三、お膳立てすれば憂い無し? (回想の部 全六章中の二)

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三、お膳立てすれば憂い無し? (回想の部 全六章中の二)

 三日後、戸善(とぜん)はまた部長の前にすわっていた。文机に革表紙を二つならべて置く。 「資料はお返しします。それとこちらが行動計画です。一枚目が概要です」  部長は目を通した。その目の動きに合わせるようにして説明を始めた。 「千草(ちぐさ)様から提出された行動計画は読みました。商人に偽装するというのは通常であれば妥当な線です。しかし、彼女の成績では無理が生じると予想されます。商業に関する一般常識すら怪しいものですから」  戸善(とぜん)は目の前に置かれた茶を無造作にとってすすった。目が赤い。 「とにかく、彼女の能力では偽を減らし、真に紛れこませるのが良策かと考えます」 「つまり、そもそも偽装しない、と?」 「そうです。雨宮(あまみや)家三女として入国させます。高等学校で歴史と言語学を学んでいます。そこで、研究と卒業旅行を兼ねて穂高(ほだか)国に入り、堂々と取材を行わせます」 「ここに『古代言語の変遷と伝播の調査』とあるが」 「そうです。そこで部長にお願いしたいのですが、彼女がこの題目で研究するよう担当教授から指導してもらってください」 「わしがか」 「はい。失礼ながら部長は各方面につながりをお持ちとうかがっております。王立高等学校にもお知り合いは多いかと」 「いつの間に調べた? 戸善(とぜん)、油断ならんな」  二人は笑った。 「それと、身分を詐称しない通常の旅行ということになると、雨宮(あまみや)家側からお付きの女官が出るでしょうが、これは千草(ちぐさ)様が断るように教官から誘導させてください。女官ではいざという時に不安があるとかなんとか理屈をつけて」 「だが、それはそれで不自然ではないか。三女とはいえ雨宮(あまみや)家ほどの家の娘が一人旅とは」  戸善(とぜん)はその先を読むように目でうながした。 「なるほど、おまえが付くのか。雨宮(あまみや)家の私設警備士としてだな。偽は少ないほうがいい、か。護衛任務で表向きも護衛として付き添うつもりなのだな」 「はい。そのほうのつじつま合わせもお願いします。深山守(みやまのかみ)様に話をしてください」 「わかった。高等学校と養成所、それから雨宮(あまみや)家、全部なんとかする」  部長は窓障子を開け放った。 「しかし、暑いな。日毎に暑くなる」  その後、日が落ちるまで細かい所を詰め、戸善(とぜん)は帰宅した。月が冴えて明るく、風が出て昼の暑さの名残りを吹き払った。  自室でさらに行動計画の細部を修正し、資料を読みこんでいると使用人が来て御館様がお呼びだと告げた。散らかしっぱなしの書類を鍵のかかる箱や引き出しにかたづけてから奥の座敷に行った。 「ご主人様、お連れしました」 「よし、入れ。おまえはさがってよい。もう仕事はないから休め」声が静かに命じた。  戸善(とぜん)は使用人が一礼して去るのを見届けてから座敷に入った。広く、掃除が行き届いており、油を惜しんでおらず明るかった。 「兼光(かねみつ)、この頃はどうだ。仕事は順調か」当主小郷里介(おごうりのすけ)はくつろいだ様子だった。 「はい、父上。おかげさまで滞りなくこなしております」 「嘘をつけ。家にまで仕事を持ち帰りおって。遅くまで灯をつけてなにをしておる」 「国のための仕事は常にあります」 「諜報か」  あざけるような口調だった。 「なあ、兼光(かねみつ)。兄たちのように武人になる気はないか」 「なんど聞かれましても答えは決まっております。わたしは諜報を卑しい仕事だとは思っておりません」 「親にすら任務を明かせぬのにか。一年も家を空け、そのうえ商人などに身をやつしおって。この御木本(みきもと)家、名家とはいえぬかもしれぬが代々忍びの術などに手を出したことはなかった」 「どのような仕事にも秘密はついてまわります。軍にいても機密事項はあるでしょう。また、任務遂行の方法もさまざまです。国のために働いているのに恥もなにもございませぬ」  それを聞くと御木本(みきもと)家当主は天井を見上げ、父親としてため息をついた。 「それに、いい年をして独り身なのはおまえだけだぞ。兄たちのように身を固める気はないのか」 「この仕事、安定して一つところに居られはしません。家庭を持ったり、御木本(みきもと)家を継いだりは兄上たちにまかせます」 「呑気な。末とはいえもうすこし責任感を持てぬのか」 「もちろん、国や王に対する責任は果たします。申し訳ありませんがまだ仕事がのこっておりますゆえ、そろそろよろしいでしょうか」 「勝手にせい」  苦虫を噛み潰したような小郷里介(おごうりのすけ)を後にして自室にもどった。月が庭の池に光を落としている。風が吹き、その姿がゆれて散った。
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