欺罔

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欺罔

 月明かりが照らす。道路の舗装が所々消えるようになった。暗闇にケラのジーーーーという大合唱が止むことはない。なんとなく秋のイメージがあったがこの時期にもいるのか、そういえば子供の頃はミミズが鳴いてると思っていたような……そんなことより疲れた! もうどれくらい歩いたのか、まだ車も通れる道だしどうにかして用意しておくべきだった。 「まぁでもこんだけ夜中で奥に行くなら、人とも出くわさないだろ」  そんな僕の様子を見て言う。今日はやけに周囲を確認しながら進むなこの人は、急に自分のやってることの危なさを悟ったのだろうか。 「僕は、はぁ、ユーレイより人か怪我の方が怖いです」  誰もいないからって先輩は歩きながら携帯を触っていた。 「どうしたんですか」 「八百がやけに詳細を期待してるっぽくって、せっかくならリアルタイムを聞かせてやろうと思ってな。ただ、ひとりでなんとかするってカッコつけたからそういうことにしてる」  この人、オカルトに格好なんて意識してるのか。カエルの鳴き声が増えてきた。川が近くにあるのだろう。 「ここだな」  最後の最後まで道の舗装は途切れつつも続いていたし、運がいいのか迷うことはなかった。駅からは遠かったが、街からは思ったより遠くない。携帯の電波も通じてるみたいだ。余分なほど土地は拓かれていて、建物を眺めると、想像してたよりかは木造の部分が多く、朽ちた様子は少ない。車庫らしきものもある、やっぱり車が使える場所だったんじゃん。  先輩がドアに手を掛けると小さくごごごと音を立て開いてしまった。お互いの目配せが重なる。 「開いちゃったな」 「行きますか」  緊張を押し込んで覚悟を口に出す。開けておいた方が安全だというのに、先輩は外を気にしながらドアを閉めた。 「件のものはどこなんでしたっけ」  声を小さくして話しかける。誰もいないのに、普通なら。先輩はすぐ奥を指さす。そうだ、出発前に聞いたが噂で一番多くノートがあると言われているのは廊下の奥からそのまま開いているリビングルーム。先輩を無言で『止まれ』いや『待て』のジェスチャーをする。そういえば噂ではひとりで見なきゃダメなのか。 「なんかあったら出てこい」  小声で耳打ちされてドキッとする。頷きで返事をする。途端に何の躊躇いをなくズカズカ進んでいき床がわずかに軋む音と足音に焦らされるが、どこか心地いい音のような、酔っているかのようだ。僕としてはすぐ逃げれるなら有難いが、それ以上に気になるのだ。そうじゃなきゃ着いてきてないんだ。  廊下の奥は噂通り扉もなくそのままリビングの空間が暗闇を引き裂く、大きな窓も見える。あの先は眺めがいいんだろうか、本来の建物の主人に思いを馳せる。窓のお陰で月明かりからあの部屋だけは見渡せそうだ。先輩が部屋の奥に入っていくと元々無音な世界がさらにシンとした。僕も廊下の区切れまで足音をたてないよう進んでいく、床が崩れるような気配は全くない。壁から顔を覗かせる。  その瞬間心臓が跳ね上がる。先輩は既にノートを手に持っていた。冷めた顔でペラペラめくっているノートのページにはこの距離からはわからないが小さな文字が端までびっしり書かれているようだった。ページをめくるのが終わってほしくない。終わってはいけない。埃の匂いと月明かりに照らされた先輩と死の気配に頭がくらくらする。一言で表すなら幻想的であったが、同時に強烈な現実性に襲われる。目が離せずいたところ、後半の方でめくる手が止まる。そんなまさか。 「はぁ」  先輩がついた溜息の音がはっきり聞こえて、夢から醒める。顔を向けることなく先輩はこちらに見えるようにノートを掲げた。つまり覗き見はバレていたってことだ。見たくないのに目を離せないのは恐怖のせいなのか好奇心のせいなのか、そのノートには見開き2ページ分大きな文字で、  『バーカ』 と書いてあった。え? と思うと同時に物音がしてまた心臓が止まりそうになる。人影が出てきた。しかし、僕の『無いはずのもの』に対するレーダーに反応はない。今度僕が驚いたのは「意外」の感情にだった。短い金髪にピアスの出立ち。暗闇から顔を出したのは…… (八百……隆二…………?)  幸い僕は気づかれていないようだった。 「いやぁあの話信じてくれたんですね」  見えないけど先輩は睨みつけてるようだった。鋭い目で見られたら僕は凍りそうだが、八百はヘラヘラした口調で話し続ける。 「ゴメンね、騙したのは悪いと思うけど、あんたここで死ななきゃだめだからさ、命乞いとかはなしね」  フフフ、ハハと笑いが静かな部屋に響く。この空間が広いのもあるだろうか。 「噂を考えたのはお前か」 「広めたのはオレっすね、話はそれだけでいいんすか、調子乗ってこんなところに女が一人乗り込むからですよエセオカルト屋さん」  手にはナイフの刃先が光っていた。  どうしよう。僕は考えていた。最近の暴漢ってここまですんの!? というより多分……これは勝てる気がする。まだ二度遠目に見ただけだが僕ほどに八百はヒョロヒョロしているようだし、何より彼女に僕は脅威から何度も助けられたことがあるのだ、僕も加勢すればきっとなんとかなる。でもどちらにせよ平和に終わらない、これは事件だ。あ、そういえばこれも「なんかあったら」の範疇だよな? なら人として男の僕が出なきゃ。そこまで考えて飛び出した。 「女性ひとりなんかじゃないぞ!」  それ以上カッコいいセリフは出てこなかった。悲しいけどこういう幽霊外トラブルの保険が先輩の心霊スポット巡り付き添いの役目な気がする。飛び出してわかったが天井が高く階段の踊り場が見える。八百はかなり痩せこけているように感じた。 「な、なんで男がいるんだよ」  八百は狼狽えて手を震わせながら言った。当然なのだが、その言葉に違和感、怒りではなく絶望の色があった。普通に考えれば客観的に見て僕みたいなのが来ただけならまだ勝機はあるように見えるのに。 「なんでひとりでこなかったんだよ!!!!」  そういうとブワッッッッと、八百の目から涙が溢れ出した。わけがわからない、声をかけるべきか、今のうちに押さえておいた方がいいのか、と戸惑っていると。 「もう一度聞く、話を考えたのもお前なのか」 「シナリオ通りじゃないこれじゃあの人のシナリオ通りじゃない」 「おい無視すんな」 「聞いた話通りになってない」 「あの先輩とりあえず押さえましょう」 「うん、これじゃシナリオ通りじゃないよな〜〜」  しわがれた老人の声が階段の踊り場から、二階の奥から響く。反射で叫びが出ていた。 「先輩! でましょうはやく!!!!」 「こいつも連れ出すに決まってんだろ」  特に焦る様子はなく歩きで詰め寄り、いつの間にか頭を両手で押さえて呻き声をあげている八百を力尽くで引っ張ろうとしていたが、ナイフを持たない方の手で払い除けられ、八百は僕をスルーして2階に走って行ってしまった。老人の存在よりそれが怖くて動けず受け止められなかった。舌打ちが響く。 「先輩」 「出ろ」  あぁ、彼はもう助からないんだな。
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