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「とりあえず服脱いでいい?」
びしょ濡れの女は、席の後ろでごそごそと動いた。
ジャボボと嫌な音。
「おいっ!」
「大丈夫よぉ。こんな場所誰も通らないわ」
ちっ!
脱いだ服をビニールに突っ込みしきりに絞ってやがる。
おまえの裸なんかどうだっていいんだよ、水っ!
新品のシートだ。磨いてきたばっかの新車なんだよっ!
おまえが遅れなきゃ降る前に乗れただろうがっ! 謝れっ謝れよ!
「ね、寒いわ。これからどうする?」
「は?」
化粧の剝げた顔は、青く不健康で岩のような色をしていた。
その岩にこびりつくギトギトの海藻。
ぶ厚く重なるだらしない肉体。
「だからぁ」
ぶよつく岩に挟まった口が、気色悪く舌なめずりをする。
「私のこと欲しいんじゃないの? 何かの願いと引き換えに」
「何言ってんだ?」
「とぼけなくていいわよ。こんな田舎の山道に、こんなピッカピカの車で来るなんて、あなたもネットを見て来たんでしょう?」
俺はシートを目いっぱい倒し、靴のまま踏み越えて後ろの席に移った。
「あら」
有り得ねぇ勘違いしてんじゃねぇ!
俺はビニール袋に海藻頭を突っ込むと、ボールのように掴んでドアの側面に打ち付ける。
ゴンッ! ガンッ! ガリッ‼
「岩が呻いてんじゃねぇっ!」
時間無駄にさせやがって、無駄な時間使わせやがってああめんどくせぇっ。
ようやく岩は動かなくなった。
――〇山。
その山を守る神には三人の娘がいた。
上の二人は目を見張るほどに美しく、嫁入り先はすぐに決まった。
しかし、末の娘はあまりに醜かったので、どの山からも申し込みは無かった。
〇山の真北にある山道に午後の二時。
その時刻に、現代も独りでいる末娘を最高の牛車で出迎え手厚くもてなせば、感激した娘はどんな願いも叶えてくれる。
伝説の女がどのくらい醜いか。
いったいどんなもてなしを悦ぶのか。
いるわけない。
それでよかったんだ。
何も無ければ単なる車の足慣らしで、それで充分だったんだ。
さっさと帰って次の伝説を漁ればいいだけだったんだ。
邪魔しやがって!
俺の貴重な暇つぶしを台無しにしやがって──!
無い頭捻って噂に乗っかって、いい車に乗れる男の金に付け込むつもりだったんだろう?
この俺をだませると思ったってことかよ馬鹿にしやがってっ!
腹の虫が治まらなかった。
崖まで行って捨てた。
ビニールはまた別の場所で、見つけた池に捨てた。
雨が止んだ。
雲間から光が差してくる。
エンジェルラダーを見て、
俺はようやく気持ちが落ち着いた。
この道を真っ直ぐに行くと、親父のホテルがあったよな。
風呂に入ってうまいもん食って‥‥‥。
「雨に降られて困ってる人を拾ったら、そいつが強盗だった」
うん。これでいい。
俺は車を発進させた。
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