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あのチャペルで会いましょう
俺は隣の由紀に気がつかれないように、小さなため息をついた。仕事帰りに待ち合わせて、結婚式場の下見のハシゴ。今月何件目だっけ。
「俊明、ちゃんと話聞いてる?」
由紀のキンキン声が仕事で疲れた体に突き刺さる。結婚する前からこんな感じなんて、大丈夫か俺。
俺は神崎俊明、二十八才。大学を卒業した後に就職した会社で、上司に好かれ何故かお見合いを勧められた。相手は姪っ子の由紀だった。
当時彼女がいない歴三年目で、恋愛すらめんどくさいと思っていた俺は試しに見合いをした。
女性にランクをつけるなんて、と言われそうだが由紀はやや上の部類だろう。俺はこれ以上独り身は色々面倒くさいなと思い結婚を早々に決め、今日に至る。
「ここ、気になってたところだわ」
シンプルな高級リゾートホテルを思わすような結婚式場に着いた。白を基調としたインテリア。今まで回ってきた式場と違うスタイリッシュな内装に、由紀はすっかり気に入ったようだ。しばらくすると、式場スタッフが中から出てきて一礼した。
「神崎様、お待ちしてました」
出迎えたスタッフは背が高く顔が整った男性だった。黒黒とした短髪に、スッとした姿勢。白い手袋をした彼はまるでホテルマンのようだ。俺はその顔に見惚れてしまった。同じ男性なのに。何故かわからないけど由紀に話しかけられるまで、その場で惚けていた。
式場を見学し、その後いろんなプランの説明を受ける。彼は単なるスタッフではなく、ウェディングプランナーだった。
「担当させていただきます、山科理と申します」
柔らかな声。差し出された名刺の上に乗る長い指。
「よ、よろしくお願いします」
慌てて会釈する。そのあとの説明も、どこか上の空で俺は山科の顔ばかり見ていた。
テーブルに置かれた紅茶を飲みながら、由紀は上機嫌だった。山科が資料をとりに席を立った時、こそっと言ってきた。
「ここがいいな。オシャレだし、値段も許容範囲だし」
「…そうだな」
ああ、忘れていた。俺はこいつと結婚するんだっけ。
それから正式にこの結婚式場に決めて、打ち合わせのために通うようになった。由紀の職場より俺の職場が近く、何かと用事がある時は俺の方が早く着いていた。
「お疲れ様でございます、神崎様」
にっこりと微笑む山科。打ち合わせに来てるのか、この顔を見に来てるのか、自分でもよく分からなくなってきた。
「今日は由紀、来れないから」
俺がそう言うと山科はコーヒーを差し出しながらそうですか、と答える。
「それはお寂しいですね」
寂しくなんかないよ。むしろ俺にとってはラッキーだ。そんなことを思いながら、俺はテーブルに置かれた打ち合わせ資料に目を通した。
俺は今まで男に見惚れたりするようなことはなかった。そりゃ、イケメンがいればカッコいいなと見ることはあっても一瞬で忘れる。男を好きになったことも、もちろんない。
それなのに、山科だけは目が離せない。落ち着いた笑顔、口元のホクロ。颯爽と歩く姿。何よりたまに見せる、憂いを帯びた表情。
何故か分からないけど、幸せを作っていくウェディングプランナーでありながら、何処か寂しそうな感じがするのだ。決して暗いとかそう言うのではなく。
何かを抱えている気がして、目が離せない。
数週間後には自分のこの思いが何であるか、明確に分かっていた。俺は山科が好きなのだと。それははっきりとした恋愛感情であることに気づいたのだ。
「こちらがチャペルになります」
重厚なドアを開けると、目も眩むような太陽光が降り注ぐ。ガラス張りのチャペル。愛を誓う向こうには緑の木々が青々と葉を茂らせていた。
見学の日は雨であまり分からなかったが、晴れた日に見ると、自然と一体となったようなチャペルだ。
「わあ素敵ね」
由紀は少し顔を赤らめて嬉しそうに笑う。きっと自分達がここで挙式を挙げることを想像しているのだろう。その様子にチクリと胸が痛んだ。
俺が何も考えずに結婚しようとしているなんて思わないだろうし、隣にいる男性のウェディングプランナーに心惹かれてるなんて。せめて結婚式場は由紀の喜ぶ顔が見れるよう、好きなようにしてやろう。
隣で山科はそんな由紀の様子を見ながら微笑みつつも、どこか寂しそうな顔をやはり見せる。何か過去にあったのかもしれない。俺はそんなことを思いながら由紀とチャペルを隅々まで見ていた。
一ヶ月くらいした頃だろうか。由紀が仕事を理由に打ち合わせにほぼ来れなくなっていた。メールや電話では謝っているものの、これでは準備が遅々として進まない。いや、進まなくても良いのだけれど。山科に迷惑かけてしまうのが辛くなってきた。
「分かった。じゃ、今日は無理なんだな。気をつけて帰れよ」
由紀の電話を切り、ため息をついた。式場の打ち合わせコーナーには、もう山科と俺しかいない。俺たちが今日最後の客だったのだろう。
「山科さん、すみません。今日も由紀ダメみたいです」
頭を下げると、山科は謝らなくてもいいですよと言ってくれた。
「ただ、それであれば今日は進めることはないので……どうしましょうか」
打ち合わせには、由紀と俺が同意して進めないといけない項目があり、今日はそれをつめる予定だった。俺は申し訳なく思いながらも、おずおずと聞いてみた。
「山科さん、良かったら世間話でもしませんか」
我ながら頭の悪い喋り方だな、と思ったが正直な気持ちだ。山科のことを知りたい。丁度いいチャンスじゃないだろうか。
俺の申し出に、一瞬驚いた表情を見せた山科だったが直ぐ笑顔になる。
「神崎さんがお待ちいただけるなら、食事でも行きますか?今日はもう終わりですし」
まさかの山科からの申し出に、俺は驚きつつもすぐ頷いた。
「ま、待ちます」
三十分ほど近くの書店で待っていると、山科が走ってきた。
「すみません、お待たせしまして」
式場でいつも見る黒のスーツではない少し柔らかい色のスーツに着替えていた。それだけでもいつもと違う山科を見れて俺はドキドキしていた。かなりの重症だ。
山科は近くのイタリア料理店に案内してくれた。二人で向かい合って食べてるだけなのに、まともに顔が見れない。山科は食べながらさり気なく会話をエスコートしてくれた。由紀との出会いの話や、仕事の話など当たり障りのない話。
山科はもともと他の都市に住んでいたがここに越してきたという。
「恋人が住んでいたのでね」
サラッとそう言った山科。過去形であることに気づいて俺は思わずその先の話を聞きたくなったが、さすがに失礼なので、グッと堪える。
「そうなんですね」
「一人暮らしをしてますが、いいところですし、今の仕事もやりがいがありますから」
そう言った山科の笑顔が一瞬、寂しそうに見えた。そしてすぐに普通の笑顔に戻る。
「今は神崎さん達の結婚式ですね」
そう言われてつられて笑う俺。まさか一ヶ月後に、俺たちが破談になるとは夢にも思わずに。
由紀から突然、別れを告げられた。
珍しく早く退社し、話したいことがあるからと喫茶店に呼び出されたその声は震えていて。
平謝りされた。
別れの理由は、よく覚えていない。初めから好きな人がいたとか、なかなか言い出せなかったとか、そんなことを言っていたように思う。
何がショックだったって、お互いが『世間体の為に結婚しようとしていた』ことだ。
嬉しそうに式場まわりしていた由紀は、どんな気持ちでいたのだろうか。俺はそのとき、由紀の何を見ていたんだろうか。もしかしたら俺の態度で結婚を楽しみにしていないことがわかっていたのだろうか。
何にしろ、結婚は白紙。見合いの話を持ってきた上司にさえ、平謝りされたけど、仕方ないですよと笑ってすませた。
罪悪感とともに、安堵した自分。これじゃ由紀もだれも責めることなど出来ない。責めるべきは自分なのだから。
数日後。俺は式場に行きことの次第を山科に伝えた。たまにあることなのだろうか、山科は驚きはしたものの、冷静だった。金銭的なことの手続きを終え、俺はぼんやりと山科の顔を見た。
ああそうか、もう来ることないんだから会えなくなるんだな。そんなことを考えた自分にまた嫌気がさす。
「手続きは以上ですが……神崎さん少し時間良いですか」
そういうと山科は自分についてくるように言う。先を行く山科の背中を見ながら俺はついていく。
たどり着いたところは、あのチャペルだった。ドアを開くと燦々と降り注ぐ光。あの日三人で見た景色だ。
ガラス張りのチャペルに入り木々を背にして、まるで牧師のように山科は語り始めた。
「神崎さん、今回は残念でしたけれど、貴方は魅力的な人です。きっとまた貴方を愛してくれる人が現れますから、その時はここを思い出してください。縁起でもない、と思われるかもしれませんが」
にっこりと微笑む山科。
「貴方の次の幸せを、私はここで祈ってますから」
その言葉に俺は鼻がツンと痛くなり、目から涙が流れた。
「神崎さん」
「俺は、由紀が、喜ぶならここでしてやろうって、それだけは本当に思ったんだ!」
結婚自体は偽りの気持ちだったけど、あの時由紀の笑顔にそう誓ったのは偽りではない。あの時だけは……
自分の感情が整理つかなくて、涙が止まらない。すると山科がふわっと俺の体を抱きしめた。
「大丈夫、貴方はまた幸せになれるから」
涙が止まるまで、山科はずっとそばにいてくれた。
「私も、パートナーと挙式をあげる寸前まで行ってたんです」
チャペル椅子に座り、山科はぽつりと語り始める。山科も逃げられたのだろうか?俺が山科の顔を見ていると少し言いにくそうにしていたが、また口を開く。
「私のパートナーは男性でね。この街はパートナーシップ制度を導入してるんです。他の所に住んでた私に、ここで暮らして、制度を使おうという話になったんです。一年くらい同棲して、挙式をあげよう、パートナーシップの届出も出そうとした矢先に、彼がいなくなったんです」
「え……」
「怖くなったんだと、後で連絡が来たんです。彼は社会人で、どうしてもリスクがありすぎると、彼は自分の気持ちを隠す方を選んだんです」
「そんな」
「それから、私はもう自分は挙式を挙げることはできないと思ったんです。だからせめて皆さんのお手伝いをしたくて、この世界に入ったんです……いやほんとは自分が挙げたい挙式を、お客様になすり付けてるのかもしれないな」
そんな過去があったから、あの寂しそうな顔を見せていたのか。
「神崎さん、いつか挙式を挙げるときは私を呼んでください。貴方のために素敵な挙式にしますから」
それから半年。
俺は久しぶりに山科のいる式場を訪れた。受付で山科に取り次いでもらうと、奥からあの爽やかな笑顔を見えながら山科が近づいてきた。
「神崎さん」
きっと山科は俺がいい話を報告しに来たのだと思ってるのだろう。一人できたことを不思議そうにしていた。
「挙式の予約お願いしたいんだけど」
「ありがとうございます。またお手伝いさせていただけるなんて光栄です。お相手の方は……」
「目の前にいるよ」
「え?」
「山科さん、あのチャペルで挙式を挙げたいでしょ?」
俺がそう言うとしばらくして、山科は今まで見たことがないくらい慌て始める。
「か、神崎さん。どういう、意味ですか」
慌てる山科を尻目に、俺は打ち合わせコーナーへと移動する。
山科と出会ってからの話をこれからしようと思う。きっと山科は驚くだろうし、軽蔑するかもしれない。だけど俺は正直な気持ちを伝えたい。
俺は席に着くと、ついてきた山科に言った。
「まずは、俺の話を聞いてもらっていい?すごい最低な男の話を」
【了】
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