令和の怪物

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 「あの、すみません。」  人の流れも多い休日の繫華街で、私は突然声をかけられた。  「失礼ですけど、有栖カノンさんですよね?」  その名前が出た瞬間、私はどんな顔をしていたのだろう。声をかけられた喜びを隠しきれず、思わず笑みをこぼしてしまったのか。個人的な感触としては、体温を失い石像のような表情になったような気がするのだが・・・。とにかく、声をかけてきた若い男は構わず続ける。  「実は僕、有栖カノンさんの大ファンなんです!ホント、見ない日はないって言っても過言じゃないというか・・・あ、先日出演された新作も早速チェックしました。いやー、既にいくつもの名作を作り上げてきたのに、また新たな伝説を作ってしまうとは。正直、僕はあなたが怖いです。」  最初こそ遠慮する様子も見られた男だったが、段々とエンジンがかかってきたのか、声のボリュームも上がっていく。  「特に僕が好きなのは、ファンの間でも根強い人気を誇るあの」  「ちょっと・・・うん、あの、そうね・・・一回あっちに行こうか。」  男の熱いトークを強引に遮り、人通りの少ない裏道へと誘う。  歩きながら私は、この男に対してどう対処すべきかを考えていた。  冷かし半分であったり、何かしらの悪意を持って声をかけてきた訳ではどうやらなさそうだ。思い入れの余り人前で我を忘れてしまう所に恐怖を感じないと言えば嘘になるが、それだけ私のファンであるという点に関しては素直に嬉しい。  だからこそ対応には苦心してしまう。  こんな風に街中で声をかけられる経験は自分とは無縁だと思っていたが、もし万が一そういう場面に遭遇をした時には真っ先に別人であると否定しようと思っていた。私が有栖カノンであることは、私にとって恥以外の何者でもないからだ。  だが男は既に私に対する想いをかなり熱く語ってしまっている。もしここから別人だと言われてしまえば、男は知らない女性に自分の趣味を熱く語ったということになり、多少なりとも恥をかいてしまう。そもそも、これだけ私に思い入れのある人が、ちょっとやそっと否定されたぐらいで食い下がるとも思えないし、何よりファンを無下にあしらう罪悪感というのは、想像以上に大きなものだった。  「な、なんですが?こんな人気のない場所に連れてきて・・・」  困惑しつつも、どこか嬉しいそうな男に、私は素直に自分の思いをぶつける。  「えっと、まずはいつも応援ありがとう。声をかけてくれたのはあなたが初めてだからとっても嬉しい。」  「え、声かけられたの初めてって本当ですか?有栖カノンさんみたいな有名人でも?」  「うん、そうだよ。だから嬉しかったんだけどね、でもちょっとタイミングを考えて欲しかったかな。いや、プライベートに入り込んでくるなって言いたい訳じゃないけど、なにもあんなに人気の多い場所で、それもあんなに大きな声で話しかけられると・・・」  「あ、すみません!思わず会えた嬉しさでつい・・・」  我を失っていた自分を恥ずかしがるように、男は謝罪をした。  「あんな所で声かけたら、周りもみんな有栖カノンさんに気が付いてパニックになっちゃいますよね。」  「そんなことにはならないだろうけど、ほら、私職業が職業だからさ。」  「いや、有栖カノンさんが人気AV女優だからこそですよ。俺たち男にとっては、ぽっと出の女優やアイドルなんかよりも有栖カノンさんの方に馴染みがありますから。」  ああ、ついにAV女優という単語が出てきてしまった。ここまで何とか隠して通していたのに。  「有栖カノンさんのデビュー作『有栖が居留守でイクでありんす』を見たことない男は、少なくとも俺の知り合いには存在しません。それぐらい有栖カノンさんは俺たちにとって伝説の存在なんです。あ、でも俺が有栖カノンさんを知ったのはデビュー作じゃなくて、あの、どエロ教師に扮した有栖カノンさんが担任になった男子校のクラス全員を食っていくっていうあのシリーズで」  「もうやめてよ!」  再び熱を帯びてきた男の話を、私は大声で遮る。人通りの少ない場所に連れてきた甲斐あって男のAVトークに耳を傾ける人間はいなかったが、流石に私が大声を出したことで、周りの目線がこちらに向く。  「さっきから遠慮なく話続けるけど、街でAV女優見かけても普通話しかけないでしょ?なにさっきから熱く語っちゃってるの?」  「それは、僕が有栖カノンさんの大ファンだからで」  「人前で好きなAV女優の名前出すなよ!」  今度は私のスイッチが入ってしまい、語気が強まる。大声によって集めた周りの関心は、よくわからないことでキレている女に対しての注目として未だ続いている。  「いいか?AVの趣味嗜好なんて、人様の前でぺらぺらと話すもんじゃねえだろうが。そんなの仲のいい男友達同士の悪ふざけにとどめておけよ。それでよ、AV女優って仕事は、この世の中の仕事の中で一番デリケートな仕事なんだよ。メディアに顔を、いや全てを晒すことで私たちはお金を貰ってるんだよ。そりゃあ、私はもうこの仕事初めて長いし、それなりに評価もしてもらえてるから、この仕事に対してのそれなりの愛着だってあるけど、それでも100の気持ちでこの仕事を受け入れられてはいない。AVの世界を貶しているのではなく、むしろその世界で体張って日々戦っているからこそ、世間からお世辞にも歓迎とは呼べない目線を向けられることに苦しんでいるんだよ。」  一度スイッチが入れば、そう簡単には止まらない。日々積み重ねてきた自分に対する違和感や否定が、ダムの放流のように流れ出す。  「それがわかったら、街中でAV女優を見かけて気軽に声なんてかけないことだ。最近はライブ配信やらイベントやらで、ファンと女優が交流する機会もあるし、熱い想いはその時ぶつけてくれよ。」  「・・・てる。」  私の言葉を俯きながら聞いていた男は、何かを呟いた。  「なに?なんか言った?」  「そんなの間違ってるよ。どうして誰かのために体を張っているあなたたちが、そんな肩身の狭い思いをして生きなきゃならないんだよ。」  顔を上げてそう言った男の目は、直視するのをためらってしまう程真っ直ぐだった。  「僕の人生なんて、なんにも良いことなんてないクソみたいな人生だ。灯りなんてなにもない真っ暗な道を、ただひたすら歩くだけ。進んでいるのか戻っているのかもわからない。そんな人生でも、あなたたちによって生み出されるひと時の快楽によって、またもう少し頑張ろうって思えるんだ。そりゃ、果てた後は一番の闇に放り出された気分になるけど、それでもまたあなたに会いたくなるんだ。理由はただ一つ、あなたに会っている時だけは、真っ暗な道を忘れて癒されることが出来るからだ。人はこれを現実逃避と呼ぶのかもしれないけど、あなたたちが僕たちのために逃げ場を作ってくれているから、こうしてなんとかやっていけているんです。」  その言葉を聞いて、私は胸が痛んだ。  確かに、親や友達に胸を張って言える仕事ではないかもしれない。実際私は隠しているし。平々凡々と苦労や障害のない人生を進んでいれば、この世界に足を踏み入れることもないかもしれない。  でも、私の仕事は確実に誰かのためになっている。私がいなければ今より最も苦しい思いをしている人がいたかもしれない。そんな人たちにとって私の仕事が少しでも救いになったのなら、それは意外な程幸せなことなのではないだろうか。  私が私を恥じるのは、こうして応援してくれている人に失礼だ。  「・・・ありがとう。あなたの言葉で、なにか視界が開けたような気がするよ。」  なぜ自分が感謝されているのかわからない様子の男は、困惑しつつもまんざらでもないと言った表情でこう返してきた。  「よくわからないですけど、有栖カノンさんの力になれたのなら本望です。また新作が出たら買ってもらいます。」  買ってもらいます?聞き間違いだろうか。その言葉に違和感を覚える。  「買ってもらいますってどういう意味?」  「どういう意味もなにも、今まで有栖カノンさんの作品に限らす俺のAVコレクションは全部お袋にお願いして買ってもらったものなんで、また新しいのが出たら買ってもらいますって意味ですよ。」  はにかみながらそう言う男を形容する言葉を、私は見つけることが出来なかった。  令和の怪物を、私はこの目で見てしまった。    
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