二十四、赤心洗うがごとく雑念なし

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二十四、赤心洗うがごとく雑念なし

 寺から便りが届いた。説得はうまくいき、急な行動はとりあえず止めたとのことだった。しかし、収めてくれたのは関係する家がうまくかじ取りをしてくれるだろうとの期待感からだった。つまり、そこを外してしまうと破裂するおそれがある。かえって危険になったともいえる状態だった。  一方、大牧(おおまき)家からはすぐにでも話し合いたいとの書状が着いた。 「兼光(かねみつ)、まかせてよいか」 「無論です。すぐ発ちます」 「不満がふくれあがっておる。寺の力とはいえ、いつまでも抑えられるものではなかろう。また、豪農どもが扇動しているとも伝え聞く。ぬかるなよ」 「おまかせを。しかし、いまだ兄上たちは動けませぬか」 「王室で式典やら行事やらがたてこんでおるとのことだ。やむを得ん。動ける者が動こう」 「は、では留守にいたしまする」 「たのんだぞ」  関所での御改めはすでに話が通っており、最小限だった。書類上の形を合わせたに過ぎない。迎えには山瀬源吾(やませげんご)が来ていた。異国趣味は変わっていない。 「お久しぶり、というほどでもございませんが。急ぎます、よろしいですか」 「また世話になります」  城も恵子(けいこ)様も変わっていなかった。しかし、衣服は見たことがない外見だった。 「執務に最適化された服です。上下一揃いが共布で仕立てられ、といいます。異国では一般的に用いられているようです」 「たしかに見た目からして筆の運びがはかどりそうですね」  実をいえば直線が多すぎて好みではない。忍びの自分からすれば動きに制限が出そうなのが気になる。たとえば腕を真上に上げるときに引っかかりがありそうだった。  そう考えながら、千草(ちぐさ)様からの言葉を伝え、挨拶を済ませると応接室に通された。 「書状でもお話したとおり、農民たちとの交渉についてですが、雨宮(あまみや)家は大牧(おおまき)家と足並みをそろえて対応を行いたいと希望しています」すわるとすぐに用件に入った。 「そして、御木本(みきもと)家は仲介に当たるのですね。労多くして功少なし、となりそうですが」 「それでも、農民が蜂起するような事態だけは食い止めたい。功少なしといえども損害を被るよりはましです」 「わかります。では、かれらの要求をどのように満たすかについて両家の基準や責任の範囲などを決めるのがいいでしょう」  恵子(けいこ)はそういって菓子をすすめる。「といいます。どうぞ召し上がってください」 「いただきます」甘くて、独特の香ばしさと、脂の重みのあるしっかりした食べ応えのある焼き菓子だった。恵子(けいこ)が笑う。「またそのお顔ですね。戸善(とぜん)殿にお菓子を召し上がっていただくのは楽しくてなりません」 「こちらではめずらしい菓子ばかりいただきます。香りも味も口中での感触もすべてがはじめてです。しかもおいしい」 「喜んでいただけると入手したかいがあります」  恵子(けいこ)は茶碗と菓子皿をいったんべつの小卓にうつし、あいたところに地図を広げた。手の白さが目立つ。 「農民の主張にもとづき、血縁で色分けしています。どうしますか」 「どのような案にも短所がついてまわります……」戸善(とぜん)の残り香が消えていくのを感じながらいう。「……たとえば、分断された親類縁者は国境通過時の御改め無用とすれば経費などはまったくかからず、いますぐにでも実行できますが、一方で密輸などの犯罪を助長するだけでしょう」  さらに地図を指さして続きをいう。 「土地交換もこれでは現実的ではありません。等価では不可能ですね。わずかでも損をする者の不満は大きい」 「では、登録制は? 証明書発行と管理の手間はかかりますが」 「その手間は現実的ではありません。王室がなんというか。なんの利益もなく、ただ単に一地方の農民の不満をそらすためだけの業務だと却下されるでしょう」 「では、どうすれば? 良いお考えをお持ちですか。戸善(とぜん)殿は」 「かなり常識を外れていますが、国境の両側に散らばった家族を関所の下働きとして雇ってはいかがでしょう。いまおっしゃった登録制の変形です。ただの登録ではなく雇うためなら手間も許されるでしょう。そして、関所の傭人となれば通行に便宜をはかるのに法の改正は不要です」  理解できない、あるいはまったく飲みこめないという顔をしている恵子(けいこ)に向かい、戸善(とぜん)はさらに続ける。 「また、報酬を与えることによって不満をそらし、不正を抑止できます。なんといっても定期的な現金収入は大きく、失いたくないと思うでしょう」 「雇用を飴にするですね」 「補償も兼ねております。お認めにはなりたくないでしょうが、水争いに端を発しているとはいえ、農民は親類縁者の分断までは望んでいなかったでしょう。現状は両家の争いに巻きこまれたようなものです」 「はっきりとおっしゃる」 「農民の立場を述べたまでです。かれらは実力行使まで考えていますが、その心情を理解しなければなりません。が、かといって領地を治めるのは両家であるのも事実です」 「だから、どこかで妥協し、飴を与えよと。そうおっしゃるのですか」 「関係者ですこしづつ負を担えば破滅的な事態にはなりません。これがわたしの提げる案です」 「皆で負を担う、か。わかりました。王室には話を通しておきましょう。月城(つきしろ)国でも同様に願います。深山守(みやまのかみ)殿によろしくお伝えを」 「おまかせください」 「戸善(とぜん)殿には苦労ばかりかけますね」 「意義ある労です。苦にはなりませぬ」  恵子(けいこ)は椅子に深く腰掛けなおした。背もたれに体を預ける。緊張がとけたようだった。地図を指さす。 「水と土地の争い。この地図を見ているだけで叫びが聞こえてきそうです」 「わたしもです。地図はただの記号の寄せ集めではなく、物語のように読み解けるものなのでしょう。ここからあそこまでは穂高(ほだか)大牧(おおまき)家の領地、そちらから向こう端までは月城(つきしろ)雨宮(あまみや)家の支配下。そして流れる河川の管理もそこの区切りによって分割されている」  吟じられる詩のように戸善(とぜん)の言葉を聴いている。 「わたしはその土地ごとの人口や収穫量をそらんじております。それが単なる数字ではなく、領民の流す血であると、最近おぼろげに感じとれるようになりました。だから恵子(けいこ)様のお耳にとどいている叫びと、わたしが見ている血は、たぶんおなじものなのでしょう」 「戸善(とぜん)殿、すべてを投げ出し、辺境へ逃げたくなりませんか」  遠くを見るような目でいう。 「わたしの場合は、忍びの術を使って死ぬまで気を消していたくなります」 「なるほど。わたしはそこまで訓練しませんでしたが、忍びは気を消せるのでしたね」 「訓練?」 「学生の頃、情報の価値に気づき、諜報を専門にしようと思ったことがあります。基礎訓練を受けましたがさんざんな成績であきらめました」かすかに笑う。「驚かれましたか?」 「ええ、大家の方が諜報部門に進もうとされるとは。穂高(ほだか)国でもまれなことでは?」 「そう。そちらとおなじです。忍びの道は汚れているとされています。諜報はまず第一に死なずに情報を持ち帰れ、ですし。とにかく生き残ろうという術は卑怯、未練ということのようです」 「情報の値打ちはあまり理解されません。形がないからでしょう」 「けれど、名誉は大事とされています。これだって形はありません」 「たしかに。それに、名誉は情報の一種です。武勇に優れているとか、功績をあげたという情報に(ほまれ)が与えられるわけです。おかしいな。情報の価値は認められている、と。しかしながら、情報を収集して分析する諜報の価値は低い。わからなくなってきました」 「手段、なのでしょうか? 嫌われているのは。情報収集はきれいごとではありません。そこでは?」 「汚い手を使うのは武の道でもです。戦ともなればだましあいです。背後をとったり不意を突いたり、なんでもあります。諜報だけではない」  恵子(けいこ)は微笑む。 「戸善(とぜん)殿も忍びの道を選び、進むにあたっては色々とあったのでしょうね。御木本(みきもと)家といえば優れた武人で知られていますから」 「むかしのことです。それに、わたしは結果は出していますから、批判は気になりません」  地図をたたみ、遠慮する戸善(とぜん)を制して茶のお代わりを淹れる。夕日が部屋の奥の壁まで照らしている。 「『蝸牛角上の争い』という言葉を教えてくださいましたね。以前の文で」外の様子を見ながらいうその顔も赤く照らされている。「もっともだと思います。弟のしでかしたことや、この農民への対応はそうでしょう。わたしからすれば両方とも大きな事件で、対応に難儀していますが、それこそ『蝸牛角上の争い』にすぎません」  戸善(とぜん)のほうを向く。 「われらはもっと密接に結びつき、大国に対する発言力を持つべきと考えますがいかがでしょう」 「ごもっともなお考えです」 「また、その書状の中で、『未来をつかむための方策をともに考えたい』ともお書きでしたね」  どういう方向に話を持っていきたいのかわからなくなった戸善(とぜん)はあいまいにうなずいた。 「ところで、戸善(とぜん)殿はおひとりなのですか」  ますますわからない。 「ええ……。任務の都合上一つところに落ち着きませんので、そうした話もありません」 「お父上は? なにかお考えではないのですか」 「心づもりはあるようですが、受けてはいません」 「ご無礼でなければよろしいのですが、わたしもお話させていただいてよろしいでしょうか」 「は、しかし、申し上げましたように、任務により旅ばかりになります。家を守る余裕がなく、一家をかまえるなど想像もできません」 「わたしの話ならそれも同時に解決できます」  自信ありげにそういった。 「どのようなお話でしょうか」 「わが大牧(おおまき)家に養子に来ていただくことをご検討くださいませんでしょうか」 「は?」  時間が止まった。頭が働かない。 「突然のお話、失礼いたしました。しかし、両国の今後のためにはこれがよいと思うのです」 「なぜわたしなのですか」 「関係する各家において、独身かつ家を継ぐ立場でないのは戸善(とぜん)殿のみです」 「お待ちください、それではただの養子ではありませんね」 「そうです。婿養子です」 「どなたの?」 「わたしの」  時間は動き出したが、とてもゆっくりで、糖蜜のなかでもがいている蟻のようだった。まだ考えがまとまらない。 「お嫌ですか。なにか不都合でも?」 「家格がちがいすぎます。わが家はこちらとはくらべものにはならないほどの小家です。ここほどの大家が婿を迎えるならばそれなりの格の家からでは?」 「たしかに格についてなら、雨宮(あまみや)家が相応でしょうが、独身男子はいませんし、当家にも婚姻できる男子はいなくなりました。よって候補にはなり得ません。また、だからこその養子です。大牧(おおまき)の男子になれば格の問題はなくなります」 「養子で格をそろえるとは貴族ではあまり聞きません。また、お恥ずかしながら、御木本(みきもと)にはご提供できる力はなにひとつとしてございません。経済力も、政治力もです」 「あまり聞かずとも前例はあります。王室も認めています。それに、御木本(みきもと)家には戸善(とぜん)殿がおられます」 「わたしに値打ちがございますか」 「情報にもとづいて分析と判断をくだす力に著しく秀でておられます。その力、諜報などではなくもっと大きい盤面で発揮したくはありませんか」 「お耳が早い」 「各国の情報収集と分析能力には常に注目しています。月城(つきしろ)国はあまり重視しないと決めたようですね。縮小する組織でご満足ですか」 「それでもわたしの国です」 「未来を、共に創りませんか」 「たいへん魅力的なお話ですが、やはり身分がちがいすぎます」 「では仮定の質問ですが、家格や身分の差がなければこの話はいかがですか」 「いま申しあげたとおり、たいへん魅力的です。しかし仮定は仮定にすぎません」 「それでも仮定の話を続けますが、家格や身分の差がなくても魅力的とは、どこに魅力を感じられたのでしょう?」  戸善(とぜん)恵子(けいこ)の目を見た。誘導に成功したといういたずらっぽい目だったが、同時にまじめに答えを求めているようでもあった。ならば、真剣に答えよう。 「恵子(けいこ)様ご自身にです。前にも申しましたが、自らを信じる強い念をお持ちです。それはわたしにとって尊く、敬うに値する資質です」 「お上手ですこと。けれど、わたしはそのような……」 「追従や嘘偽りではございません。あ、お話をさえぎって申し訳ありません」 「いいえ。では戸善(とぜん)殿はそのようにお考えなのですね。ならば家格や身分の差など考えるまでもないでしょう」 「しかしながら、仮定は仮定です。現実的には家と家が結びつくときに家格と身分は重要な判断材料です」 「わたしがお嫌いなのですか。傷つけまいとしてそのようにかたくなになっておられるのですか。もう遠くへ行かないでください」 「とんでもないことでございます。お慕い申し上げております」  目が見開かれた。 「それをおうかがいしたかった。ならば、話は決まりました」 「なにも決まっておりません」抗議は弱々しかった。 「どうして? 慕いあうもの同士が結びついてなにがいけないのです?」  慕いあうもの同士、という言葉が戸善(とぜん)の心中で響いた。 「婿養子ともなれば父上に話をしないといけません。それに国内の婚姻ですら王室への届けが必要ですが、他国ならなおさらです。複雑にして多数の事務上の手続きがございます。少なくとも分断の問題に決着がついてからあらためてのお話としたいと存じます」 「そのうちにつぎの問題が出てきます。いつまでたってもきりがない。決着まで待つのではなく、動きはじめさえすればあとは同時並行で進めましょう」 「なぜそのようにお急ぎになるのですか」 「わたしは、あの山で戸善(とぜん)殿をお見かけしてからずっと慕っていたのです。もう待てませぬ」  夕日に照らされたその顔、その目を見つめた。恵子(けいこ)は視線をそらそうとはせずにまっすぐに見返す。戸善(とぜん)の心は決まった。 「ならば進みましょう。われら二人手を取り合い、ただ前に歩みましょう」
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