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二十九、旅は道連れ世は情け、しかし刀は忘れずに
大牧家の迎えは、厳密に古式に則ったものであり、わずかな妥協もなく、通過地の人々の目を引いた。
さらに御木本家の家中を驚かせたのは、到着してから着替えた恵子様の装いだった。こんどは伝統を無視し、異国のあざやかな着物をまとっていた。虹の色をすべて集めたような異国の草花の模様で、座敷が一気に華やいだ。
そしてもうひとり。王室から中年過ぎの男が来ていた。急報にあった非公式の御見とどけ役で、昨夜たった一人で到着したのだった。地味な色と模様の着物だったが、この座敷のだれよりもぜいたくで高価なのはあきらかだった。
「宮巴一です。本日は国王名代として式次第を見とどけます。ただし、非公式ですのでいっさいの儀礼は不要にございます。また、宮家の者として個人的にお祝いを申し上げます。おめでとうございます」
一同は深く礼をした。氏、呼び名、真名、いずれも一文字。しかも宮家といえば建国神話にも語られる家柄だった。非公式かつ一人できてくれたのはひとえに御木本家の経済状況を気づかってくれたものにほかならない。
戸善は、裃を着てきます、という合図をして座をはずした。小郷里介が話を始める。
「巴殿、よくおいでくだされた。また、国王御名代にて式次第御見とどけとのこと、承りました。御立会いいただき、御存分に御覧ください」
つぎに大牧恵子のほうに話しかけた。
「それでは兼光がもどりましたら始めましょう」
「はい。それと、いまのうちに挨拶申し上げますが、本日は丁重なるご歓迎感謝いたします」
「準備は整っております。父として、兼光をよろしくお頼み申します」
「ありがとうございます。書状でいくどかお話しておりますので小郷里介様とははじめての気がいたしません。では、こちらのおふたりが兄様方ですね」
長兄と次兄が頭を下げ、名乗って挨拶をした。
「兼光は末子ゆえ、わがまま者にございます。無理あらば叱ってくだされ」と、憲時がよけいなひとことをつけくわえ、一同は笑った。
「なにを笑っておいでですか」戸善が裃を着けた姿で現れた。庭では山瀬源吾が指揮して荷物が積みこまれているので着替えついでにちょっと挨拶をしてきたのだった。
「ええ、いま憲時様より兼光殿はわがまま者だとうかがいました」
「なに、わたしがわがまま者? それは慧眼」また皆が笑う。宮巴一も微笑んでいた。
「それにしても肩をどうされました? さきほどからかばっておいでのようですね」
「いや、なんでもない。ちょっと試合をいたした」
「お気をつけください。だいじな体ですよ」
恵子は、その言葉に対する皆の反応に、なにかあったがこれは追うべき話題ではないと察し、話を変えた。
「本日より大牧家と御木本家は親戚と同等の関係となります。しかしそれだけにとどまらず、穂高国と月城国の友好関係にまで深めていければと考えております。どうかよろしくお願いいたします」
この座敷のものは皆、とくに宮巴一は友好でとどまるはずはないとわかっていたが、いまは口にしない。
「もちろんです。友好はわれらの望むところでもあります。息子がそのきっかけとなれますよう願います。あ、いや、今日から息子ではなくなりますが」
「いいえ。親と子の間柄が切れることはございません。兼光殿は二組の父母を持ち、祖先に拝礼するのです」
「幼子のころ、こやつは拝礼を抜け出して遊んでおった。すぐ捕まって折檻されていたな」貞義が遠くを見る目をしていい、憲時もうなずいた。笑い話のようないい方だったが、ふたりとも懐かしむばかりで笑っていなかった。
「幼子はいともかんたんに儀式や伝統を無視しますね。愚かだか賢いのだか」恵子がいうと、やっと皆は笑った。
「そうだ、戸善の呼び名はなくなるのかな。こういう前例が見当たらなかったので判断できないが」と憲時が思い出したようにいった。
「それはこちらで調べました。やはり穂高国の貴族となるので、公式には呼び名は失います。大牧兼光殿、となります。しかし、非公式に使う分にはなんら問題は生じません。あえて捨てるにはおよばずといったところでしょう」
「では、月城国では戸善の呼び名は使えますな」と小郷里介が受けた。「母の供養には帰ってきなさい」
「まだ行ってもいないのに帰る話ですか」戸善はかるく答えた。「しかし、母の離れは閉めっぱなしにしないでください。ときどきは風を通してくださいますようにお願いします」
戸善は周囲のざわめきの変化から、荷物の積みこみが終わりつつあると知った。そして一同の顔を見回し、いまを記憶にとどめた。ただ、この座敷にはわたしを含め、千草様のような目をしている者はいないなと思った。いつの間にあの目の光を失ったのか、そして、それはいいことなのか悪いことなのか、いい悪いではなくしかたのないことなのか、まったく見当がつかなかった。
外から山瀬源吾の声がした。「積みこみすべて完了。出発準備整いましてございます」
ざわめきがやみ、儀式にふさわしい静寂が訪れた。一同座りなおす。今日、上座には戸善と恵子が、補佐する位置に小郷里介がいた。宮巴一は式を妨げぬよう、脇に下がった。
小郷里介が、式の開始を宣言した。まず盃を交わし、御木本家当主として息子の婚姻を認めた。つぎに戸善の裃の紋に象徴的に短刀を当てていき、形式として親子の縁を切った。
その短刀を恵子が押しいただき、大牧の紋の入った裃を戸善に与えた。いったん中座して着替える。
着替えてもどってきた戸善は、もう大牧兼光であった。ふたりは御木本家の来客として下座につき、上座には小郷里介が座っていた。
「これにて婚姻と養子縁組に関する御木本家における式はとどこおりなく完了しました。御木本家当主として、皆に感謝し、また、おふたりとその未来を寿ぐものです」
緊張が解け、座敷は外のやわらかい日差しを受け入れられる雰囲気となった。軽食が供される。
「なんと呼べばよいのか。いや、わかっているが照れがあるな。もう兼光殿、か」憲時がぽつりという。
「あまりかたくるしくお考えのなきよう願います。さきほどのはあくまで儀式。紋を切っても血のつながりは切れませぬ。どうか兄上に父上でいてくださいませ」と恵子が返した。
「あたたかきお言葉、ありがとうございます。では、われらはこれからも兄弟ですな」貞義がいい、兼光と恵子はうなずいた。
「だが、非公式には、だぞ。おまえたちは調子に乗る悪癖がある。そこはわきまえよ」と上座から注意が降ってきた。
「ひとこと、よろしいですか」宮巴一だった。ちいさい声でゆっくりとした話し方だが、座敷は静まり、全員注目した。巴自身は自分の発言が起こす効果には慣れているのか、視線を集めてもそれが当然といった顔だった。
「どうぞ、御遠慮なく」小郷里介がうなずいた。
「儀式が滞りなく完了し、養子縁組と婚姻が行われましたこと、このわたしに与えられた御役目をもってたしかに見とどけました。これを遅滞なく王室に御伝えいたします」間をおき、また続ける。
「また、国を超えた貴族間の養子と婚姻、いずれもまれなできごとであり、両国にとって瑞兆であることを願います」一同を見回した。
「月城国、穂高国、いずれも優れた王によりはるか神代の昔から統治されております。この事実は大地のごとく、大海のごとく揺るがぬものであります。どうかおふたりも忠臣として励まれんことを望みます。さすれば王の恵みもいきわたるでありましょう」
兼光はぐっとこらえた。御見とどけ役などというが、結局は釘を刺すのが目的だったか。だが、ここはおとなしくしていよう。べつになにか約束をするのではないし、そもそも非公式の来訪であることは巴様自身が認めている。今日はただ頭を低くしておこう。そうすれば無意味な言葉は通り過ぎていくだろう。
「なるほどさすがは宮家の方のお言葉。たしか国創りの神話でも忠臣でありましたな」
恵子がいった。兼光は笑いだすのをこらえた。そうか。わたしがまちがっていた。釘をただ刺されるままにするは愚かだった。こちらも針くらいはあると示すべきだ。
「穂高国の方も月城国の神話をご存じなのですか」巴はこういう場で言い返された経験があまりなく、驚いていた。
「はい。隣国の神話は習います。たしか、宮家の祖神は国創りでもっこをひっくりかえして土をばらまいたのでしたね」
まわりの三人は口をはさめなかった。なにが起こるのかさえわからなかった。いや、わかりたくなかった。
「その通りです。結果、大陸の周囲に豊かな諸島ができたのです。また、それらが極端な気象から本土を守っております。ちょうど貴族が王を御守りするようにです」
「なんの証拠もない、ただのお話ですね。異国にもそれぞれ建国の神話があります。すべて同工異曲です」
「つまり、国王の権威もただのお話と、そうおっしゃりたいのですかな。変わっているのは衣服だけと思っておりましたが。まあ、ここだけのざれ言といたしましょう。大牧恵子様とあろうお方が王をお認めにならぬはずがない」
「もちろんでございます」兼光は口をはさんだ。妻となる人への侮辱は聞き捨てならない。立場をはっきりさせておこう。「ここにいる者はすべて貴族。王の権威を認めぬなどありえませぬ」
巴は場を収めようとしていると判断したのか満足げにうなずいた。そこに重ねていう。
「しかし、王者は神話によってではなく、国家を運営する力によって貴族たちから信頼と支持を集めねばなりません。いや、力と、愛情です」
「それは最近学僧がいう御説に近い。なるほどそういう面もあるでしょう。そして、現国王はもちろん力も愛情も備えておられます。それは認められますね。兼光殿」
なるほど、そう呼ぶのか、と兼光は思った。
「そのおっしゃるわりには、さきほど一殿は神代の昔からの統治を事実とおっしゃった。では、王はなにによって支配するのです?」
「お答えする前にですが、そのようにわたしを呼ぶのですか」
「これはどうも。もう穂高国の貴族のつもりでおりました。言葉には気をつけませんと思わぬ災いを呼びますね」
厳密には謝っていないのだが、巴はそれ以上追求せずうなずいていう。
「さて、お答えですが、王の支配はさまざまな根拠によります。偉大な祖神に連なる血統もそうですし、国家運営の力や、無限に注がれる愛情もそうです。学僧によって考え方はちがうでしょう。そのそれぞれをいちいち挙げはしませんが、いずれの御説でも現国王が王たるにふさわしいことはあきらかとされています。それに疑いをさしはさもうというのですか」
「いいえ。御説そのものには疑いはありません。けれど、その御説をとなえた学僧の寺はどこから寄進をうけているのでしょう」
一同はたまらずふきだしてしまった。巴すら笑っている。
そよ風が座敷に入ってきた。
「はは、なるほどそのような見方もありますね。今日はめでたい席ですし、わたしの立場は非公式です。このような話をつづけるのはふさわしくないでしょう。どうです。ちょうど風が出てきました。吹き流してしまいませんか」
兼光と恵子、そして皆がうなずいた。
それがきっかけになったかどうか、全員立ち上がった。山瀬源吾がなにがあったかと心配げな顔をしていた。
ふたりは微笑みながらそれぞれの駕籠に乗ったが、戸はあけたままだった。あとには荷物を積んだ車の列がついている。
「兼光、本気か」小郷里介がすぐそばまで近寄り、乗りこんだときに乱れた衿をなおそうとする振りをしながらささやいた。兼光もおなじようにささやきかえす。
「もちろん。与えられた場所で最善を尽くします。わたしは父上と母上の息子です」
「よくいった。では、体に気をつけてな」
「それでは、さらば」兼光が皆に別れを告げた。
「出発」源吾のよくとおる大声がひびき、列が動きはじめた。巴は無表情だった。小郷里介と憲時、貞義は武人らしくまっすぐに立ってほこらしげだった。使用人たちも特別に許されて遠巻きに見送っていた。
ふたりを運ぶ駕籠と車は御木本家の門をくぐり、外の世界へと出て行った。
了
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