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十五、虎穴に入らずんば……虎子は?
「気づいたか」千草がささやく。
「はい。宿を出てからずっとです」
「では、人目のある所をたどっていくべきだな」
「そうですが、月城方面に行く商人はいないようです。皆あのあたりで曲がっています」四つ辻を指さす。最短なら自分たちはまっすぐ行かねばならない。
「お嬢様。決断しなければなりません。最短の道をたどるか、商人たちについて大回りして二、三日よぶんにかけるか。いかがしますか」
「まっすぐ行こう。回っていったところで人が増えるとはかぎらん」
「お覚悟は?」
「できている」
「では、参りましょう」
辻を超えるとついてきた者はいなくなった。だれもいない一本道が山に入っていく。ふたりはふつうの旅人より早い歩調で進んでいった。
葉をすべて落とした木が骨だけになった手をかすかにゆらしている。そのゆれとわずかに異なる拍子で鳥の声がするので目と耳が分離したように感じられる。
そうした山の静けさを破り、男が三人道の脇から跳びだしてきた。
戸善は千草の帯をつかむとしゃがませた。刀を抜きざまに切りつけ、一番近くに来た敵を牽制する。まだ間合いに入っておらず、かすめすらしないのに腰を引いたのはやはり素人だった。ほかの二人は距離を詰めずに囲む位置をとる。刀をかまえているが相手にならない。
「何者か! 名を名乗れ!」尻をついたまま千草が大声を出す。知っててやったかどうかは怪しいものだがいい手だった。敵が間抜けだったら、闘いの最中に返事をするだろう。
「おまえに名乗る名などない! おとなしく降参しろ」
「断る」
戸善はそういう千草の声を背に聞くと、近い敵に向かった。そいつは意味のない大声を出しながら刀をめちゃめちゃに大振りで振り回した。のこりの敵たちは状況をようやくつかんだのか加勢しようと接近してきたが、どこか勢いがなかった。闘いを始めておきながらおびえているとは、本気ではないのだろうか。
千草を背にかばい、大振りの隙をぬって胸に突きを入れた。かすっただけだが着物が黒く染まる。致命傷を与えるのではなく、ひるませるのが目的なので当たりさえすればいい。
なぜ切られたのかもわからない敵はうなりながら大振りを繰り返す。こいつはいままでこれでやってきたのだろう。当たりさえすれば勝ちという闘いだ。
次は足の腱を切った。立っていられなくなって崩れ落ちるところにあわせて腕の腱も切る。落とした刀を遠くに蹴飛ばすと、近寄り切れずに凍り付いている二人をにらんだ。
「お嬢様、そいつを取り押さえておいてください」
二人のほうへ駆け寄る。こいつらも刀を振り回すだけだった。
「なにゆえあってわれらを襲うか。申してみよ」返事をするとわかったので、勢いをそぐために声をかけた。
「うるさい。刀を捨てろ」
「おまえらがなにを吹きこまれたかは知らぬが、その様子だと楽な仕事だと思っていたようだな。どうだ、損をするつもりはあるまい。いまなら逃がしてやるぞ」小馬鹿にするように言った。
「馬鹿にしおって。許さん」
ひとりが向かってくる。こいつも声ばかり張り上げ、当たりもしない刀を振り回している。めちゃめちゃに振ればなにかに当たるというのは素人同士までなのに、とあわれみながら腹を突き、勢いが止まったところにとどめを刺した。喉を突かれ、あぶくの混じった血を流しながら、自分の死が信じられないという目をしていた。
のこったひとりを見ると、わけのわからない、悲鳴にも似た声を上げて逃げて行った。死体を探ったが特になにもない。道のわきに転がしておいた。
「終わりました」
そういって顔を向けると、千草様は敵の着物を使って手足を縛りあげていた。そのついでに止血もしている。そのあたりは訓練を受けた様子がうかがえた。しかし、持ち物などは探っていないようだった。
「生かしておくのか」
「聞きたいことがあります」敵はぐったりした青い顔をしている。その顎をつかんで上に向けた。
「おい、おまえの親分は?」聞きながら検査をする。さっきのやつとおなじ。短刀、財布、かんたんな身の回りの品。
「なるほど、黒鍬党か」書状が出てきた。これは署名入りで、なにかの証拠になりそうなので取り上げた。「では、親分は丹下九郎か。うん? いや、その様子ではなにかあるな。いってみろ」
「おい、苦しそうだぞ」
戸善は首を振る。「これは戦闘後の尋問に相当します。処置は後回しです」
「さあ、吐いてしまえ。だれが頭目だ?」こいつは舌をかみ切る覚悟もない。なにか聞き出せるはずだ。傷口付近を締め上げるとうめき声をあげた。
「たすけてくれ」
「答えろ」
「雷蔵様。大牧雷蔵様だ。さあ、たすけてくれ」
「いいかげんなことをいうな。証拠は?」
「自分で……たしかめろ。ああ、息が……。お願いだ。たすけて。死にたくない」
「明慶」
戸善はその男の短刀で喉を突いた。死体と遺品は道のわきに転がした。千草はその様子をじっと見ていた。
「やりすぎだぞ。尋問といったが、捕虜ならたすけるべきだろう」
「相当する、といっただけです。この状況で捕虜などとっていられません」
「おまえはほんとうにためらいもなく人を殺せるのだな」
「仕事ですので。いまはお嬢様がすべてに優先します」
「わたしを人殺しの理由付けに使うな」
「最短で帰国するという目標には変わりありません。その障害は取り除きます」
ふたりは警戒しながらまた進み始めた。書状をざっと確認する。血にまみれてほとんどわからなくなっていたが、ところどころ拾い読みしたかぎりでは、党首の指示による、農民からの借金の取り立てに関するもののようだった。
しかし、素人の手によって暗号化されていた。単純な文字の置換で、そのせいで文章が不自然になっていた。難なく解読する。目標がはっきりしない襲撃指示と、大牧雷蔵の名が読み取れた。
千草様にも見せたが、暗号のことはいわなかった。自分で気づかないのであればいう必要はない。
「話をしてもいいか」
「歩きながらでよければどうぞ」
「大牧家が敵になったのか」
「ありえません。なにかのまちがいでしょう」
「では、雷蔵個人か」
「考えてみましょう。こんなことをしてなんの得がありますか」
千草はすこしだまり、また口を開いた。
「おまえ、書状を見て黒鍬党といっていたが、どういう組織だ。知っているのか」
「土木をなりわいとしている専門家集団です。しかし最近は徒党を組んでよからぬことをする者もいるようです。過度にきびしい取り立てなどです」
「丹下九郎というのが党首か」
「そうです。どういう人物かは知りません」
「この件との関係は? 黒鍬党の者が襲撃の実行者にされているようだな。あのような未熟な腕で」
「まだわかりません」
「雷蔵と結びついているのか」
「家、ではなく個人でですか。それはありえます。恐ろしく危険ですが、ないとは言い切れません」
その言葉とは裏腹に、戸善は心の中で首をかしげていた。直接会ったのはあの時だけ、ごく短時間だが、そのようなたくらみができる人物とは思えなかった。怒りを御しきれず、恨みの感情を時と所をわきまえずぶつけてきた。そのため姉にたしなめられる始末だ。才人とはいえない。
「なんの目的にせよ、雨宮家に力をおよぼしたいのだな。わたしを人質に取ってでも。そんなことをしてとてつもない外交問題が生じたとしても」
「はい。しかし外交問題化は避けたいでしょう。われらを捕まえるのも秘密裏にしたいはずです」
「では大部隊は動かせないか」
「あるいは、元々大部隊などないか、です」
「なあ、明慶」
「は」
「前にいったが、公に出頭してはどうだ。いま敵についてわかったことからして、保護を求めたほうが結局は近道だと思う。それにこれ以上、……殺さなくて済む」
「賛成です。しかし」
「しかし?」
「一番近い『公』は大牧家です」
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