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昔 東京の片隅で 第9話ー2
【2】
季節はいつしか、冬になっていました。
目黒の街には、サンタクロースの音楽があふれています。
サンタクロースの衣装に身を包んだ店員が、声をからして呼び込みをしています。
人々は足早で家路を急いだり、待ち合わせの場所で立っていたりするのですが、誰ひとり、そこで詩集を売っている少女に気づきませんでした。
わたしの詩集を買ってくれませんか。
わたしは風に言葉を感じて、それを詩にしてるんです。
けれども少女の詩集は、その日も一冊も売れることはありませんでした。
プラカードの文字が、少し滲んでいます。
見上げると空から、雪が舞い降りてきたからなのでした。
この雪はやがて目黒の街を、白一色にしてしまうのでしょうか。
風のささやきも、風のつぶやきも、白い雪はやがてすべてを覆いつくしてしまうのでしょうか。
少女は並べていた詩集を片付けて、店じまいして、いつものように権之助坂を下りました。力なく、とぼとぼと下りました。
手はかじかんでいます。頬は凍りついたかのように、感覚がありません。
そうだ、と少女は思いました。
いつも気になるラーメン屋さんが、この坂の途中にあったっけ。
今日はそこに寄って暖を取ろう。身体を温めよう。
少女はそのラーメン屋さんの暖簾をくぐり、一番安いラーメンを注文しました。
そのラーメンが来るあいだ少女は、見るとはなしにテレビを見ていました。
するとテレビから突然、少女が作った詩が流れてきたのです。
わたしは風に言葉を感じて、それを詩にしてるんです。
今日、南から吹いて来た風は、わたしにこんなことをささやいてくれました。
そんなナレーションから始まる詩は、まぎれもなく少女が書いた詩でした。
好き という言葉に色があるのなら
それはあの人の色だと思うのです
好き という言葉に重さがあるのなら
それはあの人の重さだと思うのです
大好きなのに 大好きと言えないあなた
その想いはやはり心に閉じこめておくのではなく
ゆらめく小枝に風を感じたのなら
その想いを風に乗せてしまえばいいのです
届きますよ その言葉
届きますよ その想い
なぜなら風は いつだってあなたから
あの人に向かって 吹いているのですから
少女は驚いて、テレビを観ました。
テレビで詩を朗読していたのは今、人気上昇中の若い女性タレント、鷹匠あやねでした。
少女はその女性タレントに気づきました。
その女性タレントは数か月前、目黒川にかかる橋でわたしの詩集を買った、唯一の女性だ。
その鷹匠あやねさんがなぜ、テレビでわたしの詩を読んでるの。
詩の朗読が終わると、司会者が拍手しながら言いました。
鷹匠あやねさん。今回の詩も、ほんとうに素晴らしい詩ですね。
ほかの番組であやねさんの詩を聴いたときから我々は、その詩に感銘を受けていたんです。
ところであやねさん。この詩の作者は誰なんですか。
鷹匠あやねは微笑みながら答えました。
『名もなき詩人』ということにしてくれませんか。
『名もなき詩人』ですか。でもそれって誰もが、鷹匠あやねさんのペンネームだと思ってますよ。
今週発売された週刊誌にも、『名もなき詩人』は、鷹匠あやね本人だと書かれていますけど。
司会者のそんなトークに鷹匠あやねは、ただ黙って微笑んでいるばかりでした。
司会者は続けます。
否定しないということは、作者は鷹匠あやねさん本人で間違いないんですね。わたしどもは、それを結論とします。
やがて少女の目の前に、一番安いラーメンが運ばれてきました。
少女はそのラーメンをひとくちも食べず、お金だけを払って
店をでました。
外は降りしきる雪でした。
暗い夜空からは雪が、音もなく少女に降り注ぐのでした。
少女は唇を噛みしめ、心の中で叫びました。
鷹匠あやねさん。あなたはあの詩を自分の作品だと思わせて、テレビで朗読しているんですか。
あなたも風に言葉に感じて、それを朗読しているんですか。
もしもそうならあなたは、稀代の噓つきです。最低の人間です。
わたしは心からあなたを、軽蔑します。
少女は公園まで来ると、静かにブランコを漕ぎました。
揺れるブランコに降りしきる雪。
もう少女の目には、何も見えませんでした。
涙が景色を、歪めていたからなのです。
さらに降りしきる雪が、少女の視界をさえぎっていたからなのです。
そうして少女は、いつまでもいつまでも、ブランコを漕ぎ続けるのでした。
《この物語 続きます》
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