いかれたいのち

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「ね、ね、できたできた。見て見て。この赤色、かわいい? 似合う?」  数分後、塗りたくった赤色を神田さんに確認してもらおうと声をかけると、神田さんは右手の親指と人差し指で丸を作ってみせた。背中を向けている神田さんに私の足元が見える理由はよくわからないけれど、とにかく神田さんが丸印をくれたのだからこれはかわいい赤で、私にでも似合っている赤なのだ。 「ああそうだ、俺きょう外で飲んでくるんだけど」 「あれ? 約束してたの? 誰と?」 「うん、してた」 「誰と?」 「んー? あ、そうだそうだ、お前きょうは何時くらいに帰ってくる予定?」 「……終電前には解散だって言ってたかなあ? でももし盛り上がりすぎて終電逃しちゃったら、そのときは申し訳ないからホテルだけ取ってくれるって言ってた! そのお金も払ってくれるんだってー。いい人だよねえ、お金持ちってすごくない? 尊敬しちゃう」 「ふうん。まあいい感じにやってきてね。俺の友だちなんだから」  神田さんが右手を左右に振る。このお話はもうおしまいです、の合図だった。  私は赤く染まった自らの足先を見る。ある程度乾きつつあるその塗料は一部が皮膚に付着している。指の腹で軽くこすってやると、まるで割引シールが剥がれ落ちるみたいに若干の掠れを残しながら赤色が指先に移動した。  からからと安っぽい音を立てる扇風機の音も、この夏の暑さで頭をやられてしまったセミたちの大合唱も、どこか他人事のようだ。  私は粉っぽい匂いのするボディクリームを腹回りに薄く塗りながら、神田さんが横たわる布団の向こうにあるあの網戸が鉄格子だったらよかったのにな、と、やはり他人事のように思った。
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