286人が本棚に入れています
本棚に追加
「……高校の教師やってた時にさ、雷斗くんに告白されて。びっくりした。まさかこんな私のことを、好きになってもらえるなんて思わなかったから。……正直言って、彼にそんな感情はなかったけど、ほら、雷斗くんって格好いいじゃない?当時も女の子からすごい人気で。そんな彼が好きになってくれた自分は、価値のある人間なんじゃないかって嬉しくて。だから交際を始めたの」
絞り出すように、苦しそうに声を出す風間先生は、あのクリスマスの日、懺悔のように語っていた彼に似ている気がした。
「だけどさ、いざ付き合い始めたら、すぐに彼の気持ちが離れていったことに気づいた。きっと彼は、“先生”の私に恋をしていただけで、本当の、女の私には興味なかったんだわ。それがすごく悲しくて、余計に彼に溺れていった。終わらせたくなかった。……だけど」
先生は綺麗な瞳を揺らして、何もない花壇の土を見下ろした。
「皆にばれて、免職になった時、私はほっとしていたの。これでちゃんと雷斗くんと付き合えると思っていたから。だけど彼には、そんな気持ちがなかった。私悔しくて、二度と私のことを忘れないように、わざと酷いことを言ったの。“許さない”って。そうしたらずっと、あの子は私のことを忘れないから」
切なすぎる理由に、胸が詰まって何も言うことができなかった。
先生の気持ちが、痛いほどよくわかったから。
やっぱり恋は狂気だ。
人を好きになることって、自分が思っていたよりも、ずっと醜くて、虚しくて、ひび割れるように痛い。
「だけど忘れられなかったのは私の方。結婚してもうまくいかなかったし、あなたに嫉妬して、こんなバカなこと。……本当にごめんなさい。やっぱり私は教師に向いてないみたいだわ。人として、あまりにも低俗で」
「そんなことないです!!」
絶叫に近い私の叫びに、風間先生はびくっと肩を弾ませて驚いていた。
視界が滲んで先生の表情がよくわからないから、逆に言いたいことを言えるような気がして、私は何故か胸を張って答えた。
「風間先生は良い先生です!最初に出会った時、心からそう思ったから!それが本当の先生じゃないとか言われても、私がそう思ったならもう、真実なんです!」
「緑川さん……?」
「きっと先生か恋した風間先生も、嘘じゃない。だからこそ、先生、教師になったんだと思います!あなたのようになりたかったから!風間先生は、雷斗先生の、……聖人君子の原点です!」
「聖人君子?」
「風間先生のおかげで、雷斗先生は皆から愛される先生になって……私達に、たくさんのかけがえない青春を教えてくれた。風間先生がいなかったら私、こんな一年、送れなかった。だから……ずっと先生でいてください!私達の……雷斗先生の……先生でいてください」
泣きながら思い切り頭を下げると、風間先生は、そっと優しく撫でてくれた。
その手はとても温かくて、雷斗先生と同じだ。
辛いことも、嬉しいことも、汚いことも、綺麗なことも知っている、教職者の大きな手だ。
「……ありがとう、緑川さん」
涙をいっぱいにためて笑う先生は、初めて見た時と同じ、とても美しい人だった。
「これ、ずっと返さなくてごめんね」
私の手のひらにのせてくれた、煌めくシルバーリング。
その輝きに目が眩んで、ぎゅっと瞑った。
「……もうわかりきってると思うけど、雷斗くんとは何もなかったよ。『写真ばらされたくなかったら、私と付き合わない?』って脅したけど、雷斗くんは頑なに拒んだ。……最後まで、あなたとの恋を守ったのね」
風間先生はにっこりと微笑むと、ベンチから立ち上がり、一度頭を下げて去っていった。
彼女の後ろ姿を見つめながら、ぎゅっとリングを握る。
「先生……」
守ってくれて、ありがとう。
あの全てを包みこんでくれるような笑顔が恋しくて、リングにそっと口づけた。
最初のコメントを投稿しよう!