<1・導入>

3/4
前へ
/109ページ
次へ
 そんな彼がグレずにいられたのは、年の離れた兄が十八歳で家を飛び出して、一人で自分を育ててくれたからだそうだ。十歳年上の兄は、兄というより絢斗にとっては親代わりにも等しい存在であったという。彼がいなければ、自分は家族の愛情を知らない冷たい人間になっていたかもしれない、と彼は語った。今でも正月には、絶縁した彼の父母の代わりに彼の兄に会いに行くのが恒例である。互いに結婚しても仲が良好なのは素晴らしいことだと思う。  話は逸れたが。  そんな彼だからこそ、温かな家庭を築きたい、子供を作って目一杯愛したいという気持ちが誰よりも強いのだろう。自分なんかより、よほど親としての適性があると思っている。同時に――そこまで家族への願望がありながらも、きちんと早苗の気持ちを尊重してくれることも含めて。 『わかった。……俺達は二人で親になって、二人で一緒に子供を育てるけど……子供を産むのは早苗にしか出来ないことだ。その苦しみを肩代わりしてはあげられない……。だからこそ、最後に決めるのは早苗であるべきだと思う。毎年誕生日に、早苗の意思を聞くから……その時の気持ちを、正直に教えて貰ってもいいかな?』 『……ありがとう、絢斗さん』  いつ子供を作るのか、としつこく聞かれるのも。逆に一切訊かれないのも、女性は不安に思うことが多いものである。彼はそのあたりを、よく分かっていてくれたらしい。なんとも出来すぎた夫である。  大学の文芸サークルで出会ったというだけあって、どちらもあまり積極的な気質ではなかった。吹奏楽サークルと合同で開かれた飲み会で隣に座り、テンション上がってお喋りすることにもならなければ、同じサークル所属にも関わらずろくに喋ることもないまま卒業していたことだろう。  なんとなく、ライトノベルが書いてみたかったたけの早苗と、当時は本格的に作家を目指していた絢斗。結局彼は作家ではなくデザイナーの道を進んだが、小説を書く才能もサークル内でずば抜けていたと早苗は確信している。読みやすい文体なのに丁寧な描写、思いがけないトリックの数々。ウェブの方では賞も取っていたようだし、正直その才能を捨ててしまうのは勿体なかったのではないかと思う。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

37人が本棚に入れています
本棚に追加