嘘の口

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 アレに出会ったのは、人生初のイタリア旅行の最中だった。  イタリアといえば、コロッセオ、トレビの泉、ヴェネツィアなどなど、見所が多くある。その中でも、僕はとりわけ「真実の口」に興味があった。どこで知ったかは忘れてたが、嘘つきの手をとらえては離さない、そんな摩訶不思議な口を前々からお目にかかりたいと思っていた。  同行者であるAの土産選びに小一時間付き合った後、我々は真実の口のあるローマの某教会へと向かった。観光客の列の先に真実の口があった。私とAは口に手を入れたり、写真を撮ったり、観光客として相応の楽しみ方をした。一通り真実の口を満喫し、帰ろうと教会を後にする。ホテルへ戻る小道にて、アレに出会った。  細い歩行者用道路の道沿いに置かれていたのは、真実の口と思しきオブジェであった。先程見学した真実の口と違う点があるとすれば、台座の上の顔が上下逆さまであるということだ。Aと私はこの偽真実の口を、路上に人知れず展示されているアートかなにかかと結論付けた。せっかくなので、近づいて写真を撮ってみる。その際気づいたのだが、台座に注意書が日本語で記されていた。 「嘘の口:正直者が口に手を入れると抜けなくなります」 なぜ日本語で書いてあるのかは謎であるが、なかなか興味をそそられる一文であった。Aと私はじゃんけんをして、負けたAが口の中に手を突っ込んだ。Aは果たして正直者か嘘つきか、見ものである。ちなみに本物の真実の口では入れた手はすんなりと抜けていた。  結果から言うと、Aは手を抜くことができなかった。我々はパニックに陥った。力ずくで手を抜こうとしても、Aは痛いといういうばかり。人通りの少ない小道で、助けを呼ぼうにも誰一人見当たらない。まごつく私の目の前に、突然もう一つの嘘の口が現れた。混乱した私は、Aを一人にさせまいと口に手を思い切り突っ込んだ。  私は口に入れた手を抜いた。すると、目の前に広がっていたイタリアの景色は消え、実家の庭が現れた。私の手に食らいついていた飼い犬が、噛むのをやめて小屋に戻っていく。それは群馬県の私の家、とある晴れた日の午前のできごとだった。そう、イタリア旅行も友人Aもすべて嘘なのである。犬に噛まれた際、なかなか手を放してくれないものだから、ふと思い出した真実の口の空想に耽っていた。結果的に嘘の口も飼い犬も私を解放してくれたのでめでたしめでたしである。  人はとんでもなく暇であると、とんでもなくしょうもない妄想をしてしまうものである。それがどんなに支離滅裂で他愛のないものであっても、思いついてしまうのだから仕方ない。どんな時代になっても、頭の中くらいは自由でありたいものだ。在宅ワークという名の長期休暇を持て余した私は一人庭でさけんだ。 「イタリア行きて~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」                              おしまい
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