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二十一、春霞、立つ
御木本家は春から大きく変化した。経済的苦境に蓋をしておけなくなり、使用人を減らしたのだった。いまでは家格によって定められた下限の人数で回している。そのためやむを得ず使用する部屋を限定することとなった。それ以外は封をして管理するのだが、まず締め切りの作業がやっと終わったところだった。
戸善は閉めきられた部屋の前をさびしく感じながら通り過ぎる。母の離れも換気以外の戸は閉じられ、木釘で封をされている。
「兼光、おまえにも考えてもらわねばならん。わかるな」
「はい。それにしてもなにゆえでしょうか。ここまでになるとは」
「国の方針が今年になって急に変わった。なんでも厳格にお調べになる」
それ以上はいう必要がないだろう、という顔をした。戸善はそうだろうな、と思う。これは自分のせいでもある。月城国でも隠し田の追及が本格化し、農民は隠し財産を持てなくなった。今期は国と王室の税収は上がるだろうが、隠し田などを目こぼしする代わりに臨時収入を得ていた家はすべて減収になる。
小郷里介は戸善も武人になれという。諜報部が課になると禄は減る。しかし、父が紹介できる武人としての職務ならそれ以上の現金収入が約束される。わずかな差だが、それですら無視できない状況になっているのは封をされた部屋を見ればわかることだった。
「では、進めてもよいな。この話」
「はい。部長には折を見てわたしから話をしますので、それからでお願いします」
「よし。早めにな。それと、今後のことだが……」
「いや、そちらはお待ちください。急になにもかも変わるのは困ります」
「だが、悪い話ではない。相手はうちと同格。不足はないぞ」
しかし、小郷里介もそれ以上は押さなかった。挨拶して出ていく戸善を見送るだけだった。そして、首を振ってため息をついた。
「そうか、おまえに抜けられるのは痛い。とくに局の下になるという時であればなおさらだ。うちの強みがひとつなくなるな」
畠山部長は手の中で湯飲みをゆっくりとまわしている。
「わたしも武人などにはなりたくありません。城の警備で一日を終えるなどぞっとします」
「きょうは辞職の挨拶に来たのではないのか」
「そういうことにしてありますが、そうではありません」
部長は笑ったが、かたい笑いだった。
「またわしのつながりを使う気か」
「申し訳ありませんが、お願いします。このままでは御木本家の者が全員城の警備任務に就きます。これは特定の家を優遇しすぎではないかという空気を作っていただければ結構です」
「それはいいが、お父上の考えももっともだと思うが。課になれば確実に禄は減るぞ」
「ご心配感謝します。しかし、決められた時に登城してずっとおなじところでおなじ任務を続けるなどわたしにはできるものではありません」
「たしかにおまえはそういう人間だな。だがな、ひとつ忠告しておく」湯呑みを置き、真剣な表情になった。「おまえ、お父上をだましたな。それはいかん。武人になるつもりがないなら正直にそう申し上げろ。わしのつながりを利用するのは良いが、お父上に対して小手先のごまかしなどするな」
戸善は頭をさげた。
「おまえは有能だが、その才に溺れておるようだな。人は歯車仕掛けではない。歯車のかみあわせを変えれば操れるというものではない。仮に一時はそうできたからといってもいつまでも通じるものでもない。諜報に熟達した者はそういうかんちがいをしがちだが、大概にせよ」
めずらしく感情をあらわにする部長に、戸善は震える思いだった。
「は、親身なお言葉、誠にありがとうございます」
そうとしかいえなかった。
その日のうちに事情を話し、父に謝った。そうなると予想していたようだったのは意外だった。
「そうか。やはり武人になるつもりはないか。まあよい。家はなんとかなる。借りはないから、切り詰めに切り詰めればいいだけだ」
「言葉をたがえまして申し訳ありません」
「そうだな。そこはおまえらしくなかったな。なにがあった?」
「部長には、才に溺れている、と叱責されました。その通りだと思います」
「よい上司だな」小郷里介は外を見てつぶやく。「本来はわしの役目だが」
「月が出ておる。おまえも見よ」
戸善も外に目をやる。庭木は今後管理が行き届かないため思い切った剪定が施されており、夜空が広かった。
「春の月です。少々霞んでおります」
「わしにはわからん。やはり年だな」
風が吹いたが、もう冷たくはない。
「ところで、大牧家との文のやり取り、まだ続いておるのか」
「はい」
「大丈夫か」
「大丈夫、とは?」
「とぼけるな。兄たちの立場も考えよ。つい最近までは敵だったのだぞ」
「いまはちがいますし、勝者はわれらです。月城国と雨宮家です」
「わしにも目と耳はある。大牧家の騒動、知らぬわけではない。力を持った個人が出現したこともわかっている。そしてその個人は御木本というごく小さな家の末子から旧敵の情報を得ようとしている。と、まあ、そう見られてもしかたがない」
「そのような……」
「ないといいたいか。それが通じると思っているのか。諜報の仕事をしておるのに自分のこととなると甘いのではないか」小郷里介はまだ外を向いたままで、一向に戸善を見ようとしない。「もっと利口にふるまえ。国と家、そう、国家のために」
戸善は頭をさげて自室に戻った。月がぼやけているのは春霞のせいばかりではなかった。
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