57人が本棚に入れています
本棚に追加
【 エピローグ: 神のまにまに 】
「柚葉っ……! もう二度と、お前の手は離さない! くっ……、耳なんか聞こえなくてもいい……。話なんか出来なくてもいい……。だから、お願いだ! 俺と……、俺と一緒に生きてくれぇーーーーっ!!」
すると、彼女は伏せている顔を上げ、俺の瞳を見つめた。
そして、彼女の瞳からひとつ、ふたつ、みっつと涙が零れ落ち、キラキラと月夜に星屑のように散ってゆく。
その瞬間、俺の手を強く握り返す、彼女の手がそこにあった。
(「柚葉ちゃんを救ってあげて……」)
あの時、彼女はそう言った。
ふたりの大事なこと……。
あれは、決して夢なんかじゃない。
彼女が時を少しだけ戻してくれたんだ。
俺と柚葉のために……。
――柚葉を屋上の真ん中まで連れて行き、そこでふたりはぺしゃんと座り込んだ。
俺は手話で柚葉にこう伝える。
「明日来るって、嘘をついて、悲しませてごめんよ。もう二度と、柚葉を離さない」
彼女も目を細めて涙を零しながら、頬に笑窪を作り微笑むと、左手の甲を右手の手刀でポンと叩いて頭を下げた。
そして、ゆっくりと俺の胸の中へ体を預けた。
いつの間にか、辺りは徐々に明るくなっていき、眩しいほどの朝日が俺たちに顔を出してくれる。
ふたりで立ち上がり、その空を一緒に眺めた。
空には、大きさの違う雲がふたつ、まるで波に揺られるように、ゆらゆらと飛んでゆく。
そして、その雲は、やがて一つになり、遠くどこかへと冒険に出るように流れていった。
彼女の後ろで結んだ髪が、風に小さく揺れている。
しばらくして、どちらともなく、お互いの顔を向き合わせると、その朝日が彼女の頬をきれいな輝く朱色に染め上げていた。
俺が顔を近づけると、左手で唇を隠すように、びっくりした様子を見せる。
まだ、キスは彼女には、早いようだ。
でも、少しずつでいい。彼女との距離を近づけて行きたい。
もう、二度と……、後悔しないように……。
俺たちは隣同士で、もう一度この遠いきれいな空を眺めると、ひらひらと揺れている彼女の手をゆっくりとつかまえて、やさしくそっと握った。
ふたり並んで手を繋いだこの屋上に、温かいやわらかな春風がふわりと運ばれてくる。
遠くの方に、小さくなったあの雲がひとつ、微かに見えた……。
「つらつらと……、雲ノまにまに……か。昔の人って、こういうんだっけ……?」
俺が思わずそうつぶやき、指で文字を描くと、彼女は口元に手をやりながらクスッとし、今日一番の大きな笑顔を俺に見せてくれた。
もう二度と、離しはしない。
この大きな空をふたりで眺めながら……、
心の中で、彼女と……、
もう一人の彼女に……、
そう、誓ったんだ……。
~恋ニたゆたふ、雲ノまにまに~
(了)
最初のコメントを投稿しよう!