時とか三時になると。わたし何か中途半端に始めて、手が放せなくなっちゃってる可能性あるからさ」
「それはあり得ますね。確かに」
重々しく頷きながらそこはかとなくほっとする。お昼ごはんのあとの一時間くらいか。全然余裕、むしろちょうどいいくらいかも。
「午後はこの時季暑すぎて昼過ぎるともう外で作業ほとんどできないから。今日教わったとこ復習して、自力で進められるとこは進めとこうも思ってたんです。それはでも、全然打ち合わせ終わってからで大丈夫だし」
彼女は最初にわたしがためらったことに深い意味を見出した様子もなく、満足げににっこり笑って深く頷いた。
「うん、感心感心。その調子なら勉強も順調に進みそうだね。やる気があるのはいいことだよ。…このペースとあんたの頭の呑み込みのよさならなんとか皆に追いつけそうか。何だったら、頑張れば現役で普通に受験して進学できるかもね?」
「いえそこまでは。正直全然自信ないです。大学行っても何目指していいかわかんないし」
わたしはびっくりして後退りしかねない勢いで否定した。
大学はおろか、専門学校も行けると思ったことなかったから。いきなりそんなこと言われても正直無理としか考えられない。
「学費だって高校と違って補助もないし。奨学金も給付は絶対無理だから、そんな贅沢は…。それに、何学びたいとか目的も全然思い浮かばないのに。いい加減な気持ちで高いお金かけて進学しても勿体ないじゃないですか」
「いやそんなもんだよ普通、大学進学なんて。入る前に将来何になりたいかなんて明確に定まってる学生なんて、せいぜい医学部くらいでしょ」
横から温厚な声で常世田さんがゆったりと口を挟む。わたしは彼の方に顔を向けて尋ね返した。
「常世田さんは。やっぱり進学したんですよね?大学」
「一応ね。他に何したいってのもなかったよ、当時は。ていうか、そういうもんだと思ってたなぁ。十八にもなって目指したいものも特に決まってないからこそ、しょうがないから大学にでも行ってそこで何か見つけるんだとばっかり。今の子はそんな余裕もないんだろうね。ちょっと気の毒だな、こんな世の中になっちゃって」
そうか?よくわからん。わたしは間抜けにもぽかんとなって首を傾げた。
「やりたいこともないのに大学行ってもお金の無駄になんないですか?半端じゃなく学費高いし。奨学金うっかり借りたら卒業と同時に三百万とか四百万の借金背負うことになるんでしょ、ほんとにそれで引き合うのかなぁ…」
「まあ生涯賃金の差額とか本気で計算したら引き合ってると思うんだけど。それにしても恙なくそこそこの企業に入れて定年迎えるまで働き続けられること前提だろうから、そこからもう難易度高いのか…。だけど、以前は特に国公立なんて今ほど学費高くなかったんだよ。僕の頃に較べてもびっくりするほど上がってるって印象だな」
「へえ。昔は今よりはリーズナブルだったんですね。少子化の影響かな」
本気で進学する気もないから今ひとつ深刻じゃない、我ながら他人ごとみたいな気楽な相槌が出てくる。わたしたちのやり取りを側で聞いてた茅乃さんがパソコンの画面を睨んだまま横から口を挟んできた。
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