3章 暴力団組員となる

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ヤクザの組織というのは,どこも大体,基本的には薬の自己使用はご法度です。例外なく私が所属していた組織も薬の使用は禁止されていました。 しかし私は,そこでも薬をやめず,バレたら親分に殴られて,謹慎させられる,そんな生活を繰り返していました。 警察にも散々目をつけられ微罪や誤認逮捕で捕まったりもしましたが,全て起訴されることなく私はすぐに釈放されます。 しかし,こんな私は又,薬の使用で警察に逮捕されてしまいました。薬物事件は逮捕されたらほぼ100%起訴されて有罪となります。 増してや暴力団組員となっていた私は,今回は2度目の懲役を免れませんでした。 判決は2年4ヶ月,しかも暴力団組員として務める為,仮釈放は始めから対象ではありません。地元の広島刑務所に収監された私は,益々暴力性を増し,好き勝手に2度目の受刑生活を送ります。 薬物事件ということで,当時の親分には厳しく怒られましたが,破門処分(一般の会社で言う解雇)とはならず暴力団組員として刑務所に入りました。 2度目の受刑生活を地元の広島刑務所で過ごす事になった私は,ここでも自由に生活します。 初めての時の佐世保刑務所とは違い,広島刑務所は私の地元です。更には私は地元の組織に属しているという事もあり,刑務官もかなり私に気を使っていた様に感じました。 刑務所の刑務官とは国家公務員です。厳しく厳格なイメージもありますが,所詮は一般の人間です。出所すれば地元の私と街で普通に会うことさえあるのですから,それもまぁ,当然と言っては当然だったのかもしれません。 私がこの広島刑務所に入所した当時は, 私が所属した同組織の人間がかなりたくさんいたよう思います。 刑務所というところは,各作業内容ごとに工場で分かれていて,基本的には同じ工場の収容者しか顔を合わせる事はありません。 当時は大きい工場で120人,小さい工場で30人くらいでしょうか。その工場ごとに,私と同じ組織に所属する組員が,2人〜5人はいたのですからどこの工場に配属されても知った顔があり, すぐに優遇されてVIP待遇となりました。 年配の受刑者が多かった広島刑務所に私が入所したのは27歳,本来ならまだまだ歳も若く 年功序列や入所年数が古い方が力を強く持つ風習がある刑務所ですが,私はここでも,組織の看板を良い事に,好き勝手してたくさんの人を泣かせます。 入所して1ヶ月くらいの若造が,気に入らない工場の受刑者を工場から追い出し,誰よりも古く,年長のように振る舞うのですから当時の同じ受刑者は本当に私の事が嫌いだったに違いありません。 そんな私の振る舞いも,刑務官職員は見て見ぬ振りをするのが精一杯だったように思います。
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