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史郎は、車を走らせながら「うちの近くに、お洒落なマンションが出来てね
入居者募集のチラシが入ったんだ、冷やかし半分で見に行ったら
とても良い間取りで、環境も良いし、住み易そうな所なんだ。
叔母ちゃん、そこを借りない?今から、そこを見に行こうよ」と言う。
「今から?」「うん、仕事帰りに見に来たいと言う人や
夜は、どんな感じか、見たいと言う人も居るからって、夜9時まで
内覧できるんだって、叔母ちゃん、きっと気に入ると思うよ」
「じゃ、行くわ」何も考えないままで、返事をする。
何か考えないといけないんだ、でも、考えようとすると涙が出そうになる。
だから、今は、何も考えたく無かった。
「ほら、良いでしょ、昼間見た時も良かったけど、夜もなかなか良いよね」
「そうね」と、ただ返事をする。
良いと言われる夜景も、見ている筈なのに、どんな景色か分からない。
「じゃ、ここを借りる契約を進めるよ」「うん」
史郎は、案内してくれた担当者と、契約の話を始めた。
「叔母ちゃん、印鑑持って出たよね」「うん」
百合香は、印鑑入れを史郎に渡す。
「駐車場も、一台分借りるよ、俺が来た時に使うから」「良いわ」
百合香は、外に目を向けたままで返事をした。
「敷金と、一カ月分の家賃と、駐車場などの諸経費を入れて
これになります」担当者が示した金額を見て
百合香は帯封を切ったお金で、それを支払った。
担当者は、あまりの即決に驚いたり喜んだりした。
そして「これが鍵です、もう、今夜からでも住めます」と言ったが
「さすがに、今夜は無理だよね」と、史郎は、百合香を
自分のマンションに、連れて帰った。
「叔母ちゃんが来ると、分かっていたら、片付けておくんだった」
史郎はそう言って、そこらを片付けて「夕食、焼き飯で良い?」と、聞く
「お腹、空いて無いわ」お腹と言うより、胸の中が一杯で
喉元まで、何か重い塊が、詰まっている感じがしていた。
無理も無いかと思ったが、一応、二人分の焼き飯を作り
コンビニで買っていた野菜サラダと、スープと共に、百合香の目の前に置く
しかし、やっぱり百合香は、手を付けなかった。
「叔母ちゃん、辛い時ほど食べないと、辛さに負けちゃうよ
俺が子供の頃、そう言っていたじゃない」
そう言えば、史郎が子供の頃、基子が用が有るからと、百合香に預けた時
父の喜一郎に、理不尽な叱られ方をして、怒っていた史郎は
ご飯を食べる事を、拒否した、その時、確かにそう言って宥め
「はい、あ~んして」と、口元まで、ご飯を持って行っては、食べさせていた
史郎は、スープをスプーンですくうと、ふうふう吹いてから
「はい、あ~んして」と、百合香の口元まで持って来た。
昔の事を思い出していた百合香は、思わず、口を開けた。
史郎が飲ませてくれた、暖かなスープは、喉元の塊を、少し溶かしてくれた。
「ね、美味しいだろ?次は、焼き飯ね」そう言うと
焼き飯も、ふうふう吹いて「はい、あ~ん」と、持って来る。
それを、もぐもぐ食べながら「何だか、私が史郎ちゃんになったみたいね。
有難う、もう良いわ、後は自分で食べるから」そう言って
自分のスプーンを持った百合香に
「そう来なくっちゃ、沢山食べて、頑張ろうよ、ねっ」と
史郎は、自分の分を美味しそうに食べる。
自分だって、辛い筈なのに、一生懸命、百合香を慰めようとしている
そんな史郎の為に、百合香は無理をして全部食べて見せ
「ほら、もう大丈夫」と言って、小さく笑った。
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