望み

1/5
前へ
/5ページ
次へ
「とりあえず服脱いでいい?」 びしょ濡れの女は、席の後ろでごそごそと動いた。 ジャボボと嫌な音。 「おいっ!」 「大丈夫よぉ。こんな場所誰も通らないわ」 ちっ! 脱いだ服をビニールに突っ込みしきりに絞ってやがる。 おまえの裸なんかどうだっていいんだよ、水っ! 新品のシートだ。磨いてきたばっかの新車なんだよっ! おまえが遅れなきゃ降る前に乗れただろうがっ! 謝れっ謝れよ! 「ね、寒いわ。これからどうする?」 「は?」 化粧の剝げた顔は、青く不健康で岩のような色をしていた。 その岩にこびりつくギトギトの海藻(かみ)。 ぶ厚く重なるだらしない肉体(からだ)。 「だからぁ」 ぶよつく岩に(はさ)まった口が、気色悪く舌なめずりをする。 「私のこと欲しいんじゃないの?  何かの願いと引き換えに」 「何言ってんだ?」 「とぼけなくていいわよ。こんな田舎の山道に、こんなピッカピカの車で来るなんて、あなたネットを見て来たんでしょう?」 俺はシートを目いっぱい倒し、靴のまま踏み越えて後ろの席に移った。 「あら」 有り得ねぇ勘違いしてんじゃねぇ! 俺はビニール袋に海藻頭を突っ込むと、ボールのように掴んでドアの側面に打ち付ける。 ゴンッ! ガンッ! ガリッ‼  「岩が呻いてんじゃねぇっ!」 時間無駄にさせやがって、無駄な時間使わせやがってああめんどくせぇっ。 ようやく岩は動かなくなった。 ――〇山。 その山を守る神には三人の娘がいた。 上の二人は目を見張るほどに美しく、嫁入り先はすぐに決まった。   しかし、末の娘はあまりに醜かったので、どの山からも申し込みは無かった。 〇山の真北にある山道に午後の二時。 その時刻に、現代(いま)も独りでいる末娘を最高ので出迎え手厚く、感激した娘はどんな願いも叶えてくれる。 伝説(うわさ)の女がどのくらい醜いか。 いったいどんなを悦ぶのか。 いるわけない。 それでよかったんだ。 何も無ければ単なる車の足慣らしで、それで充分だったんだ。 さっさと帰って次の伝説(ねた)を漁ればいいだけだったんだ。 邪魔しやがって! 俺の貴重な暇つぶしを台無しにしやがって──! 無い頭捻って噂に乗っかって、いい車に乗れる男の(よわみ)に付け込むつもりだったんだろう? この俺をだませると思ったってことかよ馬鹿にしやがってっ! 腹の虫が治まらなかった。 崖まで行って捨てた。 ビニールはまた別の場所で、見つけた池に捨てた。 雨が止んだ。 雲間から光が差してくる。 エンジェルラダーを見て、 俺はようやく気持ちが落ち着いた。 この道を真っ直ぐに行くと、親父のホテルがあったよな。 風呂に入ってうまいもん食って‥‥‥。 「雨に降られて困ってる人を拾ったら、そいつが強盗だった」 うん。これでいい。 俺は車を発進させた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加