イーハトーブのおかあさん〜Mom of Ihatov〜

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一年後ー 外回りの仕事から帰ると社内は重苦しい空気に包まれていた。 「あの、どうしたのですか?」 尋ねる私に野崎さんが答える。 「桧原さんが自殺したって。さっき知らせが入ったの。」 大阪に行ったのでは? 何故、何故………??? 「行ってないって、大阪。自宅で亡くなっているのを支援機関が発見したみたい。」  大事な息子さんのいる故郷にも帰れず、知己(ちき)も頼れず、彼女が冷たいと、冷たいと感じたこの臨海都市(ウォーターフロントの街)の一角で 彼女はたった一人で死んだ。 命が消えていくまでの瞬間、彼女は何を想い何を感じていた??!! 過ぎた時間にはif等存在しない。 だが、レクレーションが出来ていたら、私が訓練から離れなければ、 彼女は生への気力を失わなかったのではないか?? 私は物理的制限(ぶつりてきせいげん)を有する人間だ。 だが、何故に人間なのだろうか。 衆生(しゅじょう)を漏れなく救う大恩教主釈迦牟尼如来(だいおんきょうしゅしゃかむににょらい)に、だから賢治は憧れて、人の身でありながら菩薩行(ぼさつぎょう)実践(じっせん)したのでは無いか。。  あれから何年経っても悲しみの中で、私はずっと彼女との日々を回顧(かいこ)し続けている。 失われたら二度と戻らない、それが命が貴いと言われる一つの所以(ゆえん)なのだ。 もう人生で、私は二度と彼女に逢えず、また、彼女の笑顔を見る事は今生(こんじょう)で二度と叶わない。 私は願う。 みちのくの彼女の息子さんに、あなたを心から愛し一生懸命お母さんが闘った事実が、伝わる日が来ますように。。 そして物語を共にした皆さんの心の片隅(かたすみ)にも彼女の存在を覚えていて欲しいのです。  温かな愛で一生懸命に息子を想い、故郷から遠く離れた街で亡くなった、イーハトーブのお母さんのお話を……… ー了ー
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