そして人類は救われた

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そして人類は救われた

 いつの間にか寒さが和らぎ、麗らかな春の日差し降り注ぐある日。日曜であることも相まって、ジョギングコースとして有名な都内某所に、大勢のランナーが繰り出していた。 「やっと気持ちが良い季節になったよね!」 「本当。これまでは寒いのはもちろんだけど、空の色がどことなくくすんでるように感じたもの」 「だけど、考えるのは皆同じだね。今日の混み具合ったら」 「普通の歩行者もいるし、日曜だから家族連れも多いんだから、ぼんやりして衝突したりしないでよ?」 「分かってるって!」  ジョギングコースの経路は通常の歩道であるため、人出が多ければ歩行者を避けなければならないのは自明の理であり、彼女達は他のランナー達と同じ進行方向で、周囲に気を配りながら円周を描くコースをゆっくりと走り出した。   ※※※※  そこは当初、暗闇と静寂が満ちた空間だったが、徐々に複数の気配が生じ、奇妙な明滅が場を支配していった。 “それでは予備調査を進めていたRJ-ζλ3についての、最終報告を始めます”  何も無いと思われた空間に、突如として立体画像が現れる。 “まずはこちらの映像をご覧ください。やはり当初の報告通り、ここの既存の知的生命体の化学力では重力コントロールは遠く及ばず、あれらが大気圏外と認識する範囲に進出する可能性は、現時点では無きに等しいかと。これから実際にあれらの移動手段の実例を提示いたします”  そこで中空に浮かび上がる画像が次々と入れ換わり、自転車から自動車、電車から飛行機に至るまで、ありとあらゆる乗り物が目まぐるしく表示される。しかしそれについての、周囲の反応は芳しくなかった。 “こんなものを利用しないと、移動できないのか?” “効率が悪すぎるだろう” “見苦しいにも程がある” “最後のあれで、漸く大気圏外に達するとは……、確かに危険性は低そうだな。だが、監視レベルはどうする?”  すると画像が切り替わり、地上の一部分が映し出される。 “それを議論するため、実際にあの星の知的生命体の進化レベルをご覧いただく必要があるかと判断し、偵察衛星の画像を提示いたします” “なるほど、確かにそれは意義深いな” “先程の絵と同じものが随分動いているが……、あの小さく動いているのが、例の知的生命体だな? 随分奇妙な形をしているが、どうやって移動しているのだったかな?” “あれらは自身の構成パーツの下部、脚と称される対の部位を交互に前に出して移動しています”  報告役がそう説明すると同時に、遥か上空からの映像が地表付近からの映像に切り替わった。そして地上の幹線道路を行き交う車両と、その向こうで行き交う多数の人間をそれらが認める。と同時に僅かな間、その場は暗闇に閉ざされた。 “知識として認識してはいたが、あの動きは醜いな” “自らの移動手段があれとは、酷すぎるぞ” “何やら個体によって、速度が違う気がするが。何か理由があるのか?”  この場で一番観察力があると思われるものから疑問が発せられ、報告役が説明を加える。 “同じ脚を使う移動行為ですが、あれらの表現では速度が遅い方は『歩く』、速い方を『走る』となります。普段あれらは消費エネルギーを抑えるために移動時は『歩く』を選択しますが、幾つかの特殊な状況下で『走る』を選択することが判明しています” “特殊な状況下とは、どんな状況だ?” “先程提示した、より速い移動手段を選択できない時や、自らの個体に負荷をかけたい時などが該当します”  その報告に、周囲の空気と明滅が僅かに揺らいだ。 “なぜ自らの個体に負荷をかけたいのだ?” “一気に過剰な負荷をかけますと、さすがにその個体が粉砕される結果になりますが、適度な負荷をかけた場合、その個体の構成組織が増強されるからです” “構成組織の増強? 各個体の能力や性能を向上させるのに、そんなことが本当に必要だと?” “信じられん。均一の個体を形成するのは、統一した社会に必須ではないか” “しかも自ら負荷をかけて? 理解できないぞ” “はい。個体差がありすぎますし殆どが未完成体であることを考えますと、あれらは種としては極めて原始的な生命体であると判断せざるを得ません”  その明確な指摘に、再度その場を暗闇が支配した。しかし少ししてから、その一角で力強い明滅が生じる。 “あれらは放置しても、何ら問題はないだろう。監視の必要もない。直ちに撤収させろ” “全くだ。他にもっと可能性や危険性のある星がある。我々の担当エリアは広い。さっさと次の調査対象に向かうぞ” “了解しました”  そこでそれらはあっさり意思統一をし、一斉に各自の個体から発していた光を消失させた。それらは音声にはよらず光の色調や明滅にて互いを認識し、意思疎通をこなす存在であり、議論が終わった後は文字通り闇の中に溶けて消えていった。  ※※※※ 「ええと……、ところで今、何周目だったっけ?」 「え? 覚えてないの? そっちが数えていると思って、意識してなかったけど」 「勝手に当てにしないでよ……。でもまあ、何周目か忘れる程度には、気合い入れて走ったよね。そろそろ終了にしない?」 「同感。これで酒も肉も、普段の五割増しで美味しく堪能できるわね」 「ちょっと! ダイエットしてるって言わなかったっけ?」 「だから食べる前に走ってるんでしょうが」  そんな他愛もない会話を交わしながら、彼女達は些か重く感じる身体に爽快感すら覚えつつ、自分達で決めた終了地点に向かって走り続けた。  ある麗らかな春の日。本人達は全く意識していなかったものの、数多くのランナーにより、人類にとっての未曾有の危機が回避されることになった……、かもしれない。
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