幼少期_1

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幼少期_1

 (ちん)という品種の犬を知っているかい?  体つきはポメラニアンにチワワを足して二で割ったような、小さな体に白くて長いふわふわの体毛を持って、顔はパグのような潰れた顔だけどチワワみたいなくりくりの目玉がかわいいんだ。  そして、僕の顔――【(ちん)くしゃ】の語源は、その狆がくしゃみをした時の顔が由来らしい。  つまり顔が潰れている上に、眼や鼻口などのパーツが中央に寄り集まっている配置で、その顔がくしゃみをしたようにぐしゃって歪んでいるんだ。  僕の顔――小さい頃は確かに狆くしゃだった。少なくとも、小型犬みたいな愛嬌があり、母が僕を殺すのをためらうレベルの余地はあったんだと思う。  だけど、成長期に入ると話は変わってくる。成長段階で引き締まる顔が、僕の場合だとロードローラーで引き延ばされたように、不自然に顔が引き延ばされてとても悲惨な面貌になった。  それでも、残酷な子供たちがひしめく、学生時代を乗り切ることができたのは、僕の生家――杉藤家の威光が大きい。  僕の顔は地元では【杉藤顔(すぎとうがお)】と呼ばれている。  生家である杉藤家は地主の家系であり、家系図を紐解けば平安時代まで起源をさかのぼることが出来るんだ。  関東地方のA県にある山中崎(さんちゅうさき)の土地は、ほとんどが杉藤の土地であり、地元の市議や代議士とも古くから深い親交をもっていた。  隆盛期には政界への進出も噂されていたが、やはり【杉藤顔】がネックだったらしい。 【杉藤顔】――僕にとって呪いのソレは、僕の家族(母以外)や地元の人間には違う意味合いを持っていた。  歴代の杉藤顔を持つ人間は、知能と運動能力が常人より高く、強い霊感を持っているという信奉だった。  平安時代に現われた初代杉藤家の男は山伏(やまぶし)であり、その醜い面貌を堂々と【山神の御使いである証】と称して、山中崎の土地に入り込んだ。  言い伝えでは、荒れ狂う河川を鎮め、伝染病をたちどころに収束させて人々の信頼を勝ち取っていったらしい。  大人になった僕はせせら笑う。河川の氾濫と伝染病の因果関係、時代背景からして伝染病の正体はマラリアだ。川の氾濫で、処理した排せつ物が流出して生活圏内に入り込み、マラリアとなって山中崎の人々を苦しめたのだ。  日本が衛生観念と医療を結び付けたのは江戸時代以降――平安時代の排せつ物の処理は杜撰と言っても過言ではない。  生活イメージ的には、ユニセフのCMで登場するアフリカの生活水準に近いだろう。  だから僕は、初代杉藤家の男は山伏ではなく、都落ちした貴族じゃないかと考えている。  それも普通の貴族ではなく、遣唐使として治水や医療などの高等教育を受けた、留学経験のある貴族ではないか。そして何かしらの理由で都を離れて、自らを神の使いと自称して狭いコミュニティに入り込んだ。 ――そこで、家庭を築き子供を産んだ。自分と同じ醜い顔を持つ子供を。  杉藤顔を持つ子供は幼い頃から、先祖の偉業と杉藤顔を持つ者の能力を何度も何度も語られる。まるで、洗脳のように。  顔を歪ませる母をよそに、父は僕に杉藤顔に生まれた意味を教えられ、 「お前は、いつか、凄いことをするんだ。それが、杉藤顔に生まれた人間の運命なんだ」  という言葉を繰り返した。  父の予言はある意味実現された。  僕は殺人鬼になった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  優れた能力を持って生まれた代償なのか、杉藤顔で生まれたものは短命か命を絶つ者が多い。  僕の代では杉藤の親戚がほぼ絶えて、杉藤顔の人間は僕一人だ。  杉藤顔じゃない――しかし、顔がどこかチワワに似ている父が目玉をぎょろつかせて僕に語る。 「お前は選ばれた命なんだ。世間のくだらない戯言なんて聞き流して、我が道を行くといい」  今思えば、父は自分の顔が杉藤顔じゃないことに、コンプレックスを抱いていたのではないか。  杉藤顔は選ばれた人間が持つという周囲からの期待と暗示。  歴代の杉藤顔は各方面で多くの業績を残し、分家に至ってはオリンピックの選手に選ばれた。  並外れた運動神経と高い知能を世間に誇示して、醜い顔すら魅力的にみせる技術。  得られた利益は、ホームグラウンドである山中崎市に還元されて、幼稚園から学校、図書館や病院に至るまで町の発展に貢献した。  結果、山中崎市の住民は杉藤家の人間に尊敬の念をもって接してくれる。不興を買ったら最後、この町に住めなくなるという怖れを抱えながら。  杉藤家が平安時代から作り上げてきた――【揺り籠】  恐らく続くであろう、醜い顔を持つ子供たちの為に杉藤家はレールを敷き詰めてきた。  丁寧に、緻密に、芸術的に。絵的にあらわすのなら、イスラム教のモスクに通じる幾何学模様のアラベスクに通じるものがある。  自分たちの能力を世間に示し、人の役に立ち、それが自分たちを守る砦となる。  もしも。と、考える。  知能が高いのかは疑問だが、僕は赤ん坊のころからの記憶を保持している。否、現在進行形で自分の意志に関わらず、その時見た風景をアルバムのように閲覧できるんだ。  赤ん坊のころに見た公園に設置された時計の文字盤も、小学校の校庭の花壇に植えてある花の種類や本数も、学食で聞き流していた会話の内容も……何百も人を殺した時の状況も。  もしも、僕にそんな記憶力がなく、母に殺されかけた記憶を持たなかったら、僕は人を殺すことなく、次に生まれてくる杉藤顔の子供為にレールの石を丁寧につみあげていたのだろう。 ……今更、栓のないことだ。  だが時折、申し訳ない気持ちが腹の奥から突きあがり、もしもを夢想してしまう。  子供は純粋だ。僕が凡人並の記憶力だったら、杉藤家で生まれた杉藤顔の人間として、凄い人間になろうと努力し、周囲の人間の愛情と気遣いを素直に受け取っていた。  杉藤家のためのレールの石を、揺り籠に飾る石を、丁寧に丹念に宝石のように磨いていたんじゃないか。  だけど実際は、母に殺された記憶を起点に記憶力が神懸かり、確かな意志と疑心を持って、僕の歪な精神は完成されてしまった。  しげしげと僕の顔を見る父の顔。母親の憂う顔と甘い陶酔に満ちた瞳。僕の醜いぐちゃぐちゃな容貌を、直視しないように気を付ける大人たち。同年代の子供の好奇心――保護者達は杉藤家の不興を買うのを恐れて、まるで一つの生き物のように、我が子が向けようとした白くて無垢な悪意から僕を守ろうとしてくれた。  幼稚園で僕が周囲に対して報いるためにすることは、礼儀正しくあることであり、同年代以上に分別があり賢くあることだ。 「俊雄くんと話していると、大人と話しているような気になってくるわ」  さすが、杉藤の子ね。と。  僕におもねる大人たちは、そう言って笑ってとり繕う。僕の顔をべたべたと舐めるように眺めて、我が子が普通の子であるという安堵と実感に、美味しいものを食べた時と同じように胸をいっぱいにさせている。  その頃からだ。さりげなく相手の様子を観察して分析する癖がついた。言葉のうちに潜む冷たい塊を見つけたり、笑顔の裏側に潜んでいる優越感に見て見ぬふりをして、大人に取り入ることを覚えていった。  ただ、僕を一番悩ませていたのは、大人たちのダブルスタンダード。  つまり矛盾。  僕が笑うと、みんな後悔したように顔を伏せて、道端のゲロをみつけたような顔で僕を見る。さらに言ってしまえば、泣き顔も怒った顔も含めて。  だから、極力、感情を表に出さないようにしていたら、また別の誰かが言うのだ。 「俊雄くんは、どんなことがあろうと笑わないし怒らない。まったく、子供らしくない。あの顔のせいか、不気味で仕方がない」と。  僕に聞こえないように気を付けつつも、結局、大きな声で言うのだ。  僕はどうすればいいのか分からなくなり、何度も熱をだした。一方の言うことを聞けば、もう一方の角が立つ。  社会にでてもよくある――大人でも解決できない問題を、子供の僕が解決できることもなく、(よわい)三歳の僕は、胃のあたりがしくしくするのを感じた。  大人の僕はハッキリと言う。  あの時の僕は嫌われたくなかった。と。    嫌わないで、殺さないで。    死という概念は曖昧ながら、母から向けられたひやりとした殺意を成長と共に理解し感じることで、僕は人の視線を極度に気にするようになった。  笑えば良いのか、泣けばいいのか、無表情が良いのか自分で判断が出来なくなった。  熱も何度か出して、おろおろする母にいつも複雑な気持ちを持て余す。  こんなに心配するなら、あの時、いっそ殺してくれたらよかったのに。と。  母は、取り立て美人ではないものの、目鼻の一つ一つが整っておりバランスの取れた顔立ちをしていた。目を覆うまつ毛が長く、唇がふっくらと愛らしい。どこか、幼さを感じる顔。  今にも泣きそうな顔を僕に向けて、「ごめんね」「ごめんね」と謝りながら看病する母に、いつもなにも言えなくなるのだ。  息苦しい。母と一緒にいると、周囲の空気が母に吸い取られているような気がしてならなかった。  幼稚園でも、家でも、息苦しい思いをして、胃のあたりが泣けない僕の代りにしくしく泣くのだ。
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