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ヒデさん
小さい頃から、我が家には「パパ」はいなかった。
僕のママは、背が高く、色白で、二重の目が大きい。「アキラ君のママは美人ねぇ」なんて言われると、僕まで褒められたみたいで嬉しかった。美人だからだろうか――僕が小さい頃から、ママには「恋人」が途切れることがなかった。いつも突然、ママがウチに連れて来て一緒に住み始めたけれど、1年か2年経つと派手なケンカをやらかして、ママが追い出して終わる。僕と2人切りになった夜は、ママは遅くまでお酒を飲んで、泣いていた。けれども、1週間も経たない内に、新しい恋人と帰宅するんだ。
「それなぁ、ヒモって言うんだよ。ま、俺も似たようなモンだけどなっ」
僕が10歳になった夏、ママの新しい恋人のヒデさんが一緒に暮らし始めた。
「ヒモ? ヒデさんの髪を縛ってる、ソレのこと?」
彼は、金色に近い長髪を首の後ろで1つにまとめている。その赤くて細いヒモのことかと訊いたら、眠たげな一重を一瞬見開いた。
「はははっ。お前にゃ、まだ早いかぁ」
快活に笑いながら、彼は僕の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。歴代の恋人達も、僕には優しかったが、特にヒデさんは子ども好きだった。
「アキラ、たこ焼き食うか」
「うんっ」
この夜も、仕事で忙しいママの代わりに、近所の神社の夏祭りに連れてきてくれた。
赤い提灯が点々とぶら下がる境内。ズラリ並ぶ屋台の中、美味そうなソースの焦げた匂いに腹がぐぅと鳴ると、彼は僕の手を引いた。
「おう、ヒデじゃねぇか」
「どうもぉ。1つ、もらえます?」
熱気が籠もる赤い屋台の中、ソースの染みで茶ばんだTシャツを着て、首にタオルを引っ掛けたオヤジさんと軽く挨拶を交わす。
「おっ、その子……ヨシミさんの子か」
ママの名前を口にすると、オヤジさんは厳つい顔を崩した。
「あっ、はい。へへへ」
「よし。じゃ、オマケしてやる」
オヤジさんは、特大の透明パックを2枚重ねると、たこ焼きをギュウギュウに詰めた。流れるような動きでマヨ&ソースをかけて、たっぷりのオカカと青のりをトッピング。長い竹串を2本刺すと、ヒデさんに渡した。
「あざっす! ほら、アキラ」
「どうもありがとう」
鮮やかな手際に見とれていた僕は、促されてペコリ、慌てて頭を下げる。
「おう。楽しめよ、ボウズ!」
胸を張ったオヤジさんは、とても頼もしく見えた。ふと、友達の家にいる「お父さん」とか「パパ」と呼ばれる男の人は、あんな感じなのかな、と思った。
-*-*-*-
6年生の秋。遠足から帰って来ると、ヒデさんとママがソファで寄り添っていた。見慣れない大きなトランクがソファの横にあり、彼は、いつものくたびれたTシャツとジーンズではなく、細身の黒いスーツを着ていた。ママは赤いキャミソールに、黒のカーディガンを羽織っている。普段寝ている時間に、ママが起きている――そのことが、ただ事ではないと告げていた。
「お、帰って来たな、アキラ」
「ヒデさん……どこか行くの?」
「俺の父ちゃんが、倒れたんだ。命に別状はないんだけど、うちの実家、代々旅館やっててさ……」
ヒデさんは、くしゃくしゃっと顔を歪めると、僕の頭を撫でた。
「帰って……来るんでしょ?」
彼は、ママに乱暴したり、大声で怒鳴ることは一度もなかった。小さなケンカはあっても、すぐに仲直りしていた。彼の仕事はよく知らないけれど、家に居る時は、僕とお風呂に入ってくれたり、一緒にゲームしてくれた。年の離れたお兄さんみたいに、僕を可愛がってくれた。
「……ごめんな」
ヒデさんの声が震えた。
「ママのこと、守れる男になれよ!」
踏ん切りをつけるように力強く言うと、彼はトランクを引っ掴んで出て行った。ママは、ソファで泣き崩れた。大人の事情は分からなかったけれど、ケンカじゃなくウチを出て行った恋人は、ヒデさんが初めてだった。
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