3人が本棚に入れています
本棚に追加
右手首を確認した。切ったはずなのに傷痕がない。ほっぺをつねってみても、しっかり痛い。夢じゃない?
バスの振動に揺られながら、カーテンを開けて外を確認した。懐かしい風景が広がっていてびっくりした。高層ビルもない田んぼ、畑に小山。外に広がっているのは、私が生まれ育った故郷だった。
え?どうして?
バスが停留所に停まる。
「さぁ、降りて下さい。10分後に発射しますので、それまでに戻って来て下さい」
運転手さんはそう言うと、扉を開けた。
私は訳も分からず、とりあえず降りた。
懐かしい空気、自然の匂い。山々から流れてくる小鳥のさえずり。
だいぶ帰ってきてなかった。逃げる様に、家族から逃げ出す様に、家を出たのだから仕方がない。
田んぼ道を歩くと、住んでいた家が見えてきた。赤い屋根が懐かしい。ドキドキしながら近付いて行くと、一台の軽トラックが玄関前に停車した。誰だろう。
車から出て来たのは、若き頃のお父さんとお母さんだった。お母さんは小さな赤ちゃんを胸に抱っこしている。
2人は家の中へ入って行った。私は急いで家へと歩み寄り、少し開いた窓から中を覗いた。お父さんもお母さんも若い。いつも怒ってばっかりのお父さんの面影はない。
「赤ちゃん、可愛いな」
「そうね、すごく可愛い」
お母さんは愛しそうに、赤ちゃんの紅葉みたいな手を撫でた。
あの赤ちゃんってもしかして……
「赤ちゃんの名前はどうする?」
「そうねー芽生、めいはどうかしら?」
「可愛い名前だ」
「芽吹いて行くように。自分で芽を出して頑張って生きて欲しい、という願いを込めて」
「いい名前だ」
自分で芽を出して、頑張って生きる?
私は涙が溢れ出した。
2人がそんな思いを込めて、私に名前を付けてくれたなんて知らなかった。
2人は愛しそうに赤ちゃんを見つめている。その目に、その愛情に、偽りなど感じない。私を本当に愛していたんだ。
私は駆け出した。
果てしなく続く田んぼ道。涙の玉が風に乗って、流れて行く。
あんなに大事にしてくれた命を、自ら消そうとしていた。自分勝手に逃げていただけなのか。
家族にも相談せず、全てから逃げようとして戦わなかった。
自分から芽を出そうとしていただろうか。
無性に家族に会いたくなった。
バス停には、まだあのバスが停まっている。
私は何で自殺なんて考えたのだろう。少しの後悔を感じながら、バスの中へ足を入れた。
最初のコメントを投稿しよう!