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2.おうちのじかん
その日の晩。
すやすやと寝息をたてる美香ちゃんの横で、小さな光が瞬いた。光のもとは、誕生日のプレゼント、ドールハウスの一室にあった。
明かりはひとつ、ふたつと増えていき、やがておもちゃの家全体がほんのり明るくなった。
まもなく部屋の中に人の影が現れた。それは行ったり来たりを繰り返し、ついにはふるふると震え、そして――。
「あなたのせいよ!!」
キッチンの方から女性の非難の台詞が響いた。精神的に追い詰められた妻の、痛々しい叫び声だった。
ただ音量はあまりにも小さ過ぎ、ドールハウスの外で寝ている美香ちゃんにはまったく聞こえていない。
「もう何度も言ったはずだ。僕に原因があるのは認めると」
ソファに座っていた白髪の夫が返事をした。声が疲れており、いまにも消え入りそうだ。
「けど、あのおもちゃにそんな呪いがこめられていたなんて、誰が想像できる?」
祈りの言葉が出かかったが、夫は口を閉じた。もう神は自分たちを助けてくれないだろう。
「『永遠に家から外に出られず、同じ夜が延々と繰り返される』。すべてはあのドールハウスを家に置いたその日から始まった。僕はただ、娘にプレゼントを買いたかっただけなのに……」
夫の情けない嘆きを聞いた妻が、金髪をふり乱してやってきた。手には包丁を持っている。
その鋭さを見ても夫は動じなかった。
「無駄なことは止めよう。何度も試したじゃないか。殺しても、殺されても、気づけば僕らは人形となって、この家のベッドで目を覚ます。外に逃げたって結果は一緒だったじゃないか」
「わかりきった風に言わないで!!」
妻の言葉にならない怒りの罵りを、夫は悠然と聞き流す。
「僕たちが人でいられるのは、夜の間だけ。せめてこの時間を大事に楽しもう」
悟りきった夫の提案を聞き、妻の怒りは頂点に達した。踵を返して、飾り棚の上をねめつける。
視線の先にはドールハウスが置かれていた。中華風の赤い屋根が特徴的で、ちょっとした庭園まである雅な造りだった。
全ての元凶だ。家族をこの場所に縛った呪いの家。
あのおもちゃの家の中にも、違う建築様式のドールハウスが置いてあった。小さすぎて見えないが、さらにその中にも家があるのだろう。いったい何百世帯の家族が、ここに閉じ込められていることか。私たちのように苦しみ、諦めながら。
妻はドールハウスを棚から叩き落とし。包丁をめちゃくちゃに突き立てた。
「無駄なことはよそう。疲れるだけだ。そいつは明日もそこに置いてある」
「きゃああああああああ!!!!!」
突然、天井を突き抜けて若い女の悲鳴が聞こえた。リビングの真上は夫婦のひとり娘の部屋だ。
肩で息をしながら階段へ向かう妻を、夫が制した。
「ジェーンの発作が始まったようだ。また悪夢を見たのだろう。大丈夫、僕が見てくる。君はそこで休んでくれ……ゆっくりとね。どうせこの家の時間は、まだ終わりそうにないから」
(おうちのじかん おわり)
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