プロローグ

1/5
48人が本棚に入れています
本棚に追加
/242ページ

プロローグ

静かな夜だった。 青白い満月がこの世全てを凍らせてしまったような。 見上げると濃紺の空を遮るように、白い炎が揺れている。 風が吹くと、辺りにふわふわと火の粉が散った。 よく見ればそれは花びらであり、燃え盛る炎は桜の花の群れだった。 今夜はここで眠ろうと木の根もとで丸まり、ぼろにくるまった。 ず、と。 鼻を啜る音がした。 驚いてそちらを見ると、隣の屋敷の格子窓に少女の姿があった。 年の頃は10くらい。長い黒髪をだらりと流し、どこか遠くを見つめている。 月よりも白い肌は、花灯りの中、ところどころが赤らんでいた。 気分が良かった俺は、何とはなしに声をかけた。 「泣いてるのか、ガキ」 少女の丸い目が勢いよくこちらを見た。 まさか誰かがいるなんて思いもしなかったのだろう。 ぱちり。1度瞬きした少女は目を細め、鼻で笑った。 「泣いてる?馬鹿を言うんじゃないよ」 ちょいと、と続けようとして、そこでばつが悪そうに俯く。地面を睨み付けて、もう1度鼻を啜ると、 「ちょいと、寒さが堪えただけよ」 「寒さぁ?」 俺はからからと笑い飛ばした。 「寒かねえよ。もう春だぜ」 「おや」 少女はこてんと首を傾げた。 「花冷えとは、こういう夜のことを言うのではないの?」 「知らんな。俺には学がねえから、情緒とか趣とかは分からんよ」 しかし、そうか。 息を吸うと、冷気とともに仄かな甘い香りが喉元を滑り落ちていく。
/242ページ

最初のコメントを投稿しよう!