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午後4時。
今日最後の新規のお客様。
初めてのお客様を対応する時には、いつも以上に神経を遣う。
私は腹に力を込め、ハーッと深呼吸をした。
トゥルルルル♪トゥルルルル♪…ブチっ!
私「もしもし。こちら占いの蝶占い師の、アゲハでございます。ご予約頂きました、あらた様のお電話でお間違いありませんか?」
あらた「あらたです。初めまして。」
低く、ゆっくりとした声で返事が帰ってきた。
中年の男の声…男性の客は珍しい。
私「今日はどんな内容を占いましょうか?」
あらた「実は私最近、タロット占いを始めましてね。それで今日は助言を頂きたく腕試しに、占い師として有名なアゲハ先生について占わせてもらいたいのです。」
私「…私についてですか。」
初めてのことで、呆気にとられている私を尻目に、相手の話はどんどん進んでいった。
あらた「はい。まずはアゲハ先生が、占いを始めたきっかけについて占いましょう。私がタロットを混ぜますので、あなたのタイミングが良い時にストップと言ってください。」
私「……ストップ…」
あらた「視えました。きっかけはあなたが職を失ったからです。」
この男私が先日受けた雑誌の取材の内容を読んで下調べをしていたのだろう…そう推測した私は相手の出方を探ることにした。
私「ええ、そうです。」
あらた「なぜなら、それは職場でストーカーを受けたから。」
なぜそれを?
突如体が冷たくなり手が硬直するのを感じた。
2年前、私は病院でカウンセラーとして働いていた。そこで出会ったクライアントの20代の若い男性患者。
彼は父親の暴力で、両親が離婚。
母親に引き取られてからも、父から受けた暴力が原因でPTSD。いわゆるトラウマを患っていた。私はそんな彼の担当だった。
あらた「相手は、あなたの職場関係者。あなたに全幅の信頼を寄せていた。」
この男は何者だろう。
当時の事を知っているのは職場と警察関係者だけ。
あらた「でも待ってください。ああ、死神のカードが出た。このカードが出たということは、終焉。つまり信頼の終わり。アゲハ先生は怖い思いをされた。辛かったですね。」
男からの優しい共感の言葉を聞いたとたん自然と私の目から涙が溢れてきた。
親身になりになり話を聞くカウンセラーの私に、クライアントの彼が恋愛感情を持つのに時間はかからなかった。
そこからが、恐怖の始まり。
郵便ポストの手紙やゴミが荒らされ、頻繁な無言電話。
夜仕事から帰ると、部屋のドアの前に手作りのおにぎりと彼からの手紙が入っていた。
外出をすれば後をついてくる足音に悩まされた。
その頃には、完全なノイローゼになっていた。
常に誰かの視線に敏感になり、カウンセラーのくせに不甲斐ない自分が情けなくて家族や友人にも誰にも相談できず人と疎遠になっていった。
そしてついにあの日。
彼のカウンセラーとして診察をしていた日にそれは起こった。
彼「どうして僕の愛情に答えてくれないの?僕はこんなに貴女を大切におもっているのに。どうして?」そう問いかけてくる彼の右のポケットからキラリと輝くものが見えた。
私は恐怖で助けを呼ぶことが出来ず、後ろに後退りしながら床にへたりこんでしまった。
ポケットから、右手に光るナイフを取り出した彼は苦悶の表情でこちらに近づいてくる。
彼「僕の物にならないなら、殺す。殺す。殺す。」その声と足音が1歩ずつ私に近づいてくる。
私「こないでーーーーーーーーーーー!」
絶叫する私に気づいた職員が扉を開けてくれて、私は助かった。
しかし私はその恐怖体験でPTSDとなり、フラッシュバックや不眠に悩ませられることになった。
ミイラ取りがミイラになる、まさにそれ。
カウンセラーとしての権限も信用も無くした私は、仕事まで無くすこととなった。
彼は警察に逮捕されたが、それ以来私は家から1歩も出られなくなった。
だから家で出来る占い師の仕事を始めた。
占い師になってからの2年間。
それは人間が怖くなり、家に引きこもり続けの期間だった。
家族、友人ですら連絡も取れなくなった。それでもせめて誰かの声を聞いていたかった、それが占い師になった理由だ。
あらた「最後に、あなたの将来を見てみましょう…。」
私「…。」
あらた「大丈夫。安心してください。
良いカードです。あなたは、勇気を出して前に1歩を踏み出すタイミングにいます。外に出て自由な世界を楽しみましょう。あなたの新たな行動が自由な世界を作り出します。」
私「ありがとう…。」
そう小さな声で返事をするのがやっとの私は、電話を切ってその場で声を大きくして泣いた。
私は誰かにずっと聴いて欲しかったんだ、私の感じた恐怖を。
あの事件以来初めて、まるで赤子が母に抱きしめられているような安心を感じながら、私は初めて泣くことができた。
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