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五、親心あれば任務開始(回想の部 全六章中の四)
「小夜子、もうさがりなさい。わしはまだ明慶と話がある」
娘は一礼すると部屋を出た。家にいる点を割り引いても基礎訓練を受けたとは思えないほど隙だらけだった。
「戸善殿、いかがかな。小夜子は?」
「打ち割った所を申し上げますと、いまでも任務を取りやめにして頂くようお願いいたしたいと思っております」
「それほどか」
「はい。人には向き不向きがございます。千草様は諜報には向いておられません」
「有り体を申せ。小夜子はどこが欠けておる?」
「欠けているのではございません。素直すぎまする」
「素直すぎる?」
「人や、観察した状況をそのままとらえておられます。人心や物事の裏を見ようとなされておりません。それどころか裏側を想定していない様子がうかがえます」
深山守は戸善をにらんだ。
「あまりないい様ではないか」
「しかし、わたしをうたがおうともされません。深山守様の推薦をそのまま受け入れられました。諜報部の部員であればわたしについて探りを入れるべきです。そうすれば柄明慶などというにわか作りの仮面はすぐに剥がせたでしょう」
深山守の目がさらに細くなった。
「のう、戸善殿。ひとつわしと手合わせはいかがかな」
「おうたがいですか」
「いや、実力ではない。心を計りたい」
「心を計る? よくわかりません。しかし、深山守様は武の術。わたしは忍びの術でございます。他流はよろしいのですか」
「そんな堅苦しいものではない。では、よいな」
深山守について屋敷をぐるぐると歩き、訓練場に入った。床は板張りでだれもいない。
「お好きに」
壁にならぶ木製の模擬武器を指す。戸善は短刀、深山守は刀を取った。
「よいのか? 間合いには入れさせぬぞ」
「言葉はいりませぬ。始めましょう」
おたがい距離を置き一礼する。
戸善は片手で短刀をかまえ、すり足で深山守の左側へまわりこもうとした。足は交差させないよう、肩幅より狭くならないよう動かす。また、常に短刀を細かく動かし、筋を読まれないようにしている。型を知らない者が見たら酔っぱらいが蟹のまねをしているような滑稽さがあった。
深山守はその動きを見ながら刀を正面に、先端が目の高さになるようにかまえた。格子窓から射しこむ日光が、動き続ける戸善を明るく暗く染める。
戸善の踵が浮いた。跳ねるように距離を詰める。脇腹を狙って突くがはじかれた。木の音は乾いている。そのまま深山守の背後に回りこもうとしたが、返す刀で接近を阻まれた。その先端は下を向いている。
再度突進し、短刀で上半身を突くよう見せかけた。防ごうとした刀が上がり、腹が空いた。そこへ飛びこもうとした時、見せかけの突きに気づいた深山守の刀が戸善の肩に振りおろされた。
「参りました」
戸善は土下座した。転がった短刀がまだゆれている。
「顔をあげよ。なぜ出しかけた術を止めた。光球だな。目くらましをするつもりだったか」
「お見通しとは。この兼光、重ねて参りました」
「答えよ。なぜ使わなかった。刀を上げさせた時に使えばわしとて間に合っていなかった」
「わかりません」
「なに、わからんとは」
「最初の突きでとうていかなう相手ではないと見積もりました。光球は無我夢中で出しかけてしまいましたが刀で立ち向かってみたかったのです。理屈ではありません」
「愚か者。勝ち筋を逃すやつがあるか。それで小夜子を守れるのか」
「お恥ずかしいかぎりです。まだ自分を捨て去る境地には至っておりません。胸中の名誉や恥が正々堂々とした刀の試合で魔の術をもちいることをよしとしないのです」
深山守は刀をかたづけた。戸善も短刀を拾ってもどした。
二人は無言のまま部屋に帰った。使用人が戸善の肩に膏薬を塗ってくれた。また茶菓が供されたが手を付ける気にはならなかった。
手当てを終えた使用人がさがると深山守が口を開いた。
「戸善殿。小夜子の評価だが、あのようにはっきり告げてくれたこと、かたじけない」
「どうか、お顔をお上げください」
「それでも任務を止めない。親馬鹿であろう? わしは」
戸善は返事をせず深山守を見ている。
「理屈ではない。わしは小夜子がかわいくてならぬ。たとえ国のお役に立ちたいという志に実力が追いつかず空まわりしていても、一生に一度くらいは任務に出してやりたい」
顔を上げると戸善と目を合わせる。
「わがままで愚かな親子だが、戸善殿、どうかこの親心に免じてご容赦願いたい。小夜子の護衛をよろしくお願いいたす」
戸善は頭をさげた。
「御木本戸善兼光、これより千草様の護衛任務を開始いたしまする」
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