十八、蛇猫相搏つ

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十八、蛇猫相搏つ

 大牧雷蔵(おおまきらいぞう)の館まではそれほどの距離はない。暗いうちから使者が数往復し、中間地点の寺での会談が決まった時、日が昇り始めていた。 「寺なら中立でいてくれますね」朝食の席で千草(ちぐさ)がいうが、恵子(けいこ)は首を振った。今朝はふつうの着物だった。交渉に異国の服は避けたのだろう。 「住職は雷蔵(らいぞう)の名付け親です。いまでもかなりの寄進を受けているはずです」 「では敵地ですな」戸善(とぜん)が飯のお代わりをしながらいった。その様子を横目で見て千草(ちぐさ)が微笑む。一晩考えて得心したのか、ここでいってもしかたないと割り切ったのか、今朝は屈託のない表情だった。 「よく食べますね」 「ええ、きょうは頭を使い続けるでしょう。腹の中で燃やす薪が何本でもいります。こういうときに食べておくのも仕事です」  恵子(けいこ)がほほ笑む。「理由はなんにせよ、旺盛な食欲を見るのはうれしいものです。千草(ちぐさ)様もどうぞご遠慮なく」合図をするとまた皿がならんだ。 「千草(ちぐさ)様、食べながらですが、よろしいですか」戸善(とぜん)がいう。 「なんでしょう?」 「壁龕に入るとき、なんといわれたのですか」  千草(ちぐさ)は、笑う恵子(けいこ)を見てから答える。 「面白いものが見られますよって」 「嘘ですよ。わたしがいったのは、あなたの従者の裏側を見せてあげましょう、です」 「裏、ですか?」 「表でした? 戸善(とぜん)殿の表裏はどう見分ければよいのでしょう?」 「これは参りました。わたしの仕事では表も裏もそうたいして変わりありませんでした」  笑いあう二人を千草(ちぐさ)はじっと見つめ、おにぎりをほおばった。  館を出るとき、日は完全に地平線を離れていた。雲ひとつない快晴で、空気は冷たいが風がないので不快ではなかった。  馬の列の先頭は恵子(けいこ)で、千草(ちぐさ)をはさんで戸善(とぜん)だった。直轄地を抜けるまでは山瀬源吾(やませげんご)もついてきたが、取り決めで寺までは行けない。それをしきりに残念がり、心配がっていた。 「時間までに合図がなければ、約束など無視して突入しますよ」  寺は月城(つきしろ)国の様式と変わらないが、寄進が途絶えたことがないので手入れは十分行き届いていた。ざっと見ても、建物、塀や瓦に不具合は見当たらない。 「が多いですね。寺でなにかあるのかな」戸善(とぜん)がわざとらしくいう。塀のまわりに一定の間隔で散らばっていた。鍬や鎌といった刃のついた農具を持っている。 「はなから取り決めを守る気などないとは。小物ですね」軽蔑したように恵子(けいこ)がいった。こちらも全員刀を差すか懐に持っているが、会談に臨む者として封をしていた。  門前で下馬すると、寺務員が引いていった。刀は預けなくてよかった。そのまま会談の場である講堂に案内される。  広く、天井の高い講堂だったが、きょうは講義を受けに来たのではないので机は隅にかたづけられて座布団だけだった。また、数か所に炭が赤々と熾った火鉢がおかれており、暖かく快適だった。  相手は大牧雷蔵(おおまきらいぞう)島倉秀則(しまくらひでのり)の二人だった。すでに腰をおろしており、そのまま立ちもせずに頭だけさげてすわるよう手招きした。 「本日は急な会談ではあるが、よく来てくださった。今後について有意義な話し合いができると良いですな」  口火を切ったのは雷蔵(らいぞう)だった。この会談を主催したという形にしてある。みょうなところにこだわるからな、と朝食の席で恵子(けいこ)があきれたようにいっていた。 「近頃きちんと話もしなくなっていたから、このような場は歓迎する」 「姉上、同感です。して、お話とはなんでしょう」  戸善(とぜん)は炭火の暖かさを感じながらじっと様子をうかがう。  きょうは名代なのか、なんの立場できたのかまだわからないが、島倉秀則(しまくらひでのり)はずっと恵子(けいこ)様をにらんでいる。それが気になった。意図がわからない。  それと、この場は三郎丸(さぶろうまる)で通すか、戸善(とぜん)と明かすか。事前の打ち合わせができなかったのは失敗だった。しかしもうどうしようもない。なるようになるだろう。それにしてもこの任務、準備不足ばかりで不満足だ。新人でもあるまいし。 「雷蔵(らいぞう)、はっきりいうが、おまえの計略はすべてわたしの知るところとなった。また、その企みを進めるために外国人、いや、隣国の貴人に無礼をはたらいた。しかしながら、こちらの方々は外交問題にはせぬとおっしゃる」  二人は軽くうなずき、恵子(けいこ)の言葉を裏づけた。 「だが、そうかといってそのままなにごともなしというわけにはいかない。わかるな。雷蔵(らいぞう)、隠居し、出家せよ。それが最善だと思うがいかがか」  雷蔵(らいぞう)は小さく首をひねり、すこし間をおいて答えた。ゆっくりした話しかただった。 「これは異なことをうかがった。姉上、計略とは? また、わたしが隠居? 出家? どのような根拠がおありでしょうか」  恵子(けいこ)は目を島倉(しまくら)のほうへ移す。 「答えの前にお聞きする。そちらの御仁、あなたはどのような立場でご出席ですか。黒鍬党(くろくわとう)を代表されているのですか」  島倉(しまくら)は軽く頭をさげて答える。 「そう考えていただいてよろしいかと」 「そのようなあいまいな答え様は困ります。つまり党首、丹下九郎(たんげくろう)殿もご存じということですか。いわゆる名代として参られたのですか」 「いや、わたしは一幹部として……」 「なに、一幹部? ではあなたの言葉にどれほどの価値があるのですか。ここで約束されたことは信頼できるのですか。雷蔵(らいぞう)、こちらをお連れした理由はなにか答えなさい」  矢継ぎ早だった。 「それはあまりなお言葉。姉上、この者は黒鍬党(くろくわとう)を実質的に運営しております。島倉(しまくら)殿は党首の信頼厚く、その言葉は党から発せられたとみなして差し支えありません。また、本日は急な会談のため、党首のつごうつかず、名代の了承を得ることもかないませんでしたが、それが大きな問題となるとは思えませぬ」 「つまり何者でもないではないか。会談に無責任者を出席させるとはいかがなものか。党は事態を軽く見ておられるのか、それともわたしをか」  声が講堂に響いた。『か』という音で切れるたびに反響が耳を刺す。 「姉上、落ち着いてくださいませ。黒鍬党(くろくわとう)のこれまでの貢献はそのようなあつかいをしてよいものではございませんぞ。われら大牧(おおまき)家の今後の隆盛は党と島倉(しまくら)殿にかかっております」 「それと雨宮(あまみや)家か。こちらにおられる千草(ちぐさ)様を利用しようというのだろうが、それは逆にわが家のみならず、穂高(ほだか)国をも危機に陥れるとわからぬか」 「なにをおっしゃっているのですか。さきほどもおうかがいしましたが証拠はあるのですか。いくら姉上でもさすがに限度がございますぞ」 「襲撃の実行犯から押収した書状がある。こちらの三郎丸(さぶろうまる)殿が排除した際、血にまみれたものだ」  千草(ちぐさ)の肩が震えた。 「それが?」 「もし無関係だというのなら書状の宛名人に話を聞けるのだろう? ぜひお願いしたい。取り計らってくれぬか」 「党を敵に回すのですか。それは得策ではない。そのくらいわかるでしょう」 「それはこちらの言い分を認めるということだな。雷蔵(らいぞう)、それに島倉(しまくら)殿、そろそろ観念しなさい」 「後はどうなるのですか」 「わたししかいなくなるな。大牧(おおまき)家の領地経営ができるのは」  二人は青い顔をして唇を震わせていた。良くない、と戸善(とぜん)は思った。逃げ道を作ってやらないとまずい。恵子(けいこ)様の度量次第だが。 「早々に隠居するならば出家ではなく在家でもかまわぬ。また、館を含む本拠地とこれまで蓄えた個人財産の所有は認めよう。余生に困ることはないはずだ」 「姉上、これまでわれら二人うまくやってきたではないですか。大牧(おおまき)の姉弟といえば他家もうらやむほどでしたのに」 「壊したのはおまえだ。このような醜い騒動を起こしおって。事前に察知できたから良かったようなものの、家の外、とくに王室に届きでもしたらどうなっていたことか考えてもみよ。それに雨宮(あまみや)家にまで累をおよぼしおって、また乱を始めたいのか」  容赦のない言葉だった。さらにそれはもう一人にも向けられた。 「それと黒鍬党(くろくわとう)についてですが、わたしの推測では丹下(たんげ)殿は関わっていないとみております。あなたとその一派だけの不手際と考えていますが、相違ありませんか」  試しているな、と戸善(とぜん)は場の全員の表情を注意深く観察しながら出方をまった。この島倉秀則(しまくらひでのり)という人物がどの程度のものかこれでわかるだろう。 「相違ありません。どうされるおつもりですか」  まともな人物でよかった。自分のしたことを自分で背負うなら話が通じる。戸善(とぜん)は落ち着いた。 「それは党首が決めることです。しかし、今後わが領内での活動にはそれなりの監視が必要となります。目付を置くかもしれません」  そういわれると一瞬下を向いたが、また顔を上げた。覚悟を決めたのだろう。  恵子(けいこ)はまた雷蔵(らいぞう)のほうを向いた。 「では雷蔵(らいぞう)、早々に隠居届けを出すように。それと、領地と個人所有以外の財産目録を作っておくように」  雷蔵(らいぞう)の目が細くなり、口を強く結んだ。  だめだ。負けを認めた者を叩いてはいけない。勝ちを味わうのは自分一人になった時にするものだ。 「暖かいのはけっこうですが、少々暑くなって参りました。申し訳ありませんが火鉢をもそっと遠目に願います」わざとのんびりした声で命じた。これで怒気をそらせればいいのだが。血がつながっているのも厄介だ。いわなくていいことまでいう。  寺務員が入ってきて火鉢を移し、一礼して出ていくと雷蔵(らいぞう)様の表情がやわらいでいた。自分を取りもどしたらしい。そして、こちらに向かって軽く頭をさげた。 「それでは姉上のおっしゃる通りにいたしますが、家来などわが家で働いてくれている者どもの処遇、なにとぞよろしくお願いいたす」 「無論そうする。安心いたせ」 「お待ちを」島倉(しまくら)が口をはさんだ。顔がこわばっていた。「なにもかもおふたりで勝手に決めてしまうのですか。雷蔵(らいぞう)様。お約束はどうなるのですか」  恵子(けいこ)が軽くにらむ。「雷蔵(らいぞう)、説明せよ。約束とは?」  だまったまま下を向いている。 「話せなくなったか。まあ、だいたいわかる。大牧(おおまき)の実権を握りたかったか。黒鍬党(くろくわとう)と手を結んで」それから島倉(しまくら)のほうを見る。「で、島倉(しまくら)殿はちょうどいいところにやってきた千草(ちぐさ)様をとらえて雨宮(あまみや)家を味方につけ、丹下(たんげ)殿を追い落とそうという計画ですか」 「だまれ! えらそうに! おまえらはいつも上でふんぞり返って、手を汚すのは俺らばかり」ひざをたたく。「俺たちだって人だ。なのに働きもしないやつらがあがりをかすめていきやがる。公共事業だなんだと理屈をつけてな。もうがまんならん。俺たちは俺たちの国を作るんだ。農民の国をな!」 「正気か?」 「すました顔しやがって。おまえのその着物や奇妙な異国趣味、それはだれから取り上げた金で手に入れたんだ。それがおまえらのいう公共事業か!」  戸善(とぜん)は封を解くかどうかまよったが、もう少しだけ様子を見ることにした。 「島倉(しまくら)殿、冷静になられよ。それ以上はならぬ。われらは負けたのだ。もうこれ以上大事にしてはならん」 「この腰抜けめ! そんなにこいつが怖いか。いつまで姉の下にいるつもりだ。一度はまともになったと思ったが、もう腑抜けたか」  さすがに見逃せぬと思ったので割って入る。 「島倉(しまくら)殿。以前は丹下(たんげ)殿のご名代としてお会いしましたが、その時とはお人がちがったご様子。僭越ながら体調の不良ではございますまいか。それであればさきほどからのお言葉はわれらの耳に入らず、この講堂に霧消いたしたとしましょうぞ」なんとか聞き分けてほしいと願いながらいった。  ほかの三人はうなずく。しかし、さきほどまともな人物と感じた様子とはまったくことなる面があらわれていた。 「従者ごときが生意気な。おまえなどなんの利用価値もない。この場で成敗してくれようぞ」  懐から笛を取り出し、吹く。外が騒がしくなった。  こよりを引きちぎった。それは意識していない反射的な動作だった。それを見て千草(ちぐさ)恵子(けいこ)も準備をする。  雷蔵(らいぞう)は柄に手をかけて島倉(しまくら)にせまる。「なんのつもりだ! あの者どもを引かせよ」 「いいや、引かぬ。手順はちがうが結果にはたどり着いてみせる。一度に大牧(おおまき)雨宮(あまみや)が手に入るのだ。この機会逃してなるものかよ。いまこそ世をひっくり返し、下が上になるのだ」 「雷蔵(らいぞう)様、お待ちを。切ってはなりませぬ。殉じさせては連中を抑えられなくなります」抜きかけたので間に入って止めた。  その止めた姿勢からふりかえる一動作で島倉(しまくら)に当て身をくわえ、押さえこむ。着物を使って手足を縛り、舌を噛めないようさるぐつわをかませた。座布団を敷いて転がす。  あまりに手早いので雷蔵(らいぞう)はいぶかしげに戸善(とぜん)を見た。「何者だ? ただの従者ではあるまい」  その問いを無視し、講堂の庭に面した扉の隙間から外を見る。「十、いや十一、二か」寺の前にいた連中の一部だった。武装は見た通りの鍬や鎌。「数が数ですから厄介です。死ぬ気で向かってこられたらこっちも無傷では済まない」 「なにをしているのだ? なぜ踏みこんでこない?」千草(ちぐさ)が聞く。「つぎの合図を待っているのでしょう」と戸善(とぜん)は答え、床のほうに向かって取り上げた笛を見せながら、「やつらを引かせる気はあるか」と聞くが、返ってきたのはにらむ目とうなり声だけだった。雷蔵(らいぞう)にも見せるが、首を振るのが返事だった。「合図は知らぬ。また、やつらはこの者の命令しか聞かぬ」 「待つのか」恵子(けいこ)戸善(とぜん)の肩に手を置く。 「山瀬(やませ)殿はどれくらいで来ますか」 「そうだな。やつらの動きから異変は察知したはずだからもうすぐだ。では待ったほうがいいな」 「ええ、それにわずかな時間なら稼げます」 「戸善(とぜん)殿、いけません」千草(ちぐさ)が止める。 「いえ、山瀬(やませ)殿が来るにしても寺を囲んでいたあの連中をどうにかしてからです。その程度は稼がないと扉を打ち壊されます」 「わたしも」 「いいえ、訓練を思い出してください。千草(ちぐさ)様の任務目標は生き残ることです。そのための最善の行動はなにかわかっておられるはずです」 『おい、出てこい』『島倉(しまくら)様! ご指示を!』『ご命令なくば飛びこみますぞ』『雷蔵(らいぞう)様もご返事を!』  外が騒がしいが、うるさいだけで覚悟が感じられなかった。また、口だけですぐに突入しようという血気にも欠けている。武人なら、状況の停滞および予定の命令が発せられない時点で独自判断し、とっくに扉を破壊して作戦の次の段階に進んでいるはずだ。 「あれで世をひっくり返すか。冗談ではない」あきれたようにいう恵子(けいこ)だった。 「姉上、いまさらですが、ここまでとは思ってもおりませんでした。目が覚めましてございます」 「本当にいまさらだな。処分は変わらぬ。正しい順序をたどらずに力を手にしようとは、わが弟ながら愚かにもほどがある。隠居後の余生は反省して過ごせ」 「では、行きます。横から出てやつらの側面を突きます。わたしが出た後、すぐに閉めてください。雷蔵(らいぞう)様、いまはお味方ですね?」  そういい捨て、返事を確認せずに講堂の横へ走る。扉をわずかに開くが、こちら側にはだれも配置されていなかった。囲み方も知らない、ただの興奮した群れだった。そのまま体がすり抜けられるほどだけ開け、気を消して出た。直接見られないかぎりはそこにいるとは感じられないはずだ。  見回すと掃除か修繕に使ったのだろう、梯子が放置されていたので計画を変更し、屋根にのぼった。棟を使って体を庭の反対側に隠して様子をうかがう。十一人。寺の外でも闘いが始まっていたが、警備士たちは十分な人数だった。  庭に目をもどし、すぐに光球を連射する。十ほど撃つと息が上がった。確認できただけで五人の視力を奪ったが、その代わり見つかってしまった。「屋根だ! だれかあがって殺せ! 忍びだぞ」「怖がるな! すぐ解ける。見えないままじゃないぞ」そうか、忍びの術を知っている者もいるのか。  屋根に腹ばいになり、息を整える。光球が消滅する前にさらに敵勢力を削らねばならない。街道の時とは違い、倒すのが目的ではないのでなんとかなりそうだった。外を再確認したが、警備士の優勢は変わっていなかった。 「こいつ、死ね!」馬鹿がわざわざ上がってきたと教えてくれたので足を払うように切った。勝手に転げ落ちる。闘いや殺しに慣れていないと声で勢いをつけようとする。  戸善(とぜん)は息が完全にもどったのでのぼったのとは反対側の軒先にぶら下がってから植えこみにとびおりた。  そこから庭に回りこむと五人全員で向かってきた。二人に光球を命中させたが、これから刀を振り回すので乱射はやめておいた。 「忍びめ、卑怯な!」  縁に上がったり下りたりし、相手との間に柱を置くようにする。牽制に光球を撃った。まだ距離があるうえ、こちらもはげしく動いているので当たらないが、敵の突進をやめさせる効果はあった。こいつら、死ぬ覚悟もなしになぜ闘っているのだろう。  得物は鎌と鍬。鎌はひっかけるように動かされると刀を落とされるし、鍬は先端に重みがあるので振りまわして当てられると刀など折れてしまうだろう。農具を受けるのに刀は不向きだ。つまり、こちらから斬りにいくのみが正解となる。 「何者だ! 名を名乗れ!」  前に出た男が怒鳴ったが、無視して手首を切った。血が砂に滴る。手が落ちたわけでもないのに転げまわって苦しんでいる。よほど驚いたのだろう。人を傷つけに来て自分が傷つけられたら驚愕している。おかしなやつと思った。当てやすくなったので光球を撃ちこんだ。 「よくも!」  そして、大声でわけの分からないことを叫びながら二人が向かってきたがやはり決死の覚悟がない。滑稽にもおたがいに自分がうしろにつこうとしつつ、こちらに接近しようとしている。間抜けの相手に時間を取られたくないので先頭から順にふとももとすねを切った。  庭の中央に進むと、屋根から光球を撃ちこんだ者たちの術が切れかけ、光が弱まっていた。そろそろ周囲がぼんやりとわかるようになっているはずだった。  戸善(とぜん)は完全に回復する前に目のきかないもの全員の足の腱を切っていった。叫びとうめきを無視するのは慣れている。寺の砂を血で汚してしまったが、弁償は黒鍬党(くろくわとう)にでもさせておけと思った。  しかし、悲鳴以外の音は聞いていた。塀の外でも戦闘が行われている。やはり怒鳴り声や、情けない泣き声がする。では山瀬(やませ)殿も順調なのだろう。加勢は不要か。  門が乱暴に開けられた。鎌を片手にした血まみれの男が現れ、倒れた。そのうしろに返り血を浴びた男が立っていた。 「山瀬源吾(やませげんご)! 急な動きを察知したため、お時間の前なれどやってまいりました。皆様ご無事か」警備士らしく、同士討ちをふせぐためにまず大声で名乗った。 「御木本戸善兼光(みきもととぜんかねみつ)! 堂内は無事なり」同様に名乗る。  入ってきた山瀬源吾(やませげんご)は庭を見まわした。「おひとりで? 後で闘い方を教えてください」
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