嫌い、嫌い、大好き

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「あのね、わたしね」  胸の前で両手を握りしめる。ずっと言えなかった気持ちを今日こそは伝えようと決心してここに来た。ただならぬわたしの雰囲気を察してか、目の前の彼も黙って次の言葉を待ってくれている。大きく深呼吸をする。逃げずに言うんだ。今日こそは。 「広瀬(ひろせ)なんか嫌い。大っ嫌い」  目の前の広瀬がひどく傷ついた顔をした。違う。こんなこと言うつもりなかったのに。慌てて口を塞いでも、言ってしまったことはなかったことにならない。 「改まって言うことがそれかよ。呆れた。俺だって、古川(ふるかわ)のことなんか嫌いだよ」  そう吐き捨てて、広瀬はこちらを振り返ることもなく去っていった。喧嘩しても飲みに行って仲直りまでがいつものパターンなのに。 「嫌い……」  広瀬が目の前からいなくなっても、わたしはのたった2文字が言えずにいた。それが異変の始まりだった。思ったことと反対の言葉しか言えなくなったのだ。それは広瀬に対してだけではなくて、友人や同僚にも白い目で見られるようになった。  言いたいことと反対のことを思えば、ちゃんと伝わるように会話ができるとわかるようになった。けれど、それはだいぶ神経をすり減らして、次第に言葉を発することも億劫になっていった。  心に問題があるのでは、と上司から言われ、心療内科に通うよう指示された。治るまでは会社も休んでいいと言われたけれど、心配からというよりは厄介払いのように扱われた。ひょっとしたらここにはもうわたしの居場所はないのかもしれない。そう思えて、不安で仕方なかった。
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