第5章 心臓に毛の生えた少年

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「それもあるけど、そもそも大学みたいな教育機関で独立採算を目指させるのが無理筋なんだよ。小中学校で自分たちで収入確保して運営していけっていうのと本質はそんなに変わらないと思う。大学ならそれが出来るって考えた人の頭がお花畑なんだよ。利益なんか出るわけないだろってものが世の中にはいくつかある。教育もそのうちのひとつだから」 「まあ。そう言っちゃうと身も蓋もないけどね」 誰に向かってか、というか言うなれば宙に向けて半分喧嘩腰で噛みつく茅乃さんにおっとりと応じて受け流す常世田さん。どうやら二人の間ではこんなやり取りは日常茶飯事みたいだ。 言いたいことを思いつくままにぽんぽん口にして憚らない茅乃さんと、それを知ってて何が飛び出てきても動じず受け流す常世田さん。普段からこんな風に雑談してたんだろうな、って容易に想像できる。 話は多少逸れたけど、結局翌日の午後一時くらいからバイトの学生さんを迎えて打ち合わせをすることに決まった。 とは言ってもわたしと澤野さんと茅乃さんの三人にその子が加わるだけだから。バイトの子以外は今さら顔合わせも何もない。基本いつものカフェオープン準備の会合の一環ってことだ。 改装も終わったし茶器や皿、キッチンの調理器具なんかも大体揃った。メニューも大体決まったのであとは澤野さんに考案してもらったレシピをわたしは頭に叩き込まなきゃならない。 そっちも何だかどっちかというと『学習』というか。習得って感じだなぁ。こんなにいっぺんに何もかも脳に書き込みしようとして慣れない体験にオーバーヒートしないかな。これまでろくに使い込まれてこなかったわたしの脳みそ、と半ば不安に思いつつなかなか集中できない数学に四苦八苦しながらため息をついてシャーペンを握り直した。 次の日の昼過ぎ。 何だかんだとばたばたしてるうちにあっという間に午後一時近くなってしまった。ここはもういいから、一足先にカフェの方に行ってて。とわたしに告げた澤野さんに昼食の後片付けの残りを任せて急いで元サンルームへと向かう。 昼ごはんを食べたあと、茅乃さんは例によってろくに雑談も寛ぎもせずにさっさと席を立って慌ただしく食卓を後にしたから。多分ひとつか二つくらいは昼休みの間に用事を済ませて、今頃は既に打ち合わせの場所に到着してるだろう。バイトの人もわざわざこんな郊外まで足を運んでるんだし、待たせて余計な時間を食ってはいけない。と少し焦り気味にサンルームと本館との続き扉をくぐる。 洪水のような光溢れる室内に人影が二つ。あまりに明るすぎて逆に見えづらいくらいだ。そのひとつが見慣れた茅乃さんのものだってことだけすぐに把握して、それ以上は特に何も考えずにぱっと反射的に頭を下げた。 「すみません、遅くなって。お昼の片付けに手間取っちゃって。…澤野さん、終わったらすぐにこっちに向かうそうです。先に行っててって言われました」 「大丈夫、わたしも今来たとこ。この子を駅まで迎えに行ってたんだよ。…眞珂、これがカフェオープン時の短期バイトに入ってくれる予定の子。わたしの従兄弟なんだけど、実は」 「有原哉多です、よろしく。へぇ、思ってたよりだいぶちっちゃいね君。まだ高校三年なんだっけ?」 いやあの。いろんな情報が途切れなくお出しされ過ぎる。いっこ一個が全然頭に入ってこないんだよ、これじゃ! わたしは昼なお薄暗い館の廊下から急に陽光燦々の下に出た後遺症でなかなか慣れない目をしぱしぱさせながらも何とか、前触れもなくいきなり声の飛び出してきた方へと視線を向けた。 逆行になっててその人の顔は暗がりになっててほとんど見えない。だけどシルエットはくっきりしてるからわたしのことをわざわざ小さいって口に出して指摘するほど本人がどでかいわけじゃない、ってことだけはちゃんとわかる。 ことさらに他人のことを高校生と強調するとこ見ると多分それ以上、おそらく大学生なんだろう。てかそうだ、茅乃さんが学生のバイト連れてくるって言ってたんだから。普通に考えてその表現なら大学だろう。わたしより歳上だ。 だけど、そんなに歳が離れてるって印象じゃない。二十歳前後の男の子としては割と小柄。高校の同級生たちと比較しても身長は前の方じゃないかな。体格もお世辞にもがっちりとはしてなくて線も細めだ。 まさに男の子、少年って感じ。だから逆にあえて歳上風を吹かせてくるのかな。自分が同年代より若く見えることを気にしてる可能性あり、との情報を頭の隅に何食わぬ顔で書き込んでから一応丁寧に頭を下げた。 「奈月眞珂、通信制高校の三年です。よろしくお願いします」 アリハラ、カナタね。と脳内で一応復唱する。あんまり何度も名前訊けないし。一発でできるだけ覚えないとな。とこっちは真面目なのに、彼は緊張感のない態度でやけに気軽に話しかけてくる。 「通信制なんだ。だからこんな山ん中でもやってけるんだね。てか、こんなとこ住んでたらほんと普段の生活不便で仕方ないでしょ。買い物とかどうしてんの?」 いきなり話題がフランク過ぎる。わたしの買い物事情なんてどうでもいいような。今日はカフェ開店準備と初顔合わせじゃないのか? 丸無視するわけにもいかず、わたしは無難な受け応えになるよう慎重に言葉を選んだ。
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