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プロローグ
静かな夜だった。
青白い満月がこの世全てを凍らせてしまったような。
見上げると濃紺の空を遮るように、白い炎が揺れている。
風が吹くと、辺りにふわふわと火の粉が散った。
よく見ればそれは花びらであり、燃え盛る炎は桜の花の群れだった。
今夜はここで眠ろうと木の根もとで丸まり、ぼろにくるまった。
ず、と。
鼻を啜る音がした。
驚いてそちらを見ると、隣の屋敷の格子窓に少女の姿があった。
年の頃は10くらい。長い黒髪をだらりと流し、どこか遠くを見つめている。
月よりも白い肌は、花灯りの中、ところどころが赤らんでいた。
気分が良かった俺は、何とはなしに声をかけた。
「泣いてるのか、ガキ」
少女の丸い目が勢いよくこちらを見た。
まさか誰かがいるなんて思いもしなかったのだろう。
ぱちり。1度瞬きした少女は目を細め、鼻で笑った。
「泣いてる?馬鹿を言うんじゃないよ」
ちょいと、と続けようとして、そこでばつが悪そうに俯く。地面を睨み付けて、もう1度鼻を啜ると、
「ちょいと、寒さが堪えただけよ」
「寒さぁ?」
俺はからからと笑い飛ばした。
「寒かねえよ。もう春だぜ」
「おや」
少女はこてんと首を傾げた。
「花冷えとは、こういう夜のことを言うのではないの?」
「知らんな。俺には学がねえから、情緒とか趣とかは分からんよ」
しかし、そうか。
息を吸うと、冷気とともに仄かな甘い香りが喉元を滑り落ちていく。
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