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僕は会社から離れた駅のコーヒーショップにいた。待ち合わせは二十時だが、二十一時を過ぎても月子さんは来なかった。いつものことだ。僕はスマホでメッセージと時刻をチェックしてため息をつき、カバンから二冊目の文庫本を取り出した。
今日も残業かな、月子さん。管理職なんだから遅くまで働くことないのに。
月子さんは僕の上司で課長、キャリアから推測して四十歳前後の女性だ。僕は大卒で就職して五年目の、ただのプロダクト・デザイナーだった。
月子さんと会うときは時間潰しのために小説を三、四冊持ち歩いている。けっこう重い。なぜ電子書籍にしないかというと、月子さんがたまに「おもしろそう、その本読ませて」と僕に言うことがあるからだ。
周りを見ると、夜のコーヒーショップは閑散としていた。こっそり小さなナイフを取り出し、ティッシュペーパーを一枚広げて鉛筆を削った。
祖父が、僕が美大に合格したとき「これで鉛筆を削るといい」と言って、この古い日本式のフォールディングナイフをくれた。肥後守と鞘に刻まれている。
芯を長く削ってしまうのは、美大の時からの癖かもしれない。読みながら気に入った言い回しに線を引くのが僕の読書スタイルだ。
月子さんは、かなり歳は離れているが僕の憧れの女性だった。彼女はセンスの塊だった。
勤務時間以外に会うようになったが、当初、僕はこの魅力的な大人の女性からいろんなモノを盗みたいと思っていた。それが若い僕とつき合うギブ・アンド・テイクだろうと、当然のように思っていた。まさか月子さんにこれほど傾倒するとは思っていなかったのだ。
今日、僕はダイアモンドの指輪を用意していた。僕がデザインしたものだ。月子さんをイメージしたしなやかな曲線。あしらった石は小さいが、今の僕には精一杯だった。これを月子さんに身につけてほしいと思った。
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