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一、雑魚も庭のにぎわい
もう秋だというのに昼は真夏のように蒸し暑かったが、日が落ちると暦通り涼しくなった。きょうの宿はこのあたりをたばねている豪農宅だった。その離れの一室で、きちんとした身なりの若者が書状を認めている。開け放った窓障子から田舎の風が入ってきて灯りをゆらした。
風が止まった。その若者は書状と文房具をかたづけると灯りを消す。刀を手に取ろうとしたがすこし考えてやめ、懐から短刀を出した。
月明りをたよりに縁側から庭に出る。池の縁に立つとかんちがいした鯉が寄ってきた。若者は堂々と直立し、左手に光球をともすと、短刀を抜いて刃をきらめかせ、気づいていると示した。
それから庭を見回すと、かすかにざわめいた気配を感じた方向に向かい、真一文字に結んだ口をかすかに開くとシッという音を立てた。
植えこみから葉擦れ、塀のほうからかたい音、そして向こう側に飛び降りて逃げていく忍んだ足音が複数聞こえてきた。
「どうした? 明慶、なにかあったのか。手は必要か」
奥の部屋からまだ子供っぽさをのこす声が聞いてきた。
「いいえ、お嬢様、お出でくださるにはおよびません。野良猫でしょう。追い払いました。わずらわせまして申し訳ございません。お休みください」
「猫?」
「あらかた池の鯉でも狙ったのでしょう。お気になさらずに」
「そうか。おまえも早々に休め。明日も早いぞ」
「は。お休みなさいませ」
明慶と呼ばれた若者はしかし、部屋にはもどらず庭を見渡せる廊下の柱にもたれてすわり、短刀を脇に置いて目をつぶった。
休みつつも警戒はゆるめないが、いつの間にか心は夏の頃にもどっていった。こうなった経緯が夢のように次々と現れる。
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