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4、翌朝
行き場のない花束事件の翌朝。私は自分のクラスに奏月が来なかったことにほっとしつつ、いつものように特待クラスに向かった。
「失礼します」
軽く頭を下げて入室すると、そこは相も変わらず奏月ひとりが手持ちぶさた気味に着席していた。私は柔らかな光を受けて広がるカーテンを眺めながら、躊躇せずに教室に足を踏み入れる。やたら綺麗に整列している机と椅子がある。特待クラスの他の生徒は果たして己が学生であることを覚えているのだろうか。
「おはようございます」
「おはよう」
奏月は目を細めた笑顔で挨拶を返してくる。よく同学年の女子がきゃあきゃあ騒いでいる爽やかな表情だ。私はその光景を思い浮かべで微妙な顔をする。
さらに奏月は言葉を続けて、
「今日も朝からお仕事お疲れ様」
私は目をしばたいた。
昨日から奏月の様子がおかしい。いつもは挨拶だけで流れ作業のごとく健康観察へ移行するはずだ。奏月は自主的に勤労感謝ウィークでも行っているのだろうか。いや、それは奏月にしては唐突すぎる。希代の天才と呼ばれる彼はそんな幼稚な発想はしない。経験というハンデを覆す偉大な背中を見守ってきた私はそれをよく理解している。やはり何か隠された任務があると考えるのが妥当だろう。
謎に包まれた新たな難題を前に考え込んでしまったが、私の反応を伺うようにこちらをじっと見てくる奏月に気づき、慌てて営業スマイルを浮かべる。どんな状況でも微笑むべし。それは相手に隙を見せないための鉄則だ。その「相手」が主人である奏月なのがなんともいえないが。
「体調はいかがですか」
「大丈夫」
「食欲はありますか」
「朝食全部食べた」
「しっかり眠れましたか」
「うーん……」
またか。
私は眉根を寄せつつ手元のボードに『要観察二度目』と書き込む。これもおかしな変化のひとつだ。
「原因はスマホですか?」
「いや、」
いい淀んだ奏月はチラッと私を見る。まるで拗ねているような目だ。そしてすぐに視線を下に落とすと、
「……スマホ、かな」
「そうですか」
「でも今夜はちゃんと寝るから」
「お願いします」
私が頷くと、少し間が空いてから奏月がぽつりと呟いた。
「……電話とかしてくれたら、寝れるかも」
「電話、ですか?」
「若菜の声って落ち着くし」
「……はぁ」
首をかしげた私を見て、奏月は自嘲的な笑みを浮かべる。
「やっぱり嘘。若菜も時間外労働は嫌だろうし」
奏月の寂しそうな表情にチクリと心が痛んだが、その原因がわからないまま私は頷いた。
「わかりました」
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