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洗濯物を干すには旦那の部屋を通ってベランダに出る必要がある。旦那の部屋は汚い。服も布団もぐちゃぐちゃ。本も地べたに積んでいる。中身を少し残したままの炭酸ジュースのペットボトル、コップ、空き缶。こんな汚い狭い部屋に生息している旦那をいつからか汚いと感じてしまった。そんな旦那は、部屋を触られるのが嫌だと言う。結婚当初は見るたびイライラしたが、今はもう興味がないのでどうでもいい。
洗濯物を干し終え、ふと旦那の机の上を見ると、コンビニで発行されるタイプのチケットが一枚、二つ折りになって置かれている。なんだコレ?と広げてみる。『3月10日18時開場19時開演市民ホール』某アーティストのライブチケットだ。こんなの行くって聞いてないぞ。旦那は、毎日何時に帰宅するか連絡をくれる。私はすぐにその日の夜はどんな内容の連絡をしてきていたのかスマホで検索する。
3月10日。『今日も来週の議会の準備で帰り遅くなります。なお明日は、午前中に体操教室へ行って、昼から仕事です。』
うん、嘘ついてるね。
旦那はよく小さい嘘をつく。浮気とか、そんなおおごとを隠すような嘘ではない。今回のように、私に話したら何か言われるだろうなと思う時にしれっと。全部ばれているのに愚かだなと思いながら、私は毎回「ふぅーん、はーい。」と言う。
ライブチケットを写真に撮り、私は一旦冷静に紅茶を入れて一息つく。
「離婚届取りに行こ。」と呟いて、マスクを着けて家を出る。区役所は歩いて3分。自動ドアをくぐり、窓口へ向かう。番号札をもらう機械の前にいる係の方が「どんなご用件ですか?」と聞く。「ちょっと恥ずかしいんですけど、離婚届ってどこで貰えますか?」と私は愛想笑いをしながら答える。「1部でよろしいですか?」と聞かれたので、「念のため2部お願いできますか?」と言いながら、妙に冷静な自分に驚く。「かしこまりました」と言って、係の方がカウンターの中に書類を取りに行く。「お待たせ致しました。」と大判の封筒を私にくれた。案外デカいなと思いながら、「ありがとうございます」と礼を述べて外に出る。何の感情も無い。家に着いて封筒の中身を確認する。この書類を書くことになるとは半年前には思ってもいなかったな。半年。短い。スピード離婚。情け無い。でももう限界。もうどう考えても無理。さっきのライブの嘘がとどめ。
数日前から、週末婚みたいな形にしようかと話し合っていた。少し距離を置きたかった。旦那の小さい嫌なところが積み重なって、旦那のやる事すべてにイライラする状態になっていた。旦那も居心地悪かっただろう。こんなに結婚が自分に向いていないとは思わなかった。
私は26歳の時に失恋し、恋愛は懲りた。男を見る目が無いから、結婚するならやっぱりお見合いなのかなと思い、27歳からお見合いを始めた。途中、諦めかけたこともあったが、自分に出来ることは諦めない事だけだと言い聞かせながらお見合いを繰り返した。そして40歳で旦那と結婚。結婚するのに13年かかった。冗談ではなく、結局40回。歳の数だけお見合いした。旦那は9歳年上。お互い初婚。お見合い結婚だから恋愛感情はなくても、安定した生活があればいいのだと思っていた。しかし、少しは好きって思う人としなくちゃいけなかったのかもしれない。じわじわ情が湧いて、家族愛みたいなものを抱けるようになるものだと思ってた。でも違った。
旦那が使った後の洗面台の鏡に、糸ようじをしたカスが点々と着いていたのをみて、気持ち悪いと思った。歯磨きをする時とシャワーを浴びている時に聞こえて来る、カーッ、ペッ!と痰を出す音。なぜかTバックを恥ずかしげもなく履いていること。「糖質コントロールをしないといけないから、夕食は自分で考えて外で食べて来るから作らなくていい」と言っておきながら、1日に炭酸ジュースを3本も飲んだり。夜中にお菓子を食べまくる。突き出た腹を見ながら、何故痩せないんだろうと真剣に言うのを聞いた時は耳を疑った。世の既婚者の人たちからすると、そんなことぐらいで?という事ばかりだと思う。じゃあ自分はどうなんだと言われたら、何も言い返せない。でも私には、それらを小さなどうでもいいことには出来ず、好きでも嫌いでも無い旦那の事を、段々と嫌いになっていくきっかけとなった。
私は23歳から一人暮らしをしてきた。もう自分だけの生活が長すぎて、他人と一緒に住むという事がこんなにもストレスを感じるものかと、結婚してから知った。旦那はイビキがひどいから最初から部屋は別々。なかなか寝ない旦那は夜中トイレに行く時もドアをバタンと締めるので、眠りかけていた私は目が覚める。また、私の部屋のすぐ近くに位置する冷蔵庫をバタンと開けて、アイスクリームを取って、バタンと閉める。3回ぐらいアイスクリームを取りに来る。「夜中なのに。糖質コントロールは?どうせ食べるんだから箱ごと持って行けばいいのに。」と思う。本当に生活音がいちいちうるさい。また、寝たら寝たで、イビキが始まる。私は今までこんな怪物みたいなイビキを聞いたことない。部屋が別だろうが、間に3枚ドアがあろうが効果無く、耳栓無しでは寝られない。しかも無呼吸症候群だから、イビキのリズムが読めないから余計に気になってしまう。息が止まったら何秒止まってるんだろうと気になって数えてしまう。20秒ぐらいで必ず、ンガッ!ブヒー!と息をする。チッ。っと思ってしまう自分がいる。私は何を望んでいるのだろうと思う。眠りの浅い旦那は朝が早い。土日も早い。私は土日ぐらいゆっくり9時までは寝たいと言ったのに、8時ぐらいからゴソゴソとビニール袋を触る音が聞こえる。ドタドタとし始め、しまいには自分の部屋に掃除機をかけ出す。ドアをしてたら聞こえないと思ってるんだろうけど、めっちゃうるさいんですけど。毎週変わる気配が無いので、我慢出来ず、思わず「うるさい。嫌がらせとしか思えない。信じられない。」と言った。すると「ごめん」と言って、部屋でじーっとする旦那を見て、イラッとし、「もう起きたから今更じっとせんでいいねん。」と言った。寝ても覚めてもうるさい旦那がストレスとなった。翌週からは、もうイライラしたくないから、私は旦那より早く起きて、旦那を置いて外に散歩に出た。家の玄関を出た瞬間、なんとも言えない開放感に満たされた。いつもは旦那が仕事に行くのを見送るばかりだったから、旦那が家に居る時に自分だけ外に出たのは初めてだった。なんだこの開放感。しばらく家の周りを散歩して、家に帰ろうとした時、旦那がいる家に帰りたくないと思った。サラリーマンが家に帰りたくないってよく聞くけど、こんな気持ちなんだろうなと思った。その日から私は土日が憂鬱になった。
最近笑ってないなと思った。いつもしかめっ面だなと思った。これから先、旦那と笑って会話する事あるのかな。無理だろうな。
離婚届を取りにいったその日、帰ってきた旦那に話しがあるから先にお風呂入ってと言った。旦那は何かを察した様子でお風呂に入った。しばらくして旦那が「おまたせ」とリビングに入ってきた。お風呂上がりなのに、またワイシャツにネクタイをして仕事着に着替えている。リラックスして話をしようと思って先にお風呂どうぞと言ったのに。思わず「変なの。」と冷めた口調で言った。それから、「これ何?」と、私はライブチケットを写した画像を見せた。「こ、これは、ライブに。1人で行くからと思って言ってなかった。」と旦那がオドオド言う。「うん。で、この日の連絡がこれ。」と言って私は旦那にスマホをまた見せる。「…。」旦那はマズイと思ったのか何も言わない。「嘘ついてるよね。」と私は問い詰める。「ごめん。」と旦那は謝ったが、謝ってもどうせまた嘘つくんだからその謝罪に意味は無い。「小さい嘘よくつくよね。」と私が言い切ると、旦那は黙っていた。やっぱり嘘ついてたんだなと思う。女の勘って凄いなと思う。「小さな嘘なら傷つかないと思ってるのかな。きっともう、嘘つきすぎて、嘘をつくことに抵抗も罪悪感も無くなってるんだろうなって思うよ。相手がどう感じるかも想像出来なくなっちゃってるんだろうなって。仕事で遅くなると言われたら、『大変だな、お疲れ様です』って思うじゃない。でもそれが嘘だった場合、私の『大変だな、お疲れ様です』って気持ちは裏切られてるよね。ましてやコロナのこんな時期なんだから、相談してから行って欲しかった。これからも嘘つかれるのかと思うともう信用できない。だからもう離婚で。週末婚とか言ってたけど、もうこれがとどめになった。もう無理です。」私は冷静に言いたいこと全部言った。旦那は言い返せないまま「わかった。」と言った。ワイシャツにネクタイという仕事着の鎧を着て、妻ではなく、仕事でクレーマーの話を聞いていることにしてダメージを減らそうとしたのだろう。そんなことまでわかってしまう。
正直、小さな嘘ならついてもいいと舐められたのが嫌だった。何故あなたなんかに嘘つかれなきゃいけないんだって気持ちがあった。もしこれが旦那ではなく、好きで好きでしょうがない人につかれた嘘なら違ったのだろうか。わからない。好きで好きでしょうがない人はここにはいない。
何故結婚なんかしたんだろう。しかし、結婚しないと結婚が向いていないという事に気づけなかった。逆にあの時結婚していなくても、結婚出来るまでお見合いを続けていただけなのだから、結果は同じだ。相手が誰であったとしても、私は相手にイライラし、ストレスを感じ、それを我慢できない結婚不適合者だ。
もう二度と結婚なんかしない。
いつか「私、嘘ついたわ」と思うのか、思わないかは、今の私にはまだわからない。
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